【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2024年2月18日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「度胸で勝負!のつわものたち」。
予想外の事態に直面してもあわてない、どんなに強い圧力で脅されようとひるまない。そんな、どーんと肝っ玉の据わった態度で歴史を変えてしまった人物がいます。その、生きざまとは?

明治時代、首相や大臣からの圧力にも決して主張を曲げなかった官僚がいます。その官僚は児島惟謙(こじまこれかた)、当時最上級の裁判所だった大審院(たいしんいん)の長を務めた人物です。

明治24年(1891年)、琵琶湖の観光に訪れたロシアの皇太子が、警護にあたっていた日本人の巡査に斬りつけられる事件が起きます。いわゆる大津事件です。
ロシアの皇太子は命に別状なかったのですが、この事件は大騒動になっていきます。

当時のロシアは世界屈指の軍事力を誇る強国でしたから、政府のお偉方は、とにかく犯人を死刑にしてロシアをなだめたい。一方、大審院長の児島惟謙は、法律にないことは出来ないと主張。
そこで政府上層部はあの手この手で懐柔してくるのですが、そんな圧力を児島は跳ね返していきました。

事件発生から判決まで度胸一つで戦った児島惟謙の16日間を見ていきましょう。


事件翌日、児島は総理大臣の松方正義(まつかたまさよし)と面会。そして、こう告げられます。
「内閣では、日本の皇族に対する法律を適用して死刑とすることに決定した」
しかし児島、それは法律の精神に反することだと抵抗。すると首相の松方は言います。
「国家あっての法律だ。国家なければ法律も意味がない。今は細かい解釈にこだわらず、国家の生き残りを考えるべきだ」

さらに事件から7日後、またも児島は松方首相に呼び出されます。しかし児島、なおも屈しません。そして、こう述べます。
「裁判官の職務は、独立にして不羈(ふき)なり」
つまり、裁判官の判断は何者にも束縛されないものだ、と言って抵抗しました。

それでも政府の干渉は続きます。
事件から15日後、今度は裁判が開かれる滋賀県大津まで2人の大臣を派遣してきました。その1人、西郷従道(さいごうつぐみち)内務大臣は言います。
「犯人を死刑にしなければロシアの艦隊が品川沖に殺到する。一発でこの国はなくなるぞ! 法律が国家の平和を保つのでなく、国家を破壊するものになるぞ!」
すると児島惟謙、
「暴言も甚だしい! そもそも法律は、国家が生きる動脈ですぞ!」

結局、翌日開かれた裁判での判決は無期の刑。政府首脳が求めた死刑にはなりませんでした。
西郷大臣は駅に見送りに来た児島と別れ際、汽車の窓から大声でこう言います。
「児島さん、耳ありますか?」
すると、児島は言い返します。
「西郷さん、目がありますか。もしあればご覧なさい!」
何を言われようが最後まで一歩もひかない、児島惟謙でした。

DJ日本史「度胸で勝負!のつわものたち」①

DJ日本史「度胸で勝負!のつわものたち」②