コロナ禍の首相交代劇
石破茂の証言
「権力闘争の目的化は国誤る」

コロナ禍で日本社会が大きな岐路に立った2021年。
総理大臣の座は、菅義偉から岸田文雄へと移行した。ワクチン接種をコロナ対策の切り札として推し進めながらも支持率が落ち込み、志半ばで退任した菅。その舞台裏で何があったのか?
そして前回の自民党総裁選挙で大敗した岸田は、どのように総裁の座を手にすることができたのか?
キーパーソンによる証言からコロナ禍の政権移行の内幕に迫り、日本政治の行方を展望。
NHKスペシャル「永田町・権力の興亡」の取材をもとに、詳細な証言を掲載する。
今回は、自民党元幹事長の石破茂に話を聞いた。

コロナと政局

Q)今回の政局では、新型コロナがどのような意味を持ったと感じているか?

A)感染者の増加と支持率が相関関係というか、逆相関というか、新型コロナの感染者が増えると支持率が下がるという関係にあったと思います。問題なのは、医療崩壊とか医療ひっ迫とか言われることで「患者さんが増えても、きちんと受け入れる体制があればいいんじゃないの」と思っていたけれど、報道はなべて感染者数の増加を報じていて、それと支持率が連動していたということでしょう。

菅政権との関係について

Q)8月末に菅前総理大臣が、二階幹事長らの交代を含めた党役員人事を行うという報道があったが、石破氏には何らかの打診はあったか?

A)それは報道でしか存じません。「人事をおやりになる」と。いろいろ報道では個人名まであげて取り沙汰されていたけれども、具体的に何か話があったということはありません。

Q)菅氏の周辺で「石破氏を起用すべきだ」という声が出ていると耳にしたことはあったか?

A)「出てるよ」と言う声は側聞はしました。それは「ああそうですか」ということですよ。つまり、みんなでつくった総裁だったら、みんなで支えよう。そしてコロナで国民が不安のどん底にいるという時に、自民党が権力闘争のようなことをやってていいのか。菅さんが、ワクチンをどうやって多くの人に打ってもらうかということを、一心にやっている時に、やっぱりそれを支えるのが党所属の国会議員の務めだと思っていた。だからこのポストがいいとか悪いとか、もらえるからうれしい、もらえないから悔しいなとか、そんなことは考えたことはありません。

菅氏退任について

Q)菅氏は総理大臣を辞める必要があったと考えているか?

A)「このままでは選挙が戦えない」「菅さんはやめるべきだ」みたいな党内の声はありました。私はすごく違和感を持ちました。私も、総裁選挙で一緒に戦ったけれども、たった1年前に圧倒的にみんなで菅さんを選んだじゃないかと。戦った立場の私が言うのも変な話だけど、そうであれば「みんなで菅さんを支えようよ」ってことが大事じゃないかと思いました。

それよりも菅さんは、総裁任期の満了、つまり安倍さんの残存任期を務めておられていて、衆議院選挙の時期も非常に近接していたので、選挙を先に行うというのも1つの考え方かもしれない。つまり、自民党の理屈じゃなくて、国民・有権者の皆さんが自民党を勝たせていただけるということであれば、総裁選挙は実際にフルスケールでやらなくても、「国民が信任した政権だからいいんじゃないの」というのも1つの選択肢だと、私は少し前から申し上げていたことです。
やっぱり「みんなで選んだからには、みんなで支えるということが自民党じゃないですか」と思いましたし、そういう考え方からも横浜市長選挙はできる限りのお手伝いをしたつもりです。

Q)なかなか「みんなで支える」という形には至らなかったと?

A)みんなで選んだら、みんなで支えるべきでしょ。それも圧倒的に菅さんが得票されて菅政権というのができた。そして、いろいろな批判はあるかもしれないけれど、ワクチンをいかに早く打つかということと、職域接種・大規模接種会場とか、今まで考えられなかったようなことをやって、ものすごく急速に進んでいったわけですよね。総理大臣が一生懸命やってる時に、それを支えるのは、選んだ党員すべての、国会議員すべての責任じゃないかと私は思いました。

総裁選挙への対応 河野氏支持について

Q)総裁選告示の2日前(9月15日)、石破氏は立候補を断念し、河野太郎氏の支持を表明したが、背景にはどのような思いがあったのか?

