安倍内閣の支持率下落 危険水域?

森友問題、加計問題、そして陸上自衛隊の日報問題などと相次ぐ中で、安倍内閣の支持率は各種世論調査で急激に下落しました。なかには支持率が30%を切るところもあり、永田町では「安倍内閣は危険水域に入った」という指摘も出ています。第2次安倍内閣発足後に政治部に着任し、「安倍1強」と言われる政治情勢の中で政治取材を本格的に始めた記者が過去20年の内閣支持率の推移を検証し、「危険水域」がどこにあるのかを探ります。(政治部 古垣弘人)

20年分の内閣支持率を分析

今月、NHKの世論調査で安倍内閣を「支持する」と答えた人は35%と前の月の調査よりも13ポイント下落し、「支持しない」と答えた人の48%を13ポイントも下回りました。

私が5年を過ごした京都放送局から政治部に異動し、官邸クラブに配属されたおととし8月以降では内閣支持率がこのように落ち込むのは初めてのことで、私はこの先どうなっていく可能性があるのか知りたいと思いました。

そもそも内閣支持率とはどのように調べられているのか。NHKでは1998年から内閣を支持しない人の割合である不支持率や各政党の支持率とあわせて調査を行っています。今は全国の18歳以上の男女を対象に無作為に発生させた電話番号に電話をかける「RDD方式」という手法を用いて調査しています。
ことし4月から携帯電話も対象に加えるなど、これまでに調査方法が2度変更されていますので、従来と現在の結果を単純に比較はできません。

ただ、過去の内閣を見比べて検討を行えば、今の安倍内閣が今後どうなっていく可能性があるのか見通す一助になるのではないか。私は今回、NHKが内閣発足の当初から支持率を記録している小渕内閣以降の過去20年分を分析してみることにしました。

まずはこの間の10の内閣の全体傾向を把握したいと思います。在任期間と平均支持率、それに支持率の最高値と最低値、発足直後と交代直前の支持率を表にまとめました。

全体として支持率は政権発足直後が高く、交代直前に向かうにつれ、下がっていくのが基本的な傾向となっています。

平均支持率を見てみますと、最も高いのが小泉内閣の54.5%、最も低いのが森内閣の21.8%です。今の安倍政権のこれまでの平均支持率は小泉内閣に次いで2番目の高さとなっています。

また過去最高の支持率は小泉政権が発足後2回目となる2001年6月の調査で記録した85%、最低の支持率は森内閣が交代直前の2001年4月に記録した7%となっています。

一方、最高支持率と最低支持率の差である支持率の変化の幅の大きさが最も大きかったのは鳩山内閣の51ポイントとなっています。今の安倍内閣はこの数字が31ポイントと現時点では過去最も小さくなっており、比較的高い支持率で安定してきたことを示しています。

盤石だった安倍内閣支持率

それでは今の安倍内閣の支持率はどんな変遷をたどってきたのでしょうか。
これまでの支持率と不支持率の推移をグラフにまとめてみました。

第2次安倍政権の発足当時の支持率は64%。前の野田民主党政権の末期の3倍以上を記録しました。そして支持率は60%前後の比較的高い水準をおよそ1年にわたって維持します。
支持率はこのあと何度か落ち込むことがありました。たとえば2013年12月や2015年7月です。これらの背景には特定秘密保護法や安全保障関連法制の整備があったと見られますが、いずれも支持率はすぐに回復しています。
そしてことし2月にはトランプ大統領との初めての日米首脳会談での成果などが評価され、58%に達するなど、支持率はおおむね40%から60%の間の比較的高い水準で推移してきました。

これについて世論調査を見ると安倍政権が「経済再生」を前面に打ち出し、有効求人倍率など各種の経済指標が改善したことなどが理由としてあげられると思います。

春からの異変

盤石だと思われていた今の安倍内閣の支持率の潮目が変わり始めたのはことし春でした。ことしの支持率の推移を抜粋したのが下のグラフです。

ことし3月、支持率が前の月よりも7ポイント低下しました。この時は大阪・豊中市の国有地が学校法人「森友学園」に鑑定価格より低く売却されていたことについての政府の説明に納得できないという声が広がったことが背景にあると分析されます。
そして、これまでであればいったん支持率が下がってもすぐに持ち直してきましたが、今回は少し違いました。4月の調査では支持率の回復は微増にとどまり、その後は5月、6月と支持率は続落。そして今月、支持率は第2次安倍政権発足以降、最低の水準まで下がりました。
不支持率が支持率を上回る状態となったのは第2次安倍内閣発足後、3回目のことです。今回の支持率の下落には獣医学部新設をめぐる一連の議論や、東京都議会議員選挙の応援で「防衛省、自衛隊としてもお願いしたい」と呼びかけた稲田防衛大臣の発言などが影響した可能性があると分析されています。

“危険水域”に入った?

