マータイム・ブルース

この夏、急浮上した「サマータイム」。
2年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックの暑さ対策の1つとして、自民党内で近く導入の是非を検討する議論が始まる。しかし、健康面への不安や経済効果を疑問視する意見が強まり、導入論には失速感さえ漂う。とはいえ、今の日本のこの暑さ、何らかの手は打たなければ。
サマータイム、どこから来て、どこへ行くのか。
(政治部記者 後藤匡)

命に関わる危険な暑さ

「命に関わる」ーー猛烈な暑さに見舞われたことしの夏、気象庁が毎日のように使った異例の表現だ。
埼玉県熊谷市で観測史上、最も高い41.1℃を記録するなど、最高気温が40℃を超える地点が相次ぎ、熱中症で救急搬送された患者は7月だけで5万4220人。133人が亡くなった。
1か月の記録としてはいずれも統計を取り始めて以来、最も多くなった。

100回の記念大会となった夏の高校野球では、熱中症の症状を訴え、救護室で診察を受けた選手や観客が300人を超えたほか、試合中、暑さの影響で足をつる選手や審判も出た。京都・祇園祭の中心的行事の1つ「花傘巡行」が取りやめになるなど、各地の催しが次々と中止に追い込まれた。

この夏の異常な暑さで、改めて夏のイベントでは暑さ対策の充実が欠かせないことが浮き彫りになった。

サマータイムは突然に

そこで対策が急がれるのが、2年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックだ。
前回・昭和39年の東京オリンピック・パラリンピックは10月から11月中旬にかけて開かれたが、今回は7月後半から9月初め、まさに暑さ真っ盛りの時期だ。

こうした中、ことし7月27日、東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会の会長を務める森喜朗・元総理大臣が総理大臣官邸に安倍総理大臣を訪ね、オリンピックに合わせたサマータイムの導入を要請した。

会談のあと森氏は「抜本的な暑さ対策を考えないといけない。(総理に)政府としてやってほしいと思うのはサマータイムだと言った」と述べた。

ただ政府内でもサマータイムの導入には慎重論が根強かったことから、すぐに検討は進まないかに見えた。

ところが森氏はその11日後にも、改めて総理大臣官邸を訪問。
重ねて安倍総理大臣にサマータイムの導入を要請した。暑さへの危機感を強く感じる対応だった。

森氏は、安倍総理大臣の出身派閥「清和会」の元会長。ロシアのプーチン大統領との関係も親密であり、安倍総理大臣にとっては、森氏の意向を軽々に扱うわけにはいかない。そこで安倍総理大臣は、まずは自民党内で検討を進める考えを示した。

面会のあと、森氏は記者団に対し、「サマータイムを日本のレガシー(遺産)として使ってほしい」と述べ、サマータイム導入の必要性を訴えた。

面会に同席した組織委員会の会長代行を務める、遠藤利明・元オリンピック・パラリンピック担当大臣は記者団に対し、「総理が検討したいと。国民のみなさんの評価が高いんだよねと好印象だったと思う」と話した。

これをきっかけとしてサマータイム導入の是非をめぐる議論が熱を帯び始めたのだった。

浮かんでは沈みの歴史

サマータイムは、日の出が早い夏の時期を中心に生活時間を早める制度で、例えば、午前6時を午前8時にすることで、明るい時間を有効に使えるとされている。

アメリカやヨーロッパなど約60か国で導入されていて、日本でも昭和23年から1度だけ導入された。しかし、労働時間が長くなるなどと国民の不評をかい、わずか4年で制度は廃止になった。

ただ、その後もサマータイム導入に向けた検討は繰り返されてきた。
この10年くらいの間でも、サマータイム導入に向けた動きが2回あり、国会に法案が提出される一歩手前までこぎつけたこともあった。

