【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年4月30日(日)放送の<DJ日本史>は、シリーズ企画「家康の家臣団」第2弾。徳川家康の天下取りの柱になった徳川三傑、本多忠勝(ほんだただかつ)、榊原康政(さかきばらやすまさ)、井伊直政(いいなおまさ)の実像に迫りました。

榊原康政は武勇にすぐれた武将でしたが、実は幼い頃から学問にも通じていた文武両道の人でもありました。
機転が利き弁が立った、という榊原康政。その人物像とは?


榊原康政が機転にすぐれていたことを物語るエピソードがあります。

時は、関ケ原の戦いの1年前のこと。家康と石田三成らの対立が深まる中、ある情報が駆け巡りました。
家康がいる京都伏見の屋敷が襲撃されそうだ、というのです。
これを知った榊原康政は、関東から直ちに上方へ。
しかし、すぐに京には入りません。その手前の近江の国(今の滋賀県)で立ち止まります。
ここで康政が行ったのは、関所を設けたこと。京都へ向かう旅人たちを、近江でいったん足止めさせたのです。
そして待つこと3日。人がたまりにたまったところで関所を開けると、大群衆が一斉に京都へ向かいました。
これを見て人々はびっくり。
「家康公の大軍が京都にやってきた!」
こうして榊原康政、家康の危機を救いました。

榊原康政、もう1つの特徴は、弁が立ったことです。
関ケ原での戦いが終わった後に秀忠が遅れて到着したとき、家康は激怒して秀忠に会おうとしませんでしたが、そんな家康を説得したのは榊原康政でした。
康政は、秀忠遅参の理由を理路整然と説明。
家康側の状況を知らせる使者の到着が川の氾濫で遅れたので秀忠は知る由もなかった、と秀忠を弁護。
このとりなしで、家康は秀忠を許します。
榊原康政のことばは、家康親子に生じた亀裂も修復したわけですね。

DJ日本史「家康の家臣団 第2弾」①

DJ日本史「家康の家臣団 第2弾」③