今の安倍内閣の支持率について「危険水域に入った」と言われることがあります。この「危険水域」とは一般的に内閣支持率が30%を切った状態のことを指すとされ、政権運営が不安定になると言われています。

一部の報道機関の今月の調査で支持率が29%台などとなったため、こうした論調になっているのです。

では30%を下回るのはどれくらい「危険」なことなのか。過去の内閣が30%を切る支持率を記録したあと、次の内閣へ交代するまでどれくらいの期間、政権を維持したか調べてみることにしました。

過去20年で30%を切ったことがある7つの内閣のうち、鳩山内閣は21%を2010年5月9日に終えた調査で記録したあと、30日で交代しています。
一方、小渕内閣は1998年9月の調査で23%の支持率を記録しますが、その後、脳梗塞で倒れて交代するまで577日と1年7か月にわたり、内閣を維持しているほか、森内閣も30%を初めて切ったあとも1年近く内閣が継続しています。

この分析からは言えるのは「支持率が30%を割り込んだからといって、必ずしも早期退陣となるとは限らない」ということです。

一方、支持率が20%を切った場合はどうなるかについても調べてみました。

支持率が20%を切ったことがあるのは森内閣、麻生内閣、民主党政権である菅内閣の3つです。
このうち菅内閣は2011年7月の調査で16%を記録したあと、内閣は2か月ももちませんでした。また麻生内閣では7か月、森内閣では10か月と、いずれも20%を切ってから1年以内に内閣が交代しています。

サンプルは少ないものの、20%未満の支持率を記録すると、その内閣は1年以内に交代する可能性が高まるということが言えるかもしれません。ただいずれにせよ、今月の35%という支持率の数字だけをもって、安倍内閣の交代の可能性が高まったとは言い切れないと見られます。

“青木の法則″を検証

一方、永田町では「青木の法則」と呼ばれる仮説があります。自民党の青木幹雄元参議院議員会長が提唱したとされる法則で「内閣支持率と与党第一党の支持率の合計が50%を下回った場合に政権が倒れる」というものです。

この法則についても過去のデータをもとに検証してみました。内閣支持率と与党第一党の支持率の合計を仮に「青木率」とし、その数字が一定の水準未満になったあと、内閣の交代までどのくらいの期間、政権が維持されたか調べたのが下の表です。
いわゆる「青木率」が50を切ったことのある7の内閣のうち、鳩山内閣は1か月足らずで交代していますが、小渕内閣は577日と1年半以上内閣が継続し、民主党政権である野田内閣は内閣交代まで1年近くの期間がありました。このデータからは50を切るとすぐに退陣などとは必ずしも言えなさそうです。
一方、45をいったん切った6つの政権のうち5つが7か月以内に退陣しているほか、40を切った4つの政権は麻生内閣で10日しかもたないなど、長くて2か月余りしかもっていません。
この結果から、いわゆる「青木率」が40を切ると3か月以内に交代する可能性が高いと言えそうです。
では安倍政権の「青木率」はどうなっているでしょうか。
ことしに入ってからの安倍内閣では「青木率」も3月ごろから減少傾向で、今月には前の月より20ポイント近く減ってます。ただ、それでも65.7と、40まではまだ余裕があります。
したがって安倍内閣は今月の時点で、今後3か月以内、すなわち10月までの退陣の可能性が高まっているとは言えないと、この数字からは分析されます。ただ、このままのペースで減少していくとすれば、どこかで40を切ってしまう可能性もあります。今後の政権の行方を探るにあたって、この「青木率」に注目していく必要がありそうです。

内閣改造は政権浮揚につながる?