A)政策がぴったり一致するということはありません。イージス・アショアにしても考え方は違う。原発問題にしても考え方に少し差があると思います。だけども、政策のディティールというよりも、保守って何だろう、自民党って何だろう、政治って何だろうという、根本的なところで一致することが大事だと思いました。
私は野党がああいう状況なので、自民党への国民の支持は、積極的な支持というよりも消極的な支持の部分が大きいということは、幹事長の時からずっと思っていました。根本のところで一致することが大事だし、「自民党が良いから自民党」というふうに選んでいただくためには党が変わっていかなきゃいけないと思いましたので。その点において、河野さんと一致したならば、同じ考え方を持つものが2つに割れるということは、党を変えることにならないと思いましたね。

Q)当時、河野陣営は、地方の党員票で勝機を見出す戦略を描いていたと思うが、どう貢献できると考えていたか?

A)私は、出身が地方・過疎地だし、農林水産業を基盤とする地域だ。河野さんは選挙区が都会ですから、地方のことが頭では分かっていても、実感としてリアリティーを伴って訴えられるかといえば、河野さんの責任でもないんだけど、もっと補うところがあるだろうと思いました。特に地方に対する思いということで、お手伝いができたらいいなと思いました。

Q)自身の人気が生かせるという思いはあったか?

A)人気というよりも、「あの石破が言うんだったら、信じてみようかな」という方がおられるといいなと思いました。「何でお前が出ないんだ」というご批判も、ものすごくいただいたけどね。私は、自分の主義・信条が「誰がやるかではない。何をやるか」だ。
「自分が自分が」というよりも何をやるかで一致するとするならば、一緒になってやるべきだという考え方をずっと前から持っていますのでね。

Q)河野陣営に小泉進次郎・前環境大臣も加わり、「小石河連合」とも称された。当初の手応えはどうだったか?

A)河野さんも小泉さんも、次の総理・総裁の常に上位常連ですよね。大体この3人が、私も含めて上位にいると。足し算がそのまま実現するわけではないけれど、それは党員の方ではなくて、一般の国民の方々に「何かが変わるかもしれない」という思いを抱いていただける効果はあるだろうなと思いました。
かつて小泉(純一郎)総裁が実現した時に、小泉総裁の横にいつも田中真紀子さんがおられて、非常に国民的な支持を集めた。私の選挙区ではそれでも、橋本(龍太郎)さんが勝ったんですけど、あの小泉旋風の中で大変な思いをしました。でもやっぱり小泉さんと田中真紀子さんが一緒に全国各地で演説をする。それがメディアによって報道されて、さらに増幅していくというのを見てましたからね。
だから3人が手分けをするなり、分担するなりして、北海道から沖縄まで遊説できたら、随分と効果があるだろうなと思いました。ただ、このコロナの状況の中で、あの時期にそれができるだろうかという一抹の不安、一抹どころかもっとありましたけどね。私のイメージにあったのは、あの小泉旋風でしたね。

河野陣営の敗因は

Q)小泉旋風のようなことが起こせなかったことについて、今の思いはどうか?

A)もう済んだことをあれこれ言っても仕方がない。河野陣営が考えていたように、地方票で7割ぐらい取りたいねってのがあったんですね。小泉さんが橋本さんに勝った時も、地方票でこれだけ取ったということがありました。それがイメージとしてあったんですけどね。コロナの感染がまだ拡大している状況で、それができなかったらどうしようかと、突き詰めて考えなかったなという反省はあります。

Q)突き詰めて考えていれば、どういう結論だったと?

