1. NHK
  2. 首都圏ナビ
  3. ひるまえほっと
  4. ハチ公生誕100年!謎解き散歩

ハチ公生誕100年!謎解き散歩

  • 2023年11月14日

渋谷駅前にあるハチ公像でおなじみ「忠犬ハチ公」。実は1923年11月生まれ。
誕生して100年です。飼い主を渋谷駅前で待ち続けた話は映画にもなって、世界で知られていますが…
その、飼い主だった、東京帝国大学の教授・上野英三郎博士と暮らしていたのは、たったの1年4か月っていうのは、ご存じですか?
ハチ公、知れば知るほど謎が多いんです!
そこで、今回は「ハチ公博士」といっしょに、3つの“謎解き”をしながら、ハチ公と縁のある場所をめぐりました。皆さんは、どれだけ、知っているでしょうか?

(ひるまえほっと/リポーター 佐藤千佳)

ハチ公のことなら、この方!「ハチ公博士」こと、学芸員の松井圭太さん!

松井さん
「渋谷の博物館にいると、月に何回かはハチ公についての問い合わせが来るんですね。でも、昔はハチ公についての詳しい資料とか情報がなかったので、一般的なことを答えて、『多分こうかもしれませんね』みたいなことしか答えられなかったんですね。ここは1度、徹底的に調べて、答えられるようになろう!ということで調べだしたのが初めてでした」

松井さん

佐藤さん、ハチ公の物語のことよく知っていますか?

佐藤
リポーター

一般的なレベルですけど…

 

【佐藤リポーターが思うハチ公の物語は…】

ハチは、秋田で生まれ、東京にやってきた秋田犬。

上野英三郎博士のところで育てられました。毎日渋谷駅に送り迎え。

上野博士が亡くなったことを知らずに、死後もおよそ10年にわたり、駅に通い続けました。

そのけなげな姿から、銅像になりました。

 

…っていう話、ですよね?

 

多くの人が、佐藤さんのように思ってると思うんですけども、実は、違うところがたくさんあるんです。
まず、第1に、上野博士は、渋谷駅に通勤はしていないんですね、毎日は

上野博士は、当時農学部があった現在の東京大学駒場キャンパスに勤務していました。そのため、自宅があった松濤から、授業がある日は、ハチと一緒に、徒歩で通勤していたんです。


◆謎① なぜ、渋谷駅で待ってたのか?

松井さんは、「なぜか?というのは、ハチ公にしかわからない永遠の謎」としながらも、当時の情報をもとに、考察を教えてくれました。

松井さん
「上野先生が、お元気な時に出張に行って、帰ってきたら、駅にハチ公が1匹で待っていたと。先生はすごく喜んで、ご褒美に焼き鳥をあげたっていう話があるんです。どうもハチは、駒場の東大に行かない日、あるいは、先生が長く帰ってこない時には、“渋谷駅で待っていれば先生はきっと帰ってくる”というふうに、思っていたのではないでしょうか」

ハチは、渋谷駅に通いはじめた当初は、どなられたり、水をかけられたり、顔にいたずら描きをされたり…野良犬と同様の扱いをされていたといいます。
そんなハチが人気者になったのは、昭和7年、新聞に掲載された記事です。「駅前で亡きご主人を待っている犬」という記事が出た翌日から、渋谷駅にはハチ公をひと目見ようという人が殺到しました。ハチ公の頭をなでるため、子どもたちが順番待ちの列を作るほどだったといいます。

ハチ公像の足を見ると…銅像となったハチ公像は、でこぼこのタッチがツルツルになり、金属の色が、地金が分かるほど。銅像になった今も、訪れた人々になでられているんですね。

 

みんながここに来た時に、『ハチ公よく頑張ったね』っていうのかもしれないですけど、みんな触るんですよ。


◆謎② ハチ公像はいつつくられた?

当時、ハチ公が全国的に人気になっていたことを知る、貴重な写真が、今年見つかりました。

この写真を見て、気が付いたことが。ハチ公像と一緒に、なんと…ハチ公も写っているのです。

 

ハチ公像って、死んでから作られたんじゃないんですか!?

