キャスター津田より

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、『台風10号から1年』の特集です。去年この番組では、台風10号で特に大変な被害が出た、岩手県久慈市(くじし)、野田村(のだむら)、宮古市(みやこし)、岩泉町(いわいずみちょう)を3週連続で取材しました。あれから1年が経ち、被災された皆さんがいま思っていることをうかがいました。

台風10号は去年8月30日の夕方、岩手県大船渡市付近に上陸しました。東北の太平洋側に上陸したのは、気象庁が統計を開始して以来初めてです。岩手県内の安家(あっか)川、小本(おもと)川、久慈川、閉伊(へい)川、その他多くの支流も氾らんし、建物の損壊や浸水は、岩手県全体で6800棟を超えました。中でも甚大な被害が出たのは、岩泉町です。グループホームの高齢者など21人が犠牲になり、被害を受けた建物は1900棟を超えました。被害額は、町の予算の7年分です。町内にある国内有数の鍾乳洞『龍泉洞(りゅうせんどう)』も、観光の再開まで半年余りを要しました。

 

今回取材したのは、その岩泉町です。はじめに、安家川が氾らんし、家屋の半数が全半壊した安家地区に行きました。驚いたのは、1年前に取材した光景が、そのまま残っていたことです。シャッターを突き破って木材が流入した商店、流れてきた木が外壁に突き刺さったままの建物、どこかから土台ごと流されて来て、傾いたまま川岸に残されている小屋など、手付かずと言っていい光景が残っていました。

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

町内には10か所に、台風で被災した方々が暮らす仮設住宅があります。

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

25世帯が暮らす日蔭(ひかげ)第2仮設団地では、70代の夫婦に話を聞きました。3人の子どもは町外で独立し、90歳の母親とともに3人暮らしです。台風の時は自宅2階に避難しましたが、川の水は足元まで迫ったそうです。

「もうダメだと思った…(遺体を探す時)バラバラになれば大変だから、どこに流れてもいいように、3人でお互いを縛りつけようとしたの。流れてきた家がぶつかって、電柱が転んできて…」

被災後、自宅の2階で生活し、仮設に入居したのは3か月後でした。高齢となった今、奥様は被災を機に、医療環境も整った盛岡に移り住みたいと考えています。一方で御主人は、台風のひと月前に生まれた孫のためにも、家を直して住み続けたいと言います。意見の溝は、まだ埋まっていません。

「災害公営住宅に入った方が得かもしれません。家を修理、維持していくことを考えれば。でも、小さい孫たちが遊びに来ても、家の中を飛んだり走ったりできなくなるのは気の毒で…。孫はすごい力を持っているっていうか、日を増すごとにすべて自分のものにする…それに勇気をもらえるし、この1年、孫に助けられたって思います。だから、この孫のために、もう一回頑張らないといけない…」

 

次に、安家地区で再開した牧場を訪ねました。

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

肉牛37頭を育てる60代の男性は、自宅前の橋が流され、一時孤立しました。牛舎の1つは自宅から8km先で、離れた牛の世話をするため、何とかヘリコプターで救助してもらったそうです。牛との再会は2日後でした。幸い牛に被害はなく、男性は仮設住宅を経て、先月、高台に家を再建しました。まもなく長男夫婦に子どもが生まれ、3世代で暮らす予定です。

「あっという間に過ぎた1年でした。家族も増える予定ですから、家族みんなを安心させたいという気持ちがあるから、早めに自宅再建をやりました。いろいろ励まされたり、支援いただいたりして、それがやっぱり大きかったのかなと思っています。まだ落ち込んでいる人がたくさんいますので、早く希望が持てるよう、再建なり復旧を急いでもらいたい…」

さて、台風10号では、安家川だけでなく、町を横断する小本川も氾らんして甚大な被害が出ました。

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

川の上流に住む専業農家を訪ねると、70代の男性が話をしてくれました。車2台を流され、大量の土砂が家の中に入ったそうです。1階の畳は、すべて取り替えざるを得ませんでした。田畑はすべて土砂に埋まり、トラクターや田植え機も使えなくなりました。

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

川のそばの田んぼは跡形もなく、今はただ、無数の石が転がる河川敷にしか見えません。

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

田んぼの復旧は、河川の改修を待たなければなりません。

「この1年、すべてが大変でした。田んぼも植えられなかったから…。こんなことは祖父の時代もなかったと思います。復旧はいつになるのか…それまでに体が動かなくなるかもね。田んぼはやめたらって、家内が言うんですけど、やりたいです。今までと同じ生活ができるように、頑張りたいと思います」

