【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年3月5日(日)放送の<DJ日本史>は、大河ドラマの主人公になりそうな人物を番組独自で発掘するシリーズ企画『大河になるかな人物伝』の3回目、とりあげたのは、北畠顕家(きたばたけ・あきいえ)。鎌倉幕府滅亡後の「建武の新政」を支え、後醍醐天皇のために戦った人物です。名門貴族の生まれにして戦にめっぽう強く、あの足利尊氏を切腹寸前まで追い込んだほど。また、姿がとても麗しいと評判で「花将軍」とも呼ばれました。そんな若き貴公子・北畠顕家のすごさと魅力に迫りました。

北畠顕家は16歳の時、後醍醐天皇から東北地方の支配を任されて今の宮城県多賀城市に移ります。
当時東北地方では後醍醐天皇に反発する武士であふれていましたが、顕家はこれを1年ほどでほぼ平定、東北の武士を味方につけました。
そして18歳の時、東北の武士を率いて足利尊氏を打ち破り、京都から追い出すという功績を残します。

北畠顕家はどうしてわずかな期間で東北の武士を統率できたのか?
その理由を探ると、北畠顕家という人物の魅力が浮かびあがってきます。


まず、北畠顕家は飛びぬけて優秀な人物でした。
わずか14歳で朝廷のとても重要な役職の「参議」に任命されますが、これは朝廷が始まって以来、なんと最年少での抜てき。今で言えば、中学生で政府の閣僚に選ばれたようなもの。
もちろん、出身が名門の北畠家だったこともありますが、それにしてもこの昇進は異例の速さ。
顕家がいかにすぐれていたか、わかりますね。

また北畠顕家は、その姿も実に麗しかったと言われています。
14歳の時、後醍醐天皇も参加する花見の宴で舞を披露しますが、このときの美しさは語り草となりました。

夕陽に照らされた満開の桜の下で舞を始めた顕家。その姿は輝くよう。あどけなさを残しつつ、実に立派ですばらしい。
記録はそう、書きとめています。

そんな北畠顕家は、ともに戦う武士の者にも配慮を欠かしません。
天皇に対して、こう訴えたこともあります。

「地方には、天皇のために命を落とす武士が数知れず。ところが彼らには恩恵が行き届いておりません。どうか、功績のない者に恩賞を与えたりせず、その分を武士や兵にお与えください」

名門の貴族に生まれながら、武士への思いやりもあった。
そんな北畠顕家だったからこそ、東北武士の信頼を一身に集めたのではないでしょうか。

DJ日本史「大河になるかな人物伝」①

DJ日本史「大河になるかな人物伝」③