【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年5月7日(日)放送の<DJ日本史>は、『お見事! ピンチを切り抜けた、とっさの機転』というテーマでお届けしました。突然の非常事態が発生、まごまごしていたら状況は悪くなるばかり! そんなとき大事なのが、とっさの判断。パッと先を読んだ素早い行動が運命の分かれ目になり、その後の歴史を変えることだってありました。見事な機転で窮地を脱した歴史上のエピソード、見ていきましょう。

細川家といえば、室町時代は幕府の管領(かんれい)を務めた名門。江戸時代から明治時代になるまで石高54万石、九州の肥後熊本を治める有力大名でした。

そんな細川家、実は江戸時代中頃の1747年、お家断絶寸前の危機に陥ったことがありました。
きっかけは、江戸城の中で突然起きた、ある事件でした。


事件は、大名や旗本が江戸城に上がって一堂に会する月例の集まりで起きました。
列席していた肥後熊本藩の藩主、細川宗孝(むねたか)が、用を足すためかわやに立ったときです。
突然、背後から斬りつけられました。

襲ってきたのは、旗本の板倉勝該(かつかね)という人物。襲撃の理由はなんと、人違いでした。
宗孝の服にあった細川家の家紋が、つけ狙っていた大名の家紋と似ていたために間違えたというのです。
無防備の状態で深く斬りつけられた細川宗孝は、あえなくこの場で息を引き取りました。

この突然の出来事で、細川家はにわかに大ピンチに陥りました。
殺された宗孝には子どもがなく、まだ32歳と若かったため跡継ぎも決めていませんでした。
ところが幕府の定めでは、藩主が亡くなった時点で跡継ぎが決まっていなかった場合、その家は改易されることになっていたのです。つまり細川家は、お取り潰しの危機に直面したわけです。

このとき、たまたま近くに居合わせた仙台藩の藩主、伊達宗村(むねむら)が、とっさの機転を働かせました。
伊達宗村は、すでに息絶えた細川宗孝のそばに寄るや、細川家の家臣に言います。
「細川殿は、まだ息がある。すぐ屋敷に運んで、手当てせい!」

これを聞いた細川家の家臣は、宗孝の遺体を急いで屋敷に移動。
そして、すぐに宗孝の弟を跡継ぎとして幕府に届けた上で「宗孝は介抱のかいなく亡くなった」と報告しました。
名門・細川家は、とっさの機転を働かせた伊達の殿様の一言で、お家取り潰しの危機から救われたのでした。

DJ日本史「お見事! ピンチを切り抜けた、とっさの機転」①

DJ日本史「お見事! ピンチを切り抜けた、とっさの機転」②