 

いや、実はですね、生きている時につくられたんですよ。

 

どうしてですか!?

 

ハチ公の物語を長く、継承していきたいということで銅像を作ろうっていう話があったんですけれども、急にハチ公が病気になって、“あすにも死ぬかもしれない!”というような報道が次々にされたんです。
そうすると、ハチ公自身は望んでないと思うんですけども、“ハチ公が生きてる間に何とかして銅像を建てたい!”と、みんなの機運が上がるんですね。

さらに驚くのが、銅像の資金の集め方。なんと、募金を集めるために、チャリティーイベントを開いたというのです。
当時のチラシには、昭和9年3月10日、銅像資金を募集するための「演芸大会」と書かれています。会場は、神宮外苑にある日本青年館。2000人を超える人が集まり、中に入れず、外にいる人もいたといわれています。
“入場するお客さんの入場料を銅像制作資金にあてる”ということで、開催されました。そしてなんと、“病気で死にそう”と言われていたハチも奇跡的に元気になり、イベントに参加したんです。

 

ステージに、渋谷駅長が、ハチを連れて上がるんですけども、ハチは退屈なので、壇上で伸びをするんですね。そうしたらもう、会場からは、割れんばかりの、『『『おー!!!』』』っていう反応。それぐらい、みんなハチ公に注目していたんですね。

 

ものすごい人気だったんですね!

 

ものすごい人気ですよ。スーパーヒーローですね。

当時からハチ公人気はすさまじく、「ハチ公チヨコレート」というお菓子や、ハチ公のレコードまで、発売されていました。およそ90年前に、“グッズ”まで作られていたといいます。
こうして、多くの人々の働きにより、昭和9年4月、ハチ公像(初代)が完成しました。
その翌年、ハチ公は一生を終えました。


◆謎③ ハチ公の毛色って…?

ハチ公は、死んでから90年近く経った今も、渋谷のシンボルとして愛されています。マチを歩いているだけで、ハチをイメージした秋田犬のモチーフが本当にたくさん!

実は、渋谷が区になった年と、ハチが人気者になったのは、ともに昭和7年。ハチ公と渋谷は、一緒に歩んできたのです。松井さんに案内してもらい、ハチ公グッズを取り扱うお店を訪ねました。
ハチ公は、令和の今も、大人気。ぬいぐるみや、お菓子などがずらりと並びます。こちらのお店では、売上の一部が、「秋田犬」の保存保護のために寄付されます。

ここで、松井さんから、3つ目の謎が。

 

佐藤さん、ハチ公の毛の色は、どうだったかご存知ですか?

 

毛の色?…ここにあるぬいぐるみのような色じゃないんですか?

 

当時の写真は白黒なので、ハチの毛色は、はっきりとはわかっていないんです。

松井さんによると、よくあるぬいぐるみなどは現在の秋田犬から考えており、さらに、映画などで使われた犬の毛色などが、一般的なイメージとしてあるのではないかといいます。
また、国立科学博物館に所蔵されているハチ公のはく製の色は、真っ白。一方で、当時ハチ公を見た人々の多くは、「薄茶」や「淡茶」、「クリーム色」などと表現しているんです。

ハチ公は、いったい、何色だったのでしょうか…?

その謎を解くべく、松井さんが勤めている白根記念渋谷区郷土博物館・文学館へ。

渋谷の歴史や、地域に縁のある文学者の資料が展示されている施設です。ハチ公のオブジェが、お出迎えしてくれます。
ここに、この謎を解くべく、強力な“助っと”を呼びました。NHKアーカイブスの霜山文雄職員です。

霜山職員

よろしくお願いします。きょうは最新技術・AIを使って、ハチ公が何色だったのか。挑戦したいと思います!

