未来への証言 1000年後の命を守りたい

(初回放送日:2022年3月4日)

※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

女川町の鈴木智博さんの証言です。
鈴木さんは小学6年生の時に被災し、母と祖父母を亡くしました。卒業式の練習を終えて教室に戻ってきた時に地震が起き、急いで校庭に避難したといいます。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

鈴木さん)余震がすごい中で校庭にいたんですけど、たぶん地域の女川の人だと思うんですけど、下からどんどん避難してくる中で「津波が来る」っていうのを誰かが言って、僕自身は(津波を)見てはないんですけど、そこからもうちょっと上の方の総合体育館っていうのが女川にあるんですけど、そこにみんなで一斉に避難して、どれぐらいいたのかな。1週間までいないと思う。ちょっと曖昧なんですけど。そこで避難していました。

丹沢)家族の安否はどういう所で分かっていった?

鈴木さん)それは全然分からなかったんですけど、人づてに「うちのお父さんは何とか大丈夫そうだ」と「船回して」っていうのはちらっと聞いて。妹2人いて、上の方は小学生だったんで一緒に避難したから分かっていたんですけど、下の当時保育所にいた妹の方はもう、そっちも全然分からないという状況でした。お父さんが何日か経った後に迎えに来てくれて、その時に妹の方は何とか一緒に避難していて、保育所の先生が避難させたっていうんで一緒に来て、自分の浜に帰ってから、お母さんとおじいさんおばあさんがいないんだっていうのを聞かされました。

丹沢)お母さんやおじいちゃんおばあちゃんが亡くなった悲しみを家族で受け入れていくのも大変だったんじゃないですか?

鈴木さん)たぶん…。たぶんですけど、最初の方はそんな暇もなかったのかなというふうに思いますね。何かそれどころじゃないくらい毎日毎日何かしなきゃならないみたいな感じだったので、やっと今になって少しずつって感じじゃないかなと思います。

丹沢)今になって?10年経って。

鈴木さん)本当に。そんな暇がないくらい、毎日大変だったかな。

鈴木さんは「自分と同じように津波で家族を失う人をなくしたい」と、中学生の時から同級生たちと、「いのちの石碑」を建ててきました。「地震が来たらこの石碑よりも上へ逃げてください」という言葉を刻み、各地区の津波到達点より高い場所に設置しています。8年かけて21基の石碑が完成。その費用は、中学生たちが募金活動をして自力で集めたといいます。

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鈴木さん)どれぐらいなのかなと思ったら「1000万かかる」って言われたんですよ。これはどうしようと思って「何とかやりたいけどお金はないから募金して集めるしかないよね」っていうので、中学2年生の秋、冬ぐらいかな。色んなお店に募金箱を置かせていただいて、最初女川の町内で募金していました。そのあと東京に修学旅行で4月に行った時に、今の中学生の時、この活動をやっている時にしかできないことをしたいねというので、文部科学省とか電通とかジブラルタ生命とか、あとユネスコとか、そういう所にお邪魔して発表して募金活動させてもらって、そういったのを色々させてもらっているうちに、2013年の夏かな、目標の金額に達成、到達して。11月に第1基の披露、第1基2基の披露ということで、つながりました。何とか。

丹沢)すごい。

鈴木さん)「まさか」って自分たちもびっくりしたんですけど、何より先生方とかよく来ていた、取材していた人とかがもう「まさか」って感じで。
よく言われるんですけど「建って良かったね」「やっとこれで終わりだね」と言われるんですけど、違うんですよね。やっぱり、それが実際、100年後だろうが200年後だろうが1000年後だろうが、それがあるからこそ一人でも多くの人の命を救えたら、その時にやっと「建てて良かったな」というのを思うと思うんですよ。多分。ゴール的には一人でも多くの人の命が次災害があった時に助かればって思いでやっています。