AEA天野事務局長が
死去 世界から追悼の声

IAEA=国際原子力機関は22日、病気療養中だったトップの天野之弥事務局長が死亡したと発表しました。72歳でした。

IAEAは、22日、声明を発表し「天野事務局長が亡くなられたことを深い悲しみをもってお伝えする」として、天野氏が死去したことを明らかにしました。

関係者によりますと、天野氏は去年から体調を崩し、たびたび日本に帰国するなど病気療養中だったということで、IAEAによりますと理事会に提出する予定だった手紙の中で、辞任を申し出ていたとしています。

この手紙の中で天野氏は「この10年間、平和と発展のための原子力という目標を達成するためにIAEAは、確かな結果を残してきた」と記していたということです。

天野氏は世界で唯一の被爆国である日本の出身であることを強調し、日本が原子力の平和利用を進めてきたことを各国に訴え、2009年12月、日本人としては初めて、IAEAの事務局長に就任しました。現在は3期目、任期は2021年までとなっていました。

天野氏は、2011年に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、原発の安全強化の対策を進めてきたほか、イランの核開発問題をめぐり、2015年に妥結した核合意を受けて、核施設への査察など核開発を制限する取り組みの検証などを指揮してきました。

また、北朝鮮についても専門のチームを設けて、現地での査察の再開に向けた準備を進めていて、ことし4月、NHKのインタビューの中で「しっかりとした査察は、その取り決めが長く続くことを意味するので、北朝鮮にも関係国にも国際社会全体にも利益になる。関係国で同意ができたときは、IAEAはすぐ行けるように準備を進めている」と話していました。

ウィーンに本部があるIAEAでは、天野氏の死去をうけて、半旗を掲げて、追悼するということです。

天野氏の経歴

天野之弥事務局長は、神奈川県出身で1947年生まれの72歳。東京大学法学部を卒業後、1972年に外務省に入省して軍縮分野での担当を歴任し、ウィーン国際機関代表部でIAEAの担当大使を務めました。

その後、当時のエルバラダイ事務局長の後任を選ぶ選挙に立候補し、天野氏は世界で唯一の被爆国である日本の出身であることを強調し、日本が原子力の平和利用を進めてきたことを各国に訴え、2009年12月、日本人としては初めて、IAEAの事務局長に就任しました。

天野氏は、去年から体調を崩していて、治療を受けるために理事会を欠席するなど、関係者の間では、健康不安が指摘されてきました。

原子力規制委 初代委員長 田中氏「責任感の強い人」

天野事務局長が亡くなったことについて、福島第一原子力発電所の事故を教訓に発足した原子力規制委員会の初代の委員長をつとめた田中俊一さんは「福島の原発事故の対応やプルトニウムの不拡散に熱心に取り組んでいらした。特に福島の事故については日本だけの問題ではなく、世界の原発が教訓にすべきものとおっしゃり安全性の向上に尽力していた」と仕事ぶりを振り返りました。

また、福島の事故を受けてより厳しい原発の規制に取り組んでいた田中さんに『皆さんの規制に間違いはないので、きっちりやりなさい』と天野さんがアドバイスをくれた思い出を振り返りながら、「責任感の強い人だったので心残りもあったのではないかと思う」としのんでいました。

原子力規制委員会の更田豊志委員長は「心よりお悔やみ申し上げます。福島第一原発の事故によるわが国の経験が国際社会にも生かされるよう意を尽くされた姿は、いまだ鮮明に記憶に残っています」

「今はただ故人が安らかに眠られることをお祈りいたします」とコメントを出しました。

天野氏が外務省の課長だったころから親交があるという前の原子力委員会の委員長で、NUMO=原子力発電環境整備機構の近藤駿介理事長は「福島の原発の修復に加え、ガンの診断や治療の普及など放射線の有効利用を進め、特に途上国の生活の質の向上に取り組んでいた。IAEAのモットーを3年前には『AtomsforPeace』から『AtomsforPeaceandDevelopment』に変更するなど強いリーダーシップを発揮してきた人だった。彼の取り組みは高く評価されるし、世界の多くの人に長く記憶されるべきだと思う」と話しました。