安倍総理大臣は8月上旬に内閣改造と自民党の役員人事を断行する方針を表明していて、政権の浮揚につながるかが注目されています。

では内閣改造はどの程度支持率の上昇に関わってくるのか。1998年以降、内閣改造は17回ありました。改造前後での支持率の変化は以下の通りです。
17回の改造のうち、改造後に上昇したのが12回、下落したのが4回でした。
この中でひときわ目を引くのが、2010年9月の菅改造内閣です。24ポイントというほかの内閣改造と比べて驚異的な支持率の上昇が見られました。この24という数字は同じ内閣の中での上昇幅としては、20年間で最も高いものです。
当時、政治とカネの問題も指摘されていた民主党の小沢元代表と距離を置く議員を重要な役職に多く起用する内閣改造を断行した菅総理大臣の姿勢を評価する声が多く、支持率の急上昇につながったと分析できます。
ただ内閣改造後、支持率が下がるケースもあるほか、過去の17回の支持率の変化を平均すると、3.47ポイントの上昇となっています。
来月に行われる内閣改造と党役員人事で安倍内閣の支持率が上昇する可能性は十分ありますが、上昇幅はさほどではないと考えるのが自然と見るべきだと思います。

解散総選挙は諸刃の剣?

人事に加えて、総理大臣の専権事項として認められているのが衆議院の解散です。そこで解散・総選挙が支持率にどんな変化を及ぼしてきたのか調べてみます。
1998年以降、衆議院の解散・総選挙は6回ありました。このうち選挙前後での支持率の変化が見比べられる、政権交代のなかった4回での支持率の変化は以下の通りです。

この4回の選挙はいずれも政権側が勝利しています。しかし、小泉内閣が断行した、いわゆる「郵政選挙」など2桁の支持率の上昇が見られるケースがある一方、支持率が下がることもありました。安倍総理大臣が衆議院の解散・総選挙に打って出たとしても、それだけで確実に支持率の上昇が見込めるわけではなさそうです。

政権浮揚の方策は?

では今後、どういう状況になれば、安倍政権の退陣の可能性が高まり、逆にどうなれば政権の浮揚・維持につながるのか。ここからは歴代内閣の支持率でどんな動きがあり、その背景には何があったのかを当時の役職や肩書を使用しながら、より具体的に見てみます。

森内閣 失言での低迷と党内政局

まず2000年4月から1年余り続いた森内閣を見てみます。

森総理大臣は2000年4月5日、3日前に脳梗塞で倒れ緊急入院した小渕恵三氏の後を継ぐ形で就任しました。
政権発足直後の森内閣の支持率は39%とまずまずの水準だったと言えます。森内閣は小渕内閣の路線を継承する方針を明確にし、すべての閣僚を再任させました。また自民党の執行部でも、野中幹事長代理を幹事長に昇格させ、骨格を維持したことから、衆議院の早期解散を念頭に置いているのではないかという観測が当初から広がっていました。
そして森総理大臣は1か月半がたった5月中旬、6月2日に衆議院を解散する日程を決めます。この時点では支持率も33%ありました。
しかし、この意思決定と時をほぼ同じくして流れを変える出来事が起きます。いわゆる「神の国」発言です。
5月15日、森総理大臣は東京都内での会合で「日本の国は天皇を中心にしている神の国であるということを国民の皆さんに参加して頂くという思いでわれわれが活動してきた」などと述べます。
野党各党が猛反発したほか、反感は国民にも広がります。直後に行われた6月の調査で支持率は17%と急落。前の月よりも16ポイント下がり、一気に半分となりました。これ以降、支持率は30%台に回復することはなく、逆に森内閣を「支持しない」とする人が常に50%を上回る状態となります。総理大臣の発言1つで支持を大きく失う結果を招くケースと言える事例です。
そして、この支持率の低迷が新たな政局を招くことになります。
2000年11月。森内閣の支持率が17%に落ち込む中、自民党の加藤紘一元幹事長は「世論調査で国民の7割以上が支持していない内閣を支持することはできない」として、野党側が内閣不信任決議案を提出した場合には賛成する意向を示します。
しかし採決の直前、「同志に多大な犠牲を強いるわけにはいかない」として方針を転換し、採決を欠席しました。いわゆる「加藤の乱」です。
結果的に不信任案は与党側の反対多数で否決されましたが、支持率の低迷が続けば、与党内からの倒閣の動きを誘発するリスクもあることを示す出来事でした。
この政局の直後の調査で森内閣の支持率は5ポイント上がって、22%となります。
しかし、宇和島水産高校の実習船の沈没事故への対応が批判されたことなども影響し、支持率はその後、持ち直すことはなく、2001年3月、自民党執行部に対し、退陣する意向を伝達するに追い込まれます。