当時の事情に詳しい政府関係者は、賛否が分かれ導入に至らなかったと振り返った。
「2008年の福田政権の時、超党派の議員連盟で議員立法で法案を提出しようとしたが、自民党内で推進派と慎重派の溝が埋まらず、調整に時間がかかるなどして、提出に至らなかった」

「その後、民主党の菅政権の時も検討したが、まとまらなかった」

導入のメリットは

賛否が分かれるサマータイムの導入。
安倍総理大臣の指示をきっかけに9月下旬から自民党内で研究会が立ち上がり、再び議論が始まる。

サマータイムの導入には、どのような狙いやメリットがあるのか。

研究会の立ち上げを進めている遠藤利明・元オリンピック・パラリンピック担当大臣に話を聞いた。
「森会長はサマータイムの導入については、これまでも考えておられた。これだけ暑いときに日本が、このままでいいのかと。オリンピックを1つのきっかけとしてレガシーとして実現していきたい」

「一般にはサマータイムは東京大会のためとなっているが、そのためだけではなくて、日本の暑さを考えたときに、新しい仕組みが必要ではないかと。サマータイムのメリットとしては1番はこれだけ暑いから朝早く起きて仕事をした方がいいよねと。あとは仕事が終わったら休めばいいよねと。CO2の削減にもなるし、時間の有効活用にもつながる。早く仕事が終わるので余暇を楽しんでもいい。サマータイムをきっかけにして、時間を有効利用し、もっと生活をエンジョイできるような形にしていこうと」

そして遠藤氏は「トータルでの暑さ対策は、もっと国の責任にしていかなければならない。そのきっかけ、あるいは『呼び水』というか、これから議論していくという効果はあるかなと。そして同時に、低炭素社会に結びつけていければ」と意義を強調した。

そもそも、夏の開催でなければダメ?

ことしの日本の猛暑は、海外メディアでも取り上げられた。
中には東京大会での暑さを懸念し、日本が、IOC=国際オリンピック委員会に対して、開催時期の変更を訴えるべきとの意見もあった。

こうした指摘に対して、遠藤氏は開催時期の変更は容易ではないという考えを示した。

「2020年の大会に立候補していたドーハが10月に開催したいと言ったが、立候補に際して、開催時期は、2020年7月15日から8月31日の間で選ぶように決まりがあった。このためドーハは招致レースから外れた経緯がある。10月開催を希望したドーハを否定しているだけに、今から東京が時期を変えるというのは難しい」

また、ある政府関係者は次のように話し、時期の変更は難しいという見方を示した。
「夏の時期は欧米でスポーツのビッグイベントがなく、秋からイベントが始まることが多い。イベントのない7月・8月あたりにオリンピックを開催すれば放映権料が上がり、収入が多くなる。その時期を変えるのは欧米諸国からすれば、受け入れられないのではないか」

競技の開始を朝にすれば?

では、競技時間を、早朝や夜など涼しい時間帯などにずらすことはできないのだろうか。
実際、厳しい暑さを考慮し、陸上のマラソンはスタート時刻を午前7時半から7時に前倒しするなど、屋外競技の一部で時間を変更している。

これについても遠藤氏は、大会運営上の難しさを指摘する。

「ボランティアとか大会の関係者が、今のままだと電車が動いていない時間から出てこないといけなくなる。大会の運営をきっちり行うためには朝の時間も余裕が必要だ。サマータイムを導入できたら、社会全体の時間軸が早まることになるので対応できる」

また、政府関係者も競技時間変更の難しさを次のように説明する。
「スケジュールは、組織委員会に加え、IOC、世界の放送局、各スポーツごとの国際競技団体がそれぞれの要望をぶつけあい、放映権料、アスリートがパフォーマンスしやすい環境など様々な要素が複雑に絡み合いながら固まっていく。いくら暑さ対策が必要だとは言え、いったん決まったスケジュールを動かすには相当なエネルギーが必要で難しい」

