【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2024年3月31日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「不可能を可能にした技術者たち」。
そんなことは、絶対ムリだ! 誰もがはなからあきらめて手をつけようともしなかったことにあえて挑戦、見事成功して人々をうならせたエンジニアがいます。不可能を可能にした、その発想と工夫とは?

幕末の時代、波の高い外海でも航海できる西洋式の船を作った船大工がいました。
その船大工の名は、続豊治(つづきとよじ)といいます。

江戸時代終わりの頃の和船は、日本の近海だけを行き来できるものでした。そんな中、続豊治はまだ十代の頃から、波の高い外海も航海でき、しかもスピードの速い西洋式の船を作りたいと考えます。
ただ、西洋式の船と和船は構造が全く違うのでとても難しいことでしたが、あるとき思ってもいない出来事が起きました。アメリカのあのペリーの艦隊が1854年、続がいた箱館にやってきたのです。

箱館の町が騒然となる中、57歳だった続豊治は思い切った行動に出るのですが、これが思わぬ結果を生むことになりました。
船大工・続豊治、その成功の理由とは?


このとき、箱館の町には厳しい触れが出されました。
一、港へは出入りするな。
一、女子どもは箱館の町を離れよ。

しかし続豊治は、禁を犯して命をかけた行動に出ました。夕暮れどきを見計らって小さな磯船でひそかにペリー艦隊に近づき、詳しい船の見取り図を書こうとしたのです。
やがて日が落ちて暗くなると、続はさらに接近。これが失敗でした。
続はアメリカの水兵に捕らえられ、箱館奉行所に突き出されてしまいました。
万事、休す。続は死を覚悟します。

ところが、人の運命はわかりません。
続は箱館奉行に呼び出されると、なんとこう言い渡されたのです。
「それほど西洋式の船を作りたいなら、作ってみよ」
そして続は命を救われたばかりか、外国船に自由に出入りできるよう外国船応接係の一員にまで取り立てられました。なぜ続がこれほど寛大な処置を受けたのか?

実は当時の箱館奉行・堀利煕(ほりとしひろ)は、外国船の脅威から国を守る役職・海防掛についたこともある人物。西洋人とじかに交渉した経験もありました。
ですから堀は、世界と向き合っていくこれからの時代は西洋式の船が必要だと肌で感じていたわけです。

こうして、幕府の開明派である堀利煕との予期せぬ出会いが続の人生、そして日本の造船の歴史を変えました。続豊治は堀の支援を受けて次々に西洋式の船を建造、日本を代表する技術者として活躍していったのでした。

DJ日本史「不可能を可能にした技術者たち」①

DJ日本史「不可能を可能にした技術者たち」③