一転ダム建設へ 熊本県
翻弄されてきた住民は…

熊本県の蒲島知事が、12年前に白紙撤回したダム建設の“スイッチ”を自らの手で押しました。
「もう2度と、同じ水害は経験したくない」「清流を子どもたちに引き継ぎたい」「ダムによる対立を、再び地域に持ち込まないでほしい」
現地から聞こえてきたのは、長年にわたってダムに翻弄され続けてきた住民たちの声です。(熊本放送局取材班 馬場健夫 木村隆太 太田直希)

長年続くダム論争

ことし7月の記録的な豪雨で、球磨川やその支流が氾濫した熊本県。広い範囲が浸水するなどして65人が亡くなり、いまも2人が行方不明のままです。

清流として知られる球磨川は過去、何度も氾濫を起こした“暴れ川”としても知られ治水対策をめぐって議論が繰り広げられてきました。

きっかけは、昭和40年までさかのぼります。
球磨川の氾濫を受けて、翌年、国はこの時を上回る洪水に対応するため、支流の川辺川にダムを建設する計画を打ち出しました。しかし、水没する地域の住民や漁業関係者などから反対の声があがり、計画は進みませんでした。

平成20年に就任した蒲島知事は、当選後、有識者会議を設置して治水対策について再検討を行い、計画から40年余りたった川辺川ダム建設の白紙撤回を表明しました。

その後、10年余りにわたってダムに頼らない治水対策が検討されてきましたが、結果として抜本的な対策が講じられないまま、ことし7月に球磨川は再び氾濫しました。

この豪雨災害を受け、蒲島知事は、11月19日にダムの建設を表明しました。

イスの上で8時間…

「ダムがあれば、犠牲者は減っていたのではないか」

私たちにそう話してくれたのは、今回の水害で命の危険を感じたという、渕上憲男さん(80)です。

中心市街地が水没した人吉市を訪れると、今も多くの家が壊れたままの姿で残されています。渕上さんの自宅も全壊し、あるのは壁と骨組みだけです。
実は、渕上さんが水害に遭うのは3回目です。
昭和40年の水害のあと、土地をかさ上げし家を建て替えました。しかし、今回の豪雨は、これまでの経験を超えていたといいます。

あの日、自宅に押し寄せてきた水は、あっという間に2階の床上まで達しました。濁流が押し寄せる中、渕上さんは2階のベランダに逃れました。高さ50センチほどのイスをベランダに持ち出し、その上に立って8時間余りにわたって救助を待ち続け、一命を取りとめたといいます。

私たちが訪れた時も、2階の窓には、水の跡がくっきりと残されていて、豪雨の激しさを物語っていました。

「壊れた家を見ると涙が出る。今のままでは安心して暮らせない」

ダムがあればいい…

今は妻と2人で、市内のアパートに仮住まいしている渕上さん。自宅の再建は、費用がかさむため、難しいといいます。

かわりに比較的、被害の少なかった裏の実家をリフォームして住むつもりですが、平屋のため、また洪水となったら被害は免れないと感じています。

渕上さん
「ダムがあれば、犠牲者は減っていたのではないか。清流、球磨川を守ろうということは当然理解しているが、それ以上に大切なのは生命財産だ」

ダムができれば川は死ぬ

治水対策としてダムの建設を望む人がいる一方で一度は白紙撤回となったダムの建設には、反対する人も少なくありません。

「ダムができれば、川は死ぬ。川が死ぬときは、川漁師が死ぬときだ」

球磨川最大の支流・川辺川を見つめながら、強い口調でこう話すのは、相良村に住む川漁師、田副雄一さん(50)です。

団体職員だった田副さんは26歳のときに人吉・球磨地方に転勤し、川辺川と出会いました。

川辺川は、国土交通省から去年まで、14年連続で日本で最も水質のよい川の1つに選ばれている国内有数の清流です。大きくて良質なアユが釣れることで全国に知られています。

