【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2024年3月31日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「不可能を可能にした技術者たち」。
そんなことは、絶対ムリだ! 誰もがはなからあきらめて手をつけようともしなかったことにあえて挑戦、見事成功して人々をうならせたエンジニアがいます。不可能を可能にした、その発想と工夫とは?

昭和5年、夢の超特急を実現した技師がいました。
今は新幹線で東京~大阪間は2時間半で移動できますが、昭和の初め頃は10時間52分かかっていました。これを2時間半短縮して8時間20分で走る特急「燕(つばめ)」を誕生させたのです。

この特急「燕」のすごいところは、技術革新に頼らず従来の技術で2時間半の短縮を実現したこと。
昭和の初めは深刻な不景気だった上、自動車が普及し始めた頃で鉄道の利用者が減っていました。
そうした中、とにかく客足を取り戻そうと考えられたのが特急「燕」だったのです。

「燕」を構想したのは、当時鉄道省の技師だった結城弘毅(ゆうきこうき)という人物でした。
鉄道省の中ではそんなこと不可能だという声が上がる中、結城弘毅は従来の技術でどうやって東京~大阪間2時間半の短縮を実現したのでしょうか?


時間を短縮する手段としてすぐ思いつくのは、速く走らせること。ところが特急「燕」は従来の技術を使っていますから、それほどスピードを上げることは出来ません。
では、どうするか?
結城弘毅が考えたのは、停車時間を出来るだけ少なくして列車をノンストップで走らせること。
ただ、それにはさまざまな問題がありました。

当時の蒸気機関車は、石炭を燃やして水を沸騰させその蒸気の力で動かす仕組み。ですから、石炭と水の補給で停車は不可欠でしたが、結城弘毅はこれらの課題を一つずつ解決していきます。
まず石炭は、燃焼効率のいい練炭を使うことで補給しなくてよいめどがつきました。
では、蒸気を作る水はどうするか?
結城は新たに30トンの水を積める水槽車を作り、それを機関車の後ろに連結して走らせることにしました。

ただ、問題はこれだけではありません。
結城の前に立ちはだかった大きな壁、それは神奈川県西部に位置する箱根の山でした。急勾配の箱根を超えるには前から引っ張る機関車だけでなく、後ろに補助機関車もつけて押し上げなくてはなりません。この補助機関車の連結と切り離しは、列車を停止させて行っていました。
しかし結城は、常識にないやり方を提案します。
なんと、列車の走行中に切り離しをしようと言うのです。そして実際、列車が急な坂を上りきったそのタイミングで走りながら補助機関車を切り離す方法を採用。可能な限りのノンストップ走行をめざしました。

こうして結城弘毅は東京~大阪間の2時間半の短縮に成功、人々の目を改めて鉄道に向けさせます。
結城弘毅の成功の理由、それは「新しい技術」より「新しいやり方」をめざしたことかもしれませんね。

DJ日本史「不可能を可能にした技術者たち」②