A)どうだったですかね。コロナの状況でも、いろんな選挙はあったわけです。私の選挙区でも、市長や町長の選挙もあった。街頭演説を全然やらないということもなかった。距離を取って屋外で感染防止に最大限配慮を払ってやり、もちろん感染は全く出なかったわけだ。そういうことができないかなと思ったんですけど、なかなか時間的に実現できる状況になかったというのは反省ですね。

Q)人気のある3人を並べたことへの批判もあったが、そこに対する反省はあるか?

A)では、他の選択肢があったかというと、リスク、ご批判は当然あるが、「その3人が組むんだったら期待してみようかな」というプラスの方が大きいと思いました。要は、政策的には違うところはいっぱいある。当然、政治家だから。みんな一致するなんてことはない。だけども、政治や自民党に対する思いが一致するなら、それは一緒にやるべきだという考え方を共有したことに、私はあまり後悔もない。
選挙が終わった後、「石破と組むから議員票が取れなかったじゃないか」みたいなご批判を受けた河野さんが「全然、私はこの判断に後悔はありません」というようなことをおっしゃったというのを後から聞いて、思いを一緒にしてたんだなと思いましたね。

Q)結果的に地方票が伸びなかったのは、戦略としては失敗だったか?

A)私は何度か厳しい総裁選挙を経験しているので、地方の有権者に対するお願いのしかたについての認識の共有がもう少しあったらよかったなと思っているが、それは戦術面の話であって、戦略的には誤っていたとは思いません。ただ、「何のために3人一緒にやるのか。単なる人気のある3人が組んだだけじゃん」というようなことに対して、「そうではありませんよ」ということを、ご理解いただくという努力はもっとすべきだったかもしれません。ただ、そういう人気がある者が組んだら「1+1+1=3」だと浅薄なことを考えていたつもりはありません。

Q)結果については、どのように受けとめているか?

A)やはり地方票で6割、6割5分いかなかったということ。(※河野氏の地方票は全体の約44%)議員票で劣勢だというのは、予想が十分ついたことであって、地方の党員の皆さん方が圧倒的に望んでいることをもう少しできなかったかなというのはありますね。総裁選挙において地方でどれだけ票を取るかというのは、一種のノウハウみたいなものがありましてね。それを期数の若い議員の方々が会得していたかというと、やっぱりまだ十分じゃない。みんな一生懸命やったんだけれども、ああいう大々的なフルスケールの総裁選挙を経験した方が少なかったので、やむをえなかったかもしれません。

安倍氏・麻生氏との関係について

Q)ちまたでは石破氏と、安倍氏・麻生氏とは距離があると言われてるが、2人との関係を率直にどう感じているか?

A)個人的に何かあったということではない。ただ政策的に、あるいは政治のあり方について意見・立場が違うとすれば、有権者から国会議員の立場を与えていただいている者として、言わなきゃいけない時に言わないというのは、政治家としてあるべきだと思っていません。
ですから、安倍さんが第1次政権のときに「私を取るのか、小沢(一郎)さん(当時の民主党代表)を取るのか」と言って参議院選挙を戦われた。結果は日本国中惨敗、鳥取県とか島根県とか自民党の金城湯池みたいなところで議席が取れなかった。私は当時、鳥取県連会長をしていたので、次の日からお詫び行脚をして歩きました。自民党のコアの支持者の人たちが自民党に入れなかったというのは、本当に背筋が寒くなるような思いがしました。(安倍氏に)「党員・有権者の気持ちをきちんと反映するとすれば、総裁はおっしゃったことを実現しなきゃいかんのじゃないですか」と言うことを申し上げました。
あるいは、麻生総理大臣のもとで私は農林水産大臣でしたけど、東京都議会議員選挙で惨敗したわけです。衆議院の任期満了も近かった。あの時はもう政権交代確実みたいなことだったけれど、普通、小選挙区で政権が代われば10年は戻ってこないというものですが、そんなことやったら日本が滅びてしまう。自民党がどうすれば壊滅的な打撃を受けずに、臥薪嘗胆、一生懸命頑張れば負け方を最小限にするかということで、与謝野財務大臣と一緒に官邸に行って、大臣にしていただいた麻生さんにそんなことを言うのは本当に心苦しいが、党がもう一度よみがえるためには、それ(退陣)しかないということを申し上げた。自分がつらい時、苦しい時にそれを言われてうれしい人なんかいませんよ。

Q)総裁選で河野氏が議員票を獲得する面で、自身の安倍氏・麻生氏との関係性が影響したという側面はあったと思うか?