河野外相「核への献身に深い敬意」

河野外務大臣は22日夜、談話を発表し、「天野事務局長は就任以来、北朝鮮の核問題やイランといった国際的な核不拡散の課題に精力的に取り組むだけでなく、『平和と開発のための原子力』の利用を掲げ、開発の課題にも尽力してきた。リーダーシップと業績を日本政府として高く評価し、生前の献身に深い敬意を表する」としています。そのうえで、「任期半ばでこの世を去られた無念さは想像に難くなく、ご遺族に心からの哀悼の意を申し上げるとともに、ご冥福をお祈りします」としています。

プーチン大統領「能力をつねに尊敬していた」

ロシアのプーチン大統領は天野氏の夫人に宛てて哀悼のメッセージを送りました。この中でプーチン大統領は「ロシアは、天野氏が傑出した外交官で、国際的な安全保障と安定の強化のため信念に基づいて身をささげてきたことを記憶するだろう」として、業績をたたえています。

そして、「私は天野氏とは個人的に何度も連絡をとってきた。彼の知恵と洞察力、それにバランスのとれた決定をくだす能力をつねに尊敬していた」と記しています。プーチン大統領は去年5月、ロシア南部のソチで開いた世界各国の原子力分野の最新技術を展示するイベントに天野氏を招くなど親交があったということです。

世界から追悼の声

世界中で追悼の声が広がっています。IAEAの前の事務局長で、2005年にノーベル平和賞を受賞したモハメド・エルバラダイ氏はツイッターへの投稿で、「天野事務局長が死去したという知らせを受け、非常に悲しんでいる。国際社会は平和と繁栄を推進する役割を果たした彼の献身に感謝している」と追悼の意を表しました。

また、核兵器の廃絶を目指して活動し、「核兵器禁止条約」が採択されるのに貢献した国際NGO、「ICAN」=「核兵器廃絶国際キャンペーン」のオーストリア支部は、「ご家族にお悔やみを申し上げるとともに、核兵器のない世界を目指した長い間にわたる取り組みに感謝したい」とツイッターに投稿しました。

天野事務局長はイランの核開発問題をめぐり、2015年に妥結した核合意を受けて、核施設への査察など核開発を制限する取り組みの検証などを指揮してきました。これについて、イラン外務省のアラグチ外務次官は「私たちは緊密に連携して取り組んできた。IAEA事務局長としての彼の経験豊富で専門的な手腕をたたえたい」と述べ、その死を悼むとともに、功績をたたえました。

ボルトン大統領補佐官も追悼の声明

来日していたアメリカのボルトン大統領補佐官は、天野氏が死去したことについて、声明を発表しました。

かつて、ともに国の軍縮担当として協力してきたボルトン大統領補佐官は、「彼の核不拡散への真摯(しんし)な取り組みと原子力の平和利用を訴える姿勢は10年近くにわたるIAEAトップとして比類なきものでした。私は天野さんの友人、同僚であったことを誇りに思います」と功績をたたえました。

そして、「トランプ大統領とアメリカを代表して、天野さんのご家族と友人に哀悼の意を表します」として、その死を悼みました。

イラン外務次官「手腕をたたえたい」

アメリカと対立するイランのアラグチ外務次官も「私たちは緊密に連携して取り組んできた。IAEA事務局長としての彼の経験豊富で専門的な手腕をたたえたい」と述べました。

国連事務総長「多国間主義への取り組み、全員が記憶」

国連のグテーレス事務総長もツイッターに、「原子力の平和利用における天野氏の目覚ましい貢献と多国間主義への取り組みは、私たち全員に記憶されるだろう」と書き、その死を悼みました。

後任の事務局長は

3期目を務めていた天野氏が2021年までの任期半ばで亡くなったことを受けてIAEAは後任の事務局長の選出について近く、対応を決めることにしています。

後任の事務局長について複数のメディアは、有力な候補として、来年のNPT=核拡散防止条約の再検討会議で議長を務める、アルゼンチンのIAEA担当大使、ラファエル・グロッシ氏や、IAEAで主任調整官をつとめるルーマニアのコーネル・フェルタ氏の名前を伝えています。

このうち、グロッシ氏は、天野氏の死去が発表される前の19日、NHKの取材に対し、次の事務局長の選出に向けて動き出していることを明らかにしていました。

この中でグロッシ氏は、天野氏の功績をたたえたうえで、「IAEAは新たな指導者を探す必要があり、他の理事国も動き出している。アルゼンチンは、立候補を擁立する方向であり、今後も貢献できることを望んでいる」と述べ、次の事務局長に立候補することに意欲を示しました。