【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2024年4月21日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「“好き!”をきわめた偉人たち」。
取り上げたのは、趣味・特技など自分だけの世界にどっぷりはまった人々。その「好き!」の熱量は桁外れ。周囲を驚かせ、ついにはあきれさせるほどでした。そんな熱ーい人々の生きざまとは?

好きなものにどうやって出会えるか、そのヒントになる話をご紹介しましょう。

取り上げるのは、江戸時代の終わり頃の1800年代にいろんな種類の魚の絵を描きつづけた画家・奥倉魚仙(おくくらぎょせん)
ただ、奥倉魚仙はもともと魚と深い関係があった人かというと、そうではありません。
魚仙の家業は江戸の青物商、つまり野菜を売る商売でしたから、魚とは縁もゆかりもありませんでした。
そんな魚仙が、なぜ魚にのめりこんでいったのか? 魚に夢中になったきっかけとは?


きっかけの1つは、奥倉魚仙の住んでいた場所が関係しています。
彼が青物商を営んでいたのは江戸の神田でしたが、ここからわずか1キロ、歩いて15分程度の所にあったのが日本橋の魚河岸。今の魚市場は豊洲、その前は築地でしたが、江戸時代の魚河岸は日本橋にありました。
ここに、江戸前の海・東京湾で取れたさまざまな魚が集まっていたのです。

もともと東京湾はとてもすぐれた漁場。
陸地から豊かな栄養分を運ぶ川が注ぎ、太平洋からは黒潮の分流が流れこんでいます。ですから多種多様、多くの種類の魚が取れたのです。
さらに、当時は魚を運ぶ技術も発展。
船に設けた生けすで、瀬戸内海で取れたタイを生きたまま江戸に運んだりもしました。
ですから日本橋の魚河岸は、いわば全国の魚の見本市。普通なら目にできない珍しい魚も見ることが出来たのです。

奥倉魚仙が魚への関心を深めていけたもう1つのきっかけは、同好の士、つまり仲間たちに恵まれたこと。
当時、魚仙が住む神田の町には、動物や植物に詳しい学者や博物学の愛好家が集まっていました。魚仙はそんな人々と盛んに交流、家を訪ね資料を見せ合ったりして魚談義に花を咲かせたようです。

ちなみに博物学に詳しい人が神田の町に集まった理由は、漢方の医者を育てる幕府の施設「医学館」があったから。漢方医は薬になる植物や動物の学問である本草学に詳しいので、その周囲におのずと博物学愛好家のネットワークが出来たのです。

魚の魅力にとりつかれた奥倉魚仙。
彼が好きなものを掘り下げていけたきっかけは日本橋の魚河岸という「場」、そして「人」のつながりに恵まれていたことだったんでしょうね。

DJ日本史「“好き!”をきわめた偉人たち」①

DJ日本史「“好き!”をきわめた偉人たち」②