【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年12月17日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは『窮地を救った窮余の一策』。物事を前に進めようにも打つ手がない、暗礁に乗り上げてお手上げ寸前。窮地に追い込まれて頭を抱え込んでしまう事態、どの時代でも起こりました。そんなとき、昔の人々はどうやってこうした事態を乗り切ったのでしょうか?

江戸時代初めに京都所司代を務めた徳川幕府の重臣、板倉重宗(いたくら しげむね)の話です。
京都所司代は朝廷の様子をチェックするほか、京の都の行政や裁判も一手に担う重要な役職。板倉重宗はとても優秀で数々の訴訟も見事にこなし、名奉行と呼ばれました。

ところが、その名奉行ぶりが逆にあだとなります。
余人をもって代えがたいということで、彼に代わる後任が現れなかったのです。やめるにやめられない状況に陥ってしまいました。
この状態を変えるため、板倉重宗がとった窮余の一策とは?


大変な激務続きの板倉重宗は、職を辞したいと何度も幕府に申し入れをしました。ところが聞き届けられず、京都所司代に就いて実に30年以上が経ってしまいます。働き盛りの年齢で京都所司代になった板倉重宗もまもなく70歳。
ここに至って幕府もついに重い腰を上げ、牧野親成(ちかしげ)という人物を後任として派遣してきました。
しかし、事はそれで収まりません。何よりやっかいなのが、京の人々の厳しい目。
果たして新しい奉行は京の都を治められるのか? まなざしは冷ややかでした。
そんな空気を一掃しなければ、安心して後を任せられません。そこで板倉重宗はどうしたか?

窮余の一策が、わざと難しい訴訟を残しておくことでした。
つまり、前任の名奉行板倉でさえ処理できなかった案件を新任の奉行は見事に処理した、と言われるようお膳立てしたのです。

もちろん板倉は、後任の牧野親成がうまく裁けるよう周到に手を回していました。残しておいた訴訟の解決案を細かく書き、申し送りしていたのです。
後任の牧野はその通り事を進め評判を高めることに成功。
こうして板倉重宗は無事、後任に役を任せることができたのでした。

DJ日本史「窮地を救った窮余の一策」①

DJ日本史「窮地を救った窮余の一策」③