【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年3月5日(日)放送の<DJ日本史>は、大河ドラマの主人公になりそうな人物を番組独自で発掘するシリーズ企画『大河になるかな人物伝』の3回目、とりあげたのは、北畠顕家(きたばたけ・あきいえ)。鎌倉幕府滅亡後の「建武の新政」を支え、後醍醐天皇のために戦った人物です。名門貴族の生まれにして戦にめっぽう強く、あの足利尊氏を切腹寸前まで追い込んだほど。また、姿がとても麗しいと評判で「花将軍」とも呼ばれました。そんな若き貴公子・北畠顕家のすごさと魅力に迫りました。

北畠顕家とは、どんな人物だったのでしょうか?

北畠顕家は鎌倉時代の末期、貴族の名門の家に生まれました。
そんな顕家が16歳の時、時代が大きく変わります。鎌倉幕府が倒れ、京都で後醍醐天皇を中心に政治を行う「建武の新政」がスタートしたのです。
ところが、「建武の新政」はうまくいかず、世の中は大混乱。後醍醐天皇は自分と親しい公家をひいきにしたことから武士が反発。武士たちは、足利尊氏をリーダーとして後醍醐天皇に反旗を翻します。
そんな足利尊氏に対し、北畠顕家は後醍醐天皇の側で戦いました。

後に室町幕府の初代将軍となる足利尊氏を一時は切腹寸前まで追い詰めた北畠顕家、その活躍ぶりとは?


北畠顕家は「建武の新政」が始まると、京の都から遠く離れた東北の地、今の宮城県に移りました。後醍醐天皇から、奥州一帯の支配を任されたのです。
そんな顕家の元に1335年、驚く知らせが届きます。後醍醐天皇の下で働いた足利尊氏が反旗を翻した、というのです。

足利尊氏は鎌倉幕府の残党を制圧するため東国に下っていましたが、その決着がつくと反転、後醍醐天皇のいる京に攻め上ってきました。太平記によれば、その数80万!
京の都は、あっという間に足利尊氏に占拠されてしまいました。

一方、今の宮城県にいた北畠顕家、後醍醐天皇危うしと聞くやただちに京に向かって出発。都までの1000キロ、敵を蹴散らし蹴散らし駆け抜けました。
そしてわずか1か月余り後には、京に到達。その破竹の勢いに、足利尊氏はびっくり!
「まさか、こんなに早く敵に援軍がやってくるとは!」
尊氏、予想だにしていませんでした。

北畠顕家率いる騎馬隊が尊氏の本陣に突撃するや、尊氏軍は総崩れ。
尊氏は逃れ逃れて、ついには九州まで落ち延びますが、このときばかりは、さしもの足利尊氏もついに覚悟。
「もはやこれまで。切腹する」
そこまで言い出す始末でした。

勇猛にして豪胆な足利尊氏を絶体絶命の危機に追い込んだ男、それが北畠顕家でした。

DJ日本史「大河になるかな人物伝」②