この森内閣の一連の経緯からは、(1)総理の発言1つで内閣支持率が大きく低下するケースもあることや(2)支持率の低迷が与党内での政局を招くことにもつながるおそれがあることがうかがえます。

小泉内閣 V字回復の秘訣

次に森政権が退陣したあと、2001年4月から2006年9月まで続いた小泉内閣を見てみます。在任期間は5年5か月にわたり、ことし5月に安倍総理大臣が追い越すまで、戦後第3位でした。

発足時の支持率は81%、そして最後の調査でも51%とほかの内閣を圧倒する支持率の高さを誇っています。しかし、一貫して高い水準を保てていたわけではありません。
2002年1月、小泉総理大臣はアフガニスタン復興支援会議へのNGOの参加問題をめぐって、外務省の事務方などと対立し国会審議にも混乱をきたしたとして田中眞紀子外務大臣を更迭します。
しかし、田中大臣は世論調査でも「外務省改革を推進する仕事ぶりを評価する」としている人が70%となるなど人気があり、小泉総理大臣の判断は裏目に出ます。
直後の2月の調査ではそれまで一貫して70%を超えていた支持率は53%にまで急落します。下落幅は実に26ポイント。過去20年で最も大きな落ち込みでした。
そしてそのまま支持率の下落は続き、5月からは不支持率が支持率を上回り、6月には支持率39%と最低を記録。
しかし、ここからV字回復を見せます。7月に3ポイント上昇したの機に、5か月連続で上昇。11月には68%と下落前の水準に戻りました。
当時の調査結果からはサッカーワールドカップが日韓共同で開催されたことや北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記と首脳会談を行い国交正常化交渉の再開に合意したことなどが政権浮揚の背景にあったと分析されます。
このあとも小泉総理大臣がアメリカなどが国連の安全保障理事会に提出したイラクへの武力行使を事実上認める新たな決議案を支持する考えを示した2003年3月や国会議員の年金保険料の未納や未加入などのいわゆる年金問題が批判された2004年7月にも不支持率が上回りましたが、その状態は翌月には解消しています。
小泉内閣の支持率はこのように下落する局面が何度かあったものの、政治状況や国内外の情勢などを背景に回復に転じ、半年以上にわたって下がり続けることはありませんでした。不支持率が上回る結果となったのも、5年5か月の間の65回にわたる調査のうち5度だけでした。
もう1つ、小泉内閣が交代直前まで50%前後の支持率を維持できた要因としてあげられるのが、争点を郵政民営化の是非に絞り込んで選挙戦を展開した2005年9月の衆議院の解散・総選挙での勝利です。
小泉総理大臣はそれまでに3回の国政選挙を経験していましたが、いずれも選挙後に支持率を落としていました。しかし、このいわゆる「郵政選挙」での勝利後は、支持率を58%まであげました。これにより、在任期間中最大となる11ポイント支持率を上げたことが、残りの1年の任期でも、政権運営を安定させることにつながったと言えます。小泉内閣の支持率の動向からは(1)支持率は大きく低下しても、政策の評価などによってはV字回復をするケースがあることや(2)争点を絞った選挙での勝利が支持率の大幅な上昇につながるケースもあることがわかりました。

第1次安倍内閣 苦悩の閣僚スキャンダル

続いて、第1次安倍内閣を見てみます。2006年9月、小泉内閣の後を継いで発足した安倍内閣は小泉前総理大臣の靖国神社参拝問題で関係が冷え込んでいた中国、韓国との関係改善に乗り出します。

発足直後の支持率は前政権の最後の調査よりも14ポイント上がって65%となるなど順調な滑り出しを見せました。
しかし、第1次安倍内閣は閣僚のスキャンダルに悩まされます。2006年12月には佐田玄一郎行政改革担当大臣がみずからの政治団体の不適切な会計処理の問題で辞任に追い込まれるなどして支持率が前の月より11ポイント下がり48%となりました。

