【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年4月30日(日)放送の<DJ日本史>は、シリーズ企画「家康の家臣団」第2弾。徳川家康の天下取りの柱になった徳川三傑、本多忠勝(ほんだただかつ)、榊原康政(さかきばらやすまさ)、井伊直政(いいなおまさ)の実像に迫りました。

生涯57の戦に出陣しながらかすり傷一つ受けなかった、という本多忠勝。戦場で長いやりを振り回して大暴れ!というイメージが浮かんできますが、実際の姿はそれだけではなかったようです。
本多忠勝の実像とは?


本多忠勝、実際はかなりの頭脳派でした。こんなことを語っています。
「思慮のない者はやり一本の功名だけ。思慮ある武将は、手の者を使って大きな功名を成し遂げるものだ」

そんな本多忠勝が戦で得意としたのが、調略。
1575年、武田軍と戦った「長篠の戦い」では、敵を戦場におびき出すため手の込んだ策を講じます。
まず、顔なじみだった敵の武将をこちらに寝返らせます。その上で、その武将を使ってウソの情報を武田方に流しました。
「織田信長の敵対勢力が一斉に立ち上がろうとしている。今攻め込めば、織田・徳川は壊滅間違いなし!」
こうやって攻め込ませてきた武田軍を、さんざんに返り討ち。
本多忠勝、実はしたたかな策略をめぐらす人物だったんですね。
また、家康の天下取りを決定づけた、関ヶ原の戦い。
このときも本多忠勝は、事前に西軍の武将たちに手をまわして寝返るよう工作。戦いを勝利に導きました。

本多忠勝の意外な実像、2つ目。
忠勝は、身なりにかまわぬむさくるしい荒武者、ではなく、実は自分の見栄えにとてもこだわる武将でした。
肖像画を描かせたときは、納得するまでなんと8回も描き直し。
また、身につけたかぶとは大きな鹿の角と豪華な装飾があしらわれたもので、戦場では大いに人目をひきました。
そんな忠勝、こんな言葉を残しています。
「それがしの家人らは、形より武士の正道に入るべし」
つまり、本多家の侍は形から入れ、というのですね。
「武士は美しくあるべき」そんな思いが強かったのでしょうね。

DJ日本史「家康の家臣団 第2弾」②