【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年4月30日(日)放送の<DJ日本史>は、シリーズ企画「家康の家臣団」第2弾。徳川家康の天下取りの柱になった徳川三傑、本多忠勝(ほんだただかつ)、榊原康政(さかきばらやすまさ)、井伊直政(いいなおまさ)の実像に迫りました。

徳川政権の次世代のホープとして家康がとても期待した人物が、井伊直政です。年齢が18歳下の直政を、家康は大切に育てました。
徳川家康が求めた理想の人材とは? 井伊直政を通して見ていきましょう。


家康は、息子ほど年の離れた井伊直政を根気強く指導しました。その一例、こんなことがありました。
1590年、豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻めたときのこと。
この戦いには家康も秀吉方として加わり、子飼いの井伊直政には城の東部分の攻撃を受け持たせます。
この部分には堀を渡る橋がかけられていたのですが、家康はそれを見てぽつり、井伊直政に言います。
「橋か、橋か」
それ以上、何も言いません。
井伊直政は橋の下の水の深さのことかと思い、水深を測って報告。
ところが家康はまたも、「橋か、橋か」

そこで直政、今度は夜、敵の目をかいくぐって自らその橋を調査。
すると、橋桁が弱く大勢で渡るのは危険なことが判明。それを報告すると、家康は言いました。
「わしが知りたかったのは、まさにその事。これしきのことはそちが自分で気づくべき。だから、言わなかったのだ」
つまり家康は井伊直政に対し、ただ上からの指示を聞くだけでなく自分で考えて行動しろ、と諭したわけですね。

ところでこの井伊直政、一体どんな人物だったのか?
井伊直政は自分の家来にはとても厳しかった半面、他の人には礼儀正しく物腰もやわらか。
また容姿端麗で、いわゆるイケメン。その姿にほれ込んでか、家康は自分の屋敷近くに住まわせて足しげく通ったこともありました。

家康が家来に求めた資質とは何だったのか?
「自分で考えて動く」「礼儀正しく物腰やわらか」「かっこいい」の三拍子?
皆さんは、どう思いますか?

DJ日本史「家康の家臣団 第2弾」①

DJ日本史「家康の家臣団 第2弾」②