さらに翌年の5月末には資金管理団体の光熱水費の問題などで追及を受けていた松岡利勝農林水産大臣が自殺。直後の6月の支持率は前の月より13ポイント下がり37%と政権発足以来初めて40%を割り込みました。
その後も7月に入って、久間章生防衛大臣がアメリカによる原爆投下について「長崎に落とされ、悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理の中で、しょうがないと思っている」と発言し、責任をとって辞任したほか、自殺した松岡氏の後任の赤城徳彦農林水産大臣も事務所経費の問題などの指摘を受けます。
しかし安倍総理大臣は赤城大臣を辞任させないまま参議院選挙に臨み、結果は自民党の歴史的な大敗でした。
そして8月の支持率は初めて3割を切り29%に落ち込みました。
さらに8月下旬に内閣改造を行いますが、直後に初入閣した遠藤武彦農林水産大臣がみずからが組合長をつとめていた農業共済組合の補助金不正受給問題で辞任に追い込まれるなど、問題があとをたたず、安倍総理大臣は2007年9月12日にみずからけじめをつけるとして総理大臣の辞任を表明しました。
この第1次安倍内閣の支持率の変遷からは(1)閣僚のスキャンダルは支持率の大幅な下落につながるおそれがあること(2)問題が指摘されている閣僚を交代させないことが支持率のさらなる低下を招くケースがあることが読み取れます。

麻生内閣 野党のアシストで存続?

次に2008年9月に就任した麻生総理大臣の内閣を見てみます。

麻生総理大臣は政権発足当初、「次の衆議院選挙で民主党との戦いに勝って初めて私は天命を果たしたことになる」と決意を表明したほか、初めての所信表明演説で民主党に対し、補正予算案やインド洋での給油活動の継続への賛否を明らかにするよう問いただすなど、次の衆議院選挙をにらんで対決姿勢を打ち出す異例の演説を繰り広げました。
このころ2008年11月上旬までの3回の調査では支持率はいずれも40%後半で、不支持率を上回っていました。
しかし同じ11月に麻生総理大臣が全国知事会との会合で、医師不足の問題に関連して医師について「社会的な常識がかなり欠落している人が多い」と述べたほか、政府の経済財政諮問会議で「学生時代は元気だったのに、今は医者にやたらにかかっている者がいる。たらたら飲んで、食べて何もしない人の分の医療費をなんで私が払うんだ」と発言したことが明らかになりました。
さらに世界的な金融危機が日本経済にも暗い影を落とし始めていた中、政府・与党が追加の経済対策を実施するために必要な第2次補正予算案の提出を先送りしたことについて「妥当ではない」という意見が国民の中に広がり、12月の支持率は半減して25%まで落ち込みました。この時点での不支持率は65%で、支持率を40ポイント上回る結果となりました。
このあと麻生総理大臣は衆議院の解散・総選挙よりも経済対策を優先させたいとして景気対策と雇用対策にまい進することになります。
こうした中、西松建設の政治献金をめぐる事件で民主党の小沢代表の秘書が逮捕・起訴されます。これにより麻生内閣の支持率も一時回復に転じ、2009年5月には35%となりました。
支持率の低迷が続いたにもかかわらず、内閣が維持された背景にはこうしたいわば「野党のアシスト」もあったとも言えそうです。ただ、それでも麻生内閣に対する不支持率は53%と高いままでした。
大型連休明けに小沢氏が民主党の代表を辞任し、鳩山体制が誕生すると民主党の巻き返しが始まり、各地の地方選挙で与党側が相次いで敗北すると、自民党内ではいわゆる「麻生降ろし」の動きが激しくなります。この間も支持率は30%に満たない低い水準で推移し、麻生総理大臣は2009年7月、経済対策などの実績について国民の信を問いたいとして衆議院解散を決めますが、選挙では歴史的な敗北を喫し、9月16日をもって民主党政権に交代することとなりました。
この麻生内閣の支持率の推移からは(1)総理大臣自身の失言が支持率の大きな低下を招くケースがあることが改めて浮き彫りになった一方(2)野党への国民の批判が内閣支持率の上昇につながることがあることもうかがえます。