メリット多いならやる、デメリット多いならやらぬ

遠藤氏は、自民党内に立ち上げる研究会で、過去にサマータイム導入の議論に関わった議員を対象に、実現に至らなかった理由などのヒアリングを進め、各業界からも意見を聞きながら議論を進めていくという。

「丁寧に最低でも半年くらいは議論する必要がある。ゼロから議論をしていきたい。『サマータイムを絶対に導入する』というのではなくて、メリットがあるならやるし、デメリットが大きいならやらない。少なくとも暑さの激しい日本で、今のシステムを見直すきっかけになればいい」

IOC幹部「よい解決法では」

9月12日、東京オリンピックの準備状況を確認するIOCと組織委員会の事務折衝のため来日した東京大会のIOC側の責任者であるコーツ調整委員長は、サマータイムについて「利害関係やそれぞれの意見があるのは、理解しているが、(暑さ対策として)よい解決法ではないか」と述べ、評価する考えを示した。

政府に検討を要請した組織委員会としては追い風となる出来事だった。

ヨーロッパでは「真逆」

しかし、冷や水を浴びせられる出来事も起きた。
サマータイムを導入しているEU・ヨーロッパ連合がこの夏、日本とは真逆に廃止の検討を始めたのだ。
EUの執行機関であるヨーロッパ委員会のユンケル委員長は、市民を対象とした意見公募をもとに、EU域内で導入されているサマータイムについて、廃止すべきだという方針を示した。

ただ実際の制度変更には、加盟各国とヨーロッパ議会の承認が必要になる。
EUの中でもフィンランドなど高緯度の国では廃止を求める意見が圧倒的に多いが、南に位置するイタリアなどでは、そこまで反対意見が多い訳ではない。
各国間には温度差があり、実際に廃止に至るかは不透明な状況だ。

政府は消極的 その理由

8月下旬、環境省関係者から一部の国会議員に説明したというサマータイムの資料3枚を入手した。

そこには、まず、サマータイムの省エネ効果が記されている。

サマータイムを導入した場合(実施期間は4月~10月を想定)CO2で換算すると160万トンの省エネ効果が見込まれることを紹介した上で、これは日本が1年間に排出するCO2のわずか0.1%程度であると指摘している。

同時に2016年度の国の予算で、省エネ性能の高い設備や機器の導入を促進した結果、およそ1554万トンのCO2排出を削減したことも紹介していて、サマータイム導入による温室効果ガス削減の効果は低いことが分かる。

環境省の官僚にサマータイムについて聞くと「省エネ効果の観点で、サマータイムを推進する気はさらさらない」との冷ややかな答えが返ってきた。

さらに資料では、過去にサマータイムが議論された際に出てきたいくつかの論点を紹介している。

労働面では「様々な業種において労働時間が増加する懸念がある」
また国際航空路線では「発着時刻に相当困難な国際的な調整を要する」

加えて「睡眠不足、健康影響」という記述もあり、「導入に当たっては、2年程度の周知・準備期間を要する」と結論づけている。

「これから議論をしていくことを考えれば、東京オリンピック・パラリンピックには間に合いそうもないというメッセージだ」(環境省関係者)

一方、ある政府関係者は「政府内に慎重論は根強いが、森さんが選手や観客のことを考えて暑さ対策に奔走している中で、政府としても、知らんぷりはできない。他の何かを模索していくことになるのかもしれない」と代替案の検討の必要性を指摘した。

睡眠時間減少で体調に悪影響も

WEB上では、さまざまな立場から反対意見が表明されている。
まず目を引いたのは、健康不安だ。

そこで睡眠医学が専門でサマータイムに詳しいスタンフォード大学の河合真インストラクターに話を聞いてみた。
「サマータイムの実施期間中、1時間時計の針を進めることで、平均して1時間の睡眠不足になるとの研究結果があり、OECDの調査で、睡眠時間の長さが下から2番目の日本で、サマータイムを導入すれば、非常に問題だ。健康を損なう人が確実に出てくる。特に10代は睡眠時間が短くなる傾向があり、インパクトは大きい」と警鐘を鳴らす。