A)1人1人聞いてないから分からないけど、そういうふうに言われていることは、よく承知をしています。

Q)麻生氏は、河野氏が石破氏と連携したことに不満を示していたが、それをどう認識していたか?

A)「それはそうだろうな」ということですよ。ですけどね、自民党、保守、政治って、何かについて考え方が合わないんであれば、いろいろな批判があってしかるべきだと思います。私は、河野さんの立候補表明のスピーチをテレビで見ていて、「保守とは寛容性、幅の広さだ」みたいなことを言ってました。私はそれが保守の本質だと思うんです。変えてはならないものがあるじゃないですか。例えば天皇陛下・皇室を中心とした国のあり方、あるいは地方とか、いろんな人のつながりを大事にしていかなきゃいかんとかね。守っていかねばならないものを守っていくためには、いろいろな意見を謙虚に聞く寛容さがないと本当に守るものは守れない。それが保守なんだと私は思っている。
政治ってのは、泣いてる人と一緒に泣かなきゃ政治じゃない。一番悲しい思いでいる人、苦しい思いでいる人の思いを「わがこと」と捉えなければ、それは政治じゃない。国民政党というのはそういうものだ。そこの根本部分で一致したんで、私は河野さんを推そうと思った。個人的に今まで河野さんと親しかったわけでもありません。それは捨象して考えるべきものだと思っています。

自身の政治姿勢について

Q)率直に声を上げ続けてきた自身の歩みを、どう振り返るか?

A)お利口さんに生きようと思ったら別の生き方があったかもしれないね。だけども、何年後か知らないけれど「あの時に誰も何も言わなかったのか」と言われることは、私は政治家の生きざまとして耐えられない。
日中戦争のさなかに、与党の代議士だった斎藤隆夫さんが、衆議院本会議場で反軍演説とも粛軍演説とも言われる、演説をされている。言えば損だが、誰かが言わなきゃいけないことは私はあると思う。「言わないほうが得だったよね」とか「嫌われないで済んだのにね」とかはもちろんあります。ですけど、言うべき時に言うべきことを言わなかったことの方が、私にとっては悔いが残るということだと思います。
「長い物には巻かれろ」とか「寄らば大樹」とか「雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい」というのは、それは人生訓みたいなものとして価値のあるものだと思いますよ。ただ、政治家がそれやっていいんですかということじゃないんだろうか。12回選挙をやって、自分を政治家にしてくれているのは、投票日に投票所まで行って名前を書いて下さる方々がおられてのことであって、そういう方々に恥ずることがないかどうかということが、私の唯一の判断基準だと思います。

権力とは 政治の役割とは

Q)権力を担うことの意味、政治に課せられた役割をどう考えるか?

A)権力自体が目的だと、私は思ったことはない。権力とは、何かを実現するための手段だ。その「何か」とは、一体何ですかということだ。
今、1年に50万人ずつ人口が減っている。やがて1年に100万人減る時代が来る。人口が減り続けると社会保障を維持することが困難になります。そして地方が衰退していく。そういう国家は持続可能性がないんですよね。一極集中、人口減少は人為的にもたらされたものだから、人為的に変えていかなきゃいけないと思います。
そして、医療・社会保障制度、日本の独立と平和をどうやって守るかというのは、大きな課題です。経済、社会保障、外交・安全保障のあり方を根底から変えていかなきゃいけない。その手段として権力があるので、権力闘争そのものを目的化したら国を誤りますよ。