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小堺一機さんインタビュー トークの土台 ふるさと市川が育んだ

  • 2023年07月21日

市川市真間出身のタレント・小堺一機さん(67歳)。
民放のお昼のトーク番組で30年以上司会を務めたタレントの小堺さんですが、年上の女性ゲストとのトークが番組を彩った『ライオンのいただきます』の開始当初はプロデューサーから「小堺さん、この番組はいつからおもしろくなるんですか?」と言われたといいます。
そんなピンチを乗り越える土台となったのが、小学2年生までの幼少期を過ごした市川での経験でした。
映画好きで知られる小堺さん。
3、4歳の頃からすでに、市川で両親と足しげく映画館に通っていたそうです。
同じく千葉県出身で、小堺さんと関根勤さんとのラジオ『コサキン』を高校時代に聴いていたという守本奈実アナウンサー(東京アナウンス室)がお話を伺いました。

うちに帰ってからも父親と母親が、映画の話は特にそうですけど、僕を子ども扱いしなかったんですよ。「どう思った?」とか言って、「俺はあそこのシーンよりあっちのシーンのほうが好きだな」とか言ってくれたりしたんで、だから、楽しかったんですね。映画行くだけじゃなくて、帰ってからもアフタートークショーが。親とのショーが楽しかったんですよ。

小堺さんが通っていた小学校の脇を流れる真間川
この場所で、映画の役になり切って遊んでいたといいます。

土の土手だったの。それがね、よく時代劇って、あの、ああいう土手を馬が走るじゃないですか。そこに見えたんですよ。だから、なんか、「チャンチャンチャカ、チャンチャカチャンチャン」なんて言いながら走ったりとかね。

えー、あそこを?(笑)

(石原)裕次郎さんの映画を見ると、裕次郎の歩き方したりして、ちょっと足引きずって、「いてえじゃないか」とか言ったりなんかして。玉江荘ってアパートだったんで、戸を開けるともうガスコンロがあるみたいなアパートですよ、昔の、共同炊事場でね。みんな、夕方になると、ドア開けて焼き物とかするわけですよ。そこをずっと通りながら、みんなの食事、見て回るわけですよ。「ちぇっ、さんまか。しけてやがんな」、「すき焼きじゃないか。大したもんだぜ」とか言って。今の人だと、「嫌な子どもね」とか言うかもしれないけど、みんな、ゲラゲラ笑って見てくれて。大人の出入りが多かったんで、父親が板前だったりしたから、若い衆が相談に来たりとか、お客さんが来たり。お客さんが多いうちだったんですけど。だから、大人としゃべるほうが楽しかったんですよ。

えーっ。話、合います? 大人と子ども。

だから、映画が合うんですよ。映画で合うんですよ。「おじさん、僕、この間、〇〇見たの」「うわー、もう、一機ちゃんの歳であれ見たのか」とか言われて、「どうだった?」って言うから、「うーん、なんかあれは、おじさん、あれは、おもしろい・つまんないっていう映画じゃなくて、いい映画・悪い映画で言うと、いい映画ですよね」とか言って、すると、「おー、一機君、おもしろいね」とか言って。

それを、大人も受け止めてくれたっていう感じですか?

そう。受け止めてくれる人が多かったですね。

ああ、だから、『いただきます』が始まって司会っていうのを本格的にやらなきゃいけないときに、途中で気がつきました、そのことにね。いろんな先輩からの助言があって、あー、今お話ししたように、「俺、子どものとき、大人の人とばっかしゃべってたじゃないか」と思って、あれを思い出せばいいんだ、と思ったら、おばちゃんたちの下にいて「怖い」って言ってるんじゃなくて、おばちゃんとこまでいって「何言ってんだ、くそばばあ」とか言っちゃえばいいんだって思ったんですね。

こっちがそっちにいけばいいんだって…。

ええ。まだ僕、もうちょっと20代でかわいかったんで、画的におばちゃんにいじめられてるかわいそうな小堺くんっていうのがあるから、その小堺くんが子犬みたいに「キーッ」とかみつくとおもしろいんですよ。それを最初しなくて、かっこつけていたんですね、うまい司会しようみたいな。だから、そういうことだったのかなっていうのは。なんで最初から気がつかなったのかなと思います。

市川でのインタビューに加え、28歳で小堺さんが抜てきされたお昼の番組が放送されていた東京・新宿のスタジオでのインタビューも含めて、NHKプラスで23分の番組としてご覧いただけます。
こちらからぜひご覧ください。

『インタビュー ここから タレント 小堺一機』
※2023年7月24日(月)午前7時53分まで見逃し配信。

  • 新井信宏

    千葉局・コンテンツセンター

    新井信宏

    中2の夏休みから『コサキン』リスナー。『コサキン』がラジオ業界を志したきっかけです。

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