さらにサマータイムが導入されている欧米では、サマータイムが健康に及ぼす悪影響について研究結果が蓄積されていて、サマータイムが始まる直後は、心筋梗塞を発症する率が上がったり、期間中を通じて睡眠時間が減少することでうつ病の発症のきっかけになったりするという研究結果があるという。

ロシアが、サマータイムを廃止した理由の1つにも、サマータイムを始めた日に心筋梗塞が起こる率が高くなったことがあるとの指摘もある。

河合氏は「アメリカとかヨーロッパで(サマータイムの)制度がもっているのは、もともとの睡眠時間が長いことがあるのではないか。日本よりも1時間から1時間半睡眠時間が長い。そこが全然違う。科学は万能ではないが、科学的なエビデンスに基づいた議論をすべきだ」と話していた。

IT企業「リスク負うだけ」

「大きなリスク・コストを負うだけで、何のイノベーションも起こらず、企業の成長につながらず、反対だ」

こう話すのは、企業や自治体にセキュリティのクラウドサービスを提供する「HDE」の小椋一宏社長だ。

海外に比べて競争力が十分と言えないIT業界にとって、多くの技術者がサマータイムの対応にとられることに危機感を示す。
「IT人材は不足していて世界的に奪い合いになっている。ITは社会の大事な要素になってきているし、日本は海外に比べると進んでいるとは言えない」

「海外に追いつくべくイノベーションに取り組むことが必要だ。そういう状況で、サマータイムのために時間を割くのはIT業界にとっては大きなマイナス」と指摘する。

小椋氏は「日本には、そもそも海外のような『タイムゾーン』と呼ばれる概念がなく、時間が変わるかもしれないという意識も希薄だ。現在、さまざまなシステムで、時計に連動して動作するようプログラムが組まれていて、中にはタイマーで動作するような設定が入っているシステムがたくさんある。問題は起こりやすく、トラブルが起こらないようにシステムの動作確認を終えるのに、少なくとも3年くらいは時間を要するのではないか」と懸念を示した。

経済効果も限定的か

経済効果の観点からはどうか。
三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林真一郎氏は「サマータイム導入による消費を抑制する効果はないと思うが、消費を喚起するかどうかと言えば、それはビジネスのもって行き方しだいだ。大きな目玉が浮かばず、経済効果はさほどないのではないか」と経済効果は未知数な面があるとの考えを示す。

また小林氏は働き方改革に触れ、「テレワークの導入とか、フレキシブルに休みをとれるとか多様な働き方が浸透しつつあり、サマータイムを導入すると明るいうちの余暇時間が増えるというが、自由に余暇をとれる環境は整いつつある。こうしたことからも、サマータイムを導入したからといって、劇的に消費が伸びたりして、経済効果が上がるとは考えにくいのではないか」と経済効果は限定的と見る。

でも、暑さは何とかしないと

サマータイムをめぐる考えは、世界中でさまざまだ。
日本国内に限って見ると、反対意見が多い印象だ。

IOCの幹部が評価する考えを示す一方、長年制度が続いてきたEUでの廃止に向けた議論は、サマータイムの導入を要請した組織委員会の機運に水を差す結果となった。自民党での議論のキーパーソンの1人である遠藤氏も今回の取材を通じて、表明当初より、やや慎重に事を進めていく姿勢に転じたように感じる。

取材してみて、サマータイム導入はハードルが高い印象を持ったが、暑さ対策は万全なものにしなければならない。アスリートのため、観客のためにも、少しでも暑さをしのぐ方法を真剣に議論する必要があるのではないか。サマータイムに反対するなら、その対案が必要だ。

2020年まで時間はもう、それほどない。

政治部記者
後藤 匡
平成22年入局。松江局、経済部を経て政治部。