武装中立論」石橋政嗣
旧社会党委員長が死去

旧社会党の委員長などを務めた石橋政嗣 元衆議院議員が今月、福岡市内で亡くなりました。95歳でした。

石橋氏は台湾で生まれ、戦後、長崎県佐世保市で進駐軍の基地で働く、労働者の労働組合の発足に携わりました。

その後、長崎県議会議員を経て昭和30年に、衆議院旧長崎2区で初当選しました。

12回連続で当選し、この間、昭和45年から当時の社会党の書記長を務めたほか、昭和58年からは9代目の委員長を務めました。

憲法9条をもとに自衛隊を徐々に縮小し、最終的には一切の武力を放棄して、中立を守る「非武装中立」を目指すべきだと訴え、当時の中曽根康弘総理大臣と国会で論戦を繰り広げました。

その後、平成2年に行われた衆議院選挙に立候補せず、政界を引退していました。

関係者によりますと、石橋氏は晩年は福岡市で暮らしていたということです。

官房長官「非武装中立論 大きな影響与えた」

菅官房長官は、臨時閣議のあとの記者会見で「石橋氏は、長く社会党の中枢におられ、ご自身が提唱された非武装中立論は、当時の議論に大きな影響を与えたと思っている。心から哀悼の意を表したい」と述べました。

又市党首「筋を通す信念に剛直な人」

社民党の又市党首は「目の前の課題を巧みにこなし、まずは自分自身で動く現実的な政治家で、一度こうと決めたら変えない、筋を通す、信念に剛直な人でした。先に逝かれた中曽根元総理大臣と、また論戦をたたかわせていらっしゃるのでしょうか。故人をしのび、哀悼の誠をささげます」というコメントを出しました。