【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2024年3月31日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「不可能を可能にした技術者たち」。
そんなことは、絶対ムリだ! 誰もがはなからあきらめて手をつけようともしなかったことにあえて挑戦、見事成功して人々をうならせたエンジニアがいます。不可能を可能にした、その発想と工夫とは?

明治初め、世界を席けんする輸出産業を立ち上げた技術者がいました。その人物は、清水誠(しみずまこと)
彼が成し遂げたことは、マッチの国産化でした。

もともとマッチはとても高価な物でした。マッチはリンなどの元素や化合物をうまく練りこんで作った化学の知識が詰まった発明品だったからです。
このマッチを、政府の高官はなんとか国産化できないかと考えます。その思いに応えて、日本をスウェーデン、アメリカと並ぶ3大マッチ生産国に押し上げたのが、清水誠でした。

ただ清水にはもともとマッチの知識はなかった上、質の良いマッチの大量生産は当時とても難しかったのですが、一体どうやって事を成し遂げたのか、その成功の理由とは?


もともと清水誠は造船の技術を学んだエンジニアで、化学の専門家ではありません。ですが、政府高官のたっての願いを受けマッチの国産化に挑みます。

しかし、マッチの作り方は簡単ではありません。マッチはパッと火がつかないと使い物になりませんが、逆にあまりに火がつきやすいと自然発火することもあって危険。ですから、その製造にはさまざまなノウハウが詰め込まれていました。
清水誠はあらゆる手を尽くしてその製造法を取得、そしてついにマッチの国産化に成功。
日本製マッチは瞬く間に普及し、世界に広がりました。

ところが明治16年頃、状況が一変しました。マッチの輸出先の国々から注文キャンセルが相次いだのです。
原因は、清水の行いでした。
清水は「技術はひとりの物でなく、みんなの物だ」という信念で誰にでもマッチの製造法を教えたのですが、これが災い。不良品が大量に出回ってしまったのです。
日本製マッチの評判は一気にガタ落ち。そしてついには清水の会社も倒産し、運命は一転。
しかしこの苦い体験で、清水は考え直します。
「粗製乱造を止めるにはどうするか? そうだ、機械化しかない!」

会社の倒産後、故郷の金沢に引き上げた清水は、誰でも良質のマッチを大量に作れる機械の開発に取りかかります。そして、見事完成! これは工員1人で15人分の生産ができる優れものでした。
もともと清水は造船の技師で機械に詳しかったのですが、その知識が生きたわけです。

こうして清水は安くて質の良いマッチの大量生産に成功、大切な日本の輸出産業の一つを育て上げたのでした。

DJ日本史「不可能を可能にした技術者たち」①

DJ日本史「不可能を可能にした技術者たち」②