田副さんは地元の漁師からアユ釣りを学ぶ中で、この川と共に生きていきたいと考えるようになったといいます。

清流を守りたい…

転機は12年前、38歳のときに訪れました。蒲島知事がダム計画を白紙撤回したのです。

田副さんは、ダムが造られなければ、いつまでも清流が続くと考えました。脱サラして川漁師になり、以来、アユやヤマメをとって生活してきたといいます。

しかし、今年7月の豪雨で川の環境は一変しました。土砂が流れ込むなどしたため、これまで多いときで1日100匹以上釣れていたアユは、いまでは1匹も釣れない日があるといいます。

そこに、ダムの建設です。蒲島知事が「新たな流水型のダム」の建設を国に求めたことで、環境の悪化を懸念しています。

田副さん
「ダムの議論以前に、今回の水害で大量の土砂が川底にたまっていて、まずはその除去を早急に行ってほしい。貯留型や流水型を問わずダムを造れば川は死に、アユやヤマメの質の低下は避けられません。全国有数の清流を人の手によって壊してほしくない」

ダムに翻弄される村

流域の人たちだけでなくダムの水没予定地の周辺住民は、今回の判断をどんな思いで、受け止めたのでしょうか。

川辺川ダムがかつての計画どおり建設された場合、村の中心部が水没する予定だったのが五木村です。

村を訪れると、真新しい宿泊施設が目に飛び込んできました。
ロッジ風のおしゃれな宿泊施設は、村が補助金も活用し6億円を費やして、去年、完成させました。コロナ禍でも休日の予約がすぐに埋まるほど人気を集めているといいます。近くでは橋を利用したバンジージャンプなどが楽しめるようになっています。

五木村はかつての建設計画では、当初、ダムに反対していましたが、国や県に強く迫られ平成8年に建設に同意しました。水没する場所で暮らしていた住民は、新たに造成された村内の高台に移転しましたが、6割余りが村外に出ました。

しかし、12年前に、蒲島知事がダム計画を白紙撤回したため、村は振興策として住民が去った“沈まなくなった”「水没予定地」に観光施設を整備してきたのです。

7月の豪雨を受け再びダム計画が持ち上がったのは、宿泊施設の運営が軌道に乗り始めたさなかの出来事だったといいます。

これらの施設は、新たなダム計画で水没する可能性があります。

白紙撤回から一転、再び建設へ動き出したダム。村は2度にわたり、はしごを外される形となりました。

水没予定地で働く人は…

こうした動きについて、五木村の上原宇一郎さん(68)は、声を絞りだすように私たちに話してくれました。

「偉い人は簡単に言うが、住んでいる人はやおいかん」

「やおいかん」とは熊本の方言で、この場合は「簡単にはいかない」という意味です。

上原さんは水没予定地に建設された鹿肉の加工場で週に5日働いています。加工場は、ダム計画の白紙撤回後、地域振興の1つとして7年前、村が建設しました。

野生動物の肉を使ったジビエ料理のブームを追い風に、上原さんの鹿肉は地元の物産館の人気商品になり、仕事は順調に進んでいました。

今回の蒲島知事の方針の転換に、上原さんは率直な思いを語ってくれました。

上原さん
「振り回されている感じがする。加工場がなくなれば、生活できなくなる。水没予定地で仕事をしている人はどうしたらいいのか…」

分かれる意見

熊本県の蒲島知事は、この1か月、被災地に足を運び、住民や団体から直接、話を聞きました。その数は30回、のべ人数はおよそ500人に上ります。結果として、ダム建設について「賛成」「反対」「どちらとも言えない」いずれも、ほぼ同数だったということです。

私たちも、流域を歩きながら賛成、反対、その間で揺れ動くさまざまな声を聞きました。そのどれもが説得力があり、伝えるべきことだと感じました。

ダムの建設は、調査も含め少なくとも10年はかかると見られています。埋もれている声がないか、今後も現地で取材を続けていきます。

熊本局記者
馬場 健夫
2007年入局。秋田局、名古屋局、国際部、中国・広州支局を経て20年9月から熊本局。現在は遊軍サブキャップ。
熊本局記者
木村 隆太
2017年入局。熊本局に配属され、警察担当、阿蘇支局を経て現在は災害事務局を担当。
熊本局記者
太田 直希
2017年入局。岡山局を経て20年9月熊本局に。現在は県警キャップ。