氾らんした安家川、小本川の河川改修は、平成31年度以降までかかる見込みです。また町内では、台風10号で被災した180世帯あまりが、今も仮設住宅で暮らしています。町が整備する災害公営住宅の着工は年明け以降で、入居開始は、早くとも来年夏まで待たなければなりません。町の調査では、災害公営住宅への入居を希望した人の約7割は、60代以上で、さらにそのうち6割以上は1人暮らしでした。復旧、そして復旧後の暮らしも、決して楽ではありません。また農業でも、特に高齢の専業農家の場合、農業をやめれば、基本的には国民年金だけの暮らしになります。かといって再開するのも、相当な労力です。日常生活や生業を取り戻すには、あまりにもダメージの大きい台風でした。

 

また、今回は1年前に話を聞いた方の"その後"も取材しました。大量の流木に埋まった岩泉町のサケ・マスふ化場では、泥のかき出しをしていた30代の男性職員を取材しました。県内有数のサケ・マスふ化場は、捕獲・採卵の本格的なシーズンを前にして、再開は困難な状況でした。男性は、"このあり様を目にして言葉にならないけど、何かやれることをやっていないと不安というか、復旧もしないと思う"と言っていました。1年後の今回、男性と同じ場所で待ち合わせました。ふ化場は解体されて更地となり、今月から新しい施設の建設が始まるとのことです。工期は来年2月いっぱいです。

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

「台風直後は、何が起こっているのかを飲みこむのが大変で、1か月、2か月たってもほとんど変わらない風景だったんで、本当に片付くのか、施設が建つのか、不安はありました。今は岩手に戻ってくる魚をつくることが仕事だと思いますので、サケ漁に関わる皆様に恩返しができるように頑張りたいです」

ふ化場では、県内でも大規模だった、岩泉町、宮古市、野田村にある計4施設の被害が甚大で、震災から復旧した矢先の被災でした。サケは岩手の水産業の主力魚種です。ふ化場の復旧はとても重要です。

そして、同じく1年前の岩泉町では、海から1kmの板金工場で、60代の男性を取材しました。

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

6年前の東日本大震災の津波で被災し、台風10号でも床上30cmまで浸水しました。津波の後、溶接機などを買い換えましたが、再び機械や工具が水に浸かりました。男性は、"いつも通りの仕事がしたいです。仕事が好きだし、まだ引退するには若いから、頑張って復帰したい…"と言っていました。今回再び工場を訪ねると、男性は、"台風のひと月後には工場を再開した"と言いました。水に浸かった機械を何とか動かし、買い換えずに我慢して使っているそうです。台風の被害は津波の時より大きかったものの、補助金は無く、水に浸かった大型機械の買い換えは諦めたとのことでした。

8月6日放送「岩手県 台風10号被災地は今」

「あの時はかなりショックは大きかったです。非常に運が悪いな…海と川から、やられてしまったからね。でも今、こうやって仕事を続けられるようになったので、動けなくなるまで働くという感じですね。これからも健康に気をつけて頑張りたいです」

津波と台風で二重に被災した上、台風の方が被害が大きかったという方は、岩泉に限らず、他の市町村でも少なくありません。台風の後、中小企業などが金融機関から資金を借りやすくする特例措置は設けられましたが、現地では、返済の必要がない公的な補助金を望む声が多くありました。基本的に商売の被害は、借金と保険でまかなうしかありません。こうした事実はもっと知られてもいいと思います。

 

ちなみに今回、ほぼ1年ぶりに練習を再開した、地元の伝統芸能「さんさ踊り」の方々にもお会いしました。太鼓や衣装は土砂で埋まりましたが、町などの支援でようやくそろったそうです。今月下旬の祭り本番に向け、特に女子高校生たちが熱心に練習する姿が印象的でした。彼女たちはスタッフに対して、"地域の人を活気づけるための踊りで、すごく気持ちも明るくなると思うので、前と変わらない踊りで地域の人を元気づけたい"と言いました。彼女たちの言葉に、一筋の光を見た気がします。

 

最後に、今回は岩泉町で取材しましたが、私たちが去年取材した久慈市、宮古市、野田村などでも、台風前の状況に戻っていない方はいます。これらの市町村の名前も、台風の被災地として、どうか忘れないでいただきたいと思います。

▲ ページの先頭へ