NHKでは、人工知能AIを駆使し、白黒フィルムで撮影された映像や写真を、カラー化するという取り組みを行っています。
AIに、NHKの番組、2万本の映像を取り入れて学習させます。さらに、人の力で、関係者への証言なども集めて、事実の色を探していくのです。霜山さんは、その、第一人者で、NHKを代表して、海外でその技術を発表したりもしています。
最近では、100年前の関東大震災を8Kでカラー化、第1作目の大河ドラマのカラー化を担当しました。

 

AIは人間と同じようにどうしても考えるということが100%同じっていうわけではないので、最終的には本当に人間が、いろいろな情報を集めて、それで色を決めていくということが必要になったりします。

まずは、情報集め。写真は複数枚あったほうがいいということで、松井さんがこのために集めたいろんなハチ公の写真を見ていきます。

 

こういう黒いところがやっぱりあるので…これが汚れなのか模様なのか。

 

ただ、耳とかはあんまり汚れない。他の写真と共通して色がついていれば…

 

色がついていた、もしくは、色が濃かったという手がかりになると思います。

ここで、松井さんから、ものすごーく貴重な手がかりが。なんと、ハチ公の胸の毛!はく製にする時に、保存されていたものだといいます。

 

色がついてますね!

ここから、ハチには、少なくとも、何かしらの色がついていたと考えられます。残された毛の中にも、グラデーションがあります。グラデーションがあるということは、茶色としても白っぽい部分もあるということ。

 

でも、全身がこの色かは、わからないんですもんね。胸の毛だけだから。

 

そうですね、わからないです。

 

この毛は、色の成分を調査するのにすごく役に立つと思いますね。AIに取り込んでみたら、新たな発見があるかもしれないですね。

スキャンした画像に、ハチ公の当時の記録や情報を、AIに読み込ませていきます。まずは、セピア色にしかならず、霜山職員も、この段階では、ちょっと苦戦している様子…。
複数の写真を見ながら、作業を進めます。

 

このぐらい色が濃いということは、ハチ公を見たときに、真っ白な犬だと思った人は、いないんじゃないか?と思います。

 

仮に汚れだとしても、真っ白だとは思わないってことですね。

だいぶ情報が集まってきました。今回の写真の場合、完成までに、1枚につきおよそ3日かかります。この続きは、スタジオで…!


◆完成!ハチ公の毛色は…?

撮影から数日後―。完成した写真を、生放送のスタジオ(11月13日放送)で、初公開しました。
カラー化作業を担当した霜山文雄職員によると…

 

“カラー化した色”というのは、カラーフィルムとは違って、細かい色の表現が難しいので、モニターによっては黄色に見えたり、茶色に見えたりします。これはどうしても、白黒映像に後から色をつけた場合に避けられないことなのですが、『もし、当時カラーフィルムで撮影することが出来たなら、きっとこんな感じに写っていたのではないか?』というイメージで完成させました。

放送で公開した写真が、こちらです。

古谷アナ

ハチを見たことがある人たちの記録の中に、『クリーム色』って、あったじゃないですか!そこに、部分的に茶色が入っていたような、まさに、そんな感じでしょうか!?やはり、カラーになると、ぐっと身近に感じますね。

ハチ公生誕100年。今もなお、世界中で愛されている理由を、松井さんにお聞きしたところ、「ハチ公が有名になる前、スペイン風邪が流行したり、ハチが生まれた年には、関東大震災もありました。その後は、戦争もありました。大切な人を亡くした方も大勢います。“大好きな人に、会いたいけど会えない”。そんな誰にでもある体験と、ハチを重ね合わせて、時代や国籍を超えて共感され、愛され続けているのではないか」と、話していました。

 

【編集後記】
ことし(2023年)9月には、関東大震災から100年の特集、そして先日は、プラネタリウム誕生100年の特集を担当させていただきました。そして今回は、「ハチ公生誕100年」。
“100年前”というと、どうしても歴史の一部として捉えていましたが、取材を通して、「100年前の出来事も、“いま”の連続、“地続き”の日常なんだな」と感じることばかりです。
今回のハチ公に関しては、カラー化したことでも、ぐっと身近に感じました。まだまだ、謎が多いハチ公。これからも目が離せません。

リポーター 佐藤千佳

ページトップに戻る