菅内閣 起死回生の内閣改造

最後に政権交代のあと民主党政権を率いたものの、多くの国民の支持を失った鳩山総理大臣の後を継いで、2010年6月に発足した菅内閣を見てみます。

直近に迫っていた参議院選挙も意識して発足した菅内閣の当初の支持率は政府と党の連携を重視する姿勢を評価する声が多かったことなどから、鳩山内閣の最後の調査の3倍近い61%の高さでした。
しかし、消費税をめぐる菅総理大臣の発言などもあり、総理大臣交代の効果は長続きせず、民主党は7月の参議院議員選挙で、改選議席を大きく下回る敗北を喫します。支持率は発足から1か月余りで22ポイント下がり、39%にまで落ち込んだほか、8月の調査でも41%となります。しかし、この支持率は9月に一気に上昇します。支持率は65%と前の月より24ポイントも上がり、政権発足時を上回りました。同じ内閣の中での上昇幅としては過去20年で最も高い数字です。
この背景にあったのは特集の前半でも触れた内閣改造です。
民主党代表選挙で再選を果たした菅総理大臣は内閣改造と党役員人事を断行します。この人事では岡田克也幹事長ら小沢元代表と距離を置く議員を重要な役職に多く起用しました。調査でもこの菅総理大臣の姿勢を評価するとした人が70%にのぼっており、こうした人事が支持率の急上昇につながったものと分析できます。
ただ、この高い支持率もすぐに低下し、翌月10月は48%となります。尖閣諸島の日本の領海内で起きた中国漁船の衝突事件などの外交問題への対応を評価しない声が国民の中で強まるなどして、支持率はそのまま続落。12月には25%にまで落ちました。
年明けに菅総理大臣は「反転攻勢」を掲げ、再び内閣改造に踏み切りますが、この改造では支持率は上がりませんでした。翌月2月の調査では支持率は21%と内閣発足以来、最低を記録します。さらに3月には前原外務大臣が在日外国人からの違法な政治献金を受け取っていた問題で辞任。菅総理大臣自身にも同様の問題があるという指摘も出て、政権基盤はさらに揺らぎます。
その後、東日本大震災の発生で政府や与野党が災害対応に集中したため、退陣は免れましたが、支持率が30%台を回復することはなく、菅総理大臣は2011年8月に辞任を表明しました。
菅内閣の経緯からは(1)党内の対立勢力を冷遇する大胆な人事を断行することで支持率が上がる場合もあること(2)外交などで国民の評価が下がれば、支持率が続落する可能性が高まることがうかがえました。

安倍内閣の今後は?

では、安倍内閣は今後どうなっていくと予想できるのか。
まず8月3日に予定されている内閣改造と自民党の役員人事では小泉内閣の時の田中眞紀子氏のケースのように、国民に特に人気がある人材を動かす人事を行った場合には支持率が大きく変化する可能性もあります。ただ党内に菅内閣における小沢元代表のような大きな対立軸はなく、過去の例から考えても、単に人事だけで支持率が大きく変化することはない可能性の方が高いものと考えられます。
一方、第1次政権の際に、問題が指摘される閣僚を交代させないまま選挙に臨み、結果、歴史的な大敗を喫したように、安倍総理大臣が仮に今回の人事ですでに国民から批判を受けたり疑念を持たれている閣僚の留任などを選択した場合には国民の支持が大きく離れるおそれもあります。

一方、今後の政治日程を見てみますと、まず外交日程が続くことが注目されます。9月上旬にロシアで予定されている東方経済フォーラムにあわせた日ロ首脳会談、11月に予定されているAPEC=アジア太平洋経済協力会議の首脳会議やアメリカのトランプ大統領の初来日、それに年内に日本で開催する方向で調整が続けられている日中韓首脳会談など、秋から年末にかけて、外交日程が目白押しとなっています。安倍総理大臣がこの一連の外交日程で、核・ミサイル開発を進める北朝鮮への対応や北方四島におけるロシアとの共同経済活動に向けた取り組みなどで成果を上げることができれば、支持率の回復につながる可能性もあります。
一方、逆に「外交で失敗している」と見られれば、支持率が続落する可能性もあります。
また過去の内閣の多くは総理大臣自身の失言や政治とカネの問題をはじめとする閣僚などのスキャンダルで支持率を落としています。秋には臨時国会の召集も想定され、野党側から、さまざまな指摘を受ける機会も多くなることが予想される中で、閣内や与党幹部からの不適切な発言や不祥事が今後出てこないかどうかも注目点です。そうしたスキャンダルなどが続発することになれば、支持率の低下、ひいては退陣に近づくことになることも否定できません。
さらに解散の時期がいつになるかというのも大切なポイントです。安倍総理大臣が来年12月に衆議院議員の任期が迫る中でいつ、どのような争点で衆議院解散のカードを切るかも、今後の行く末に大きく関わる可能性があります。
また森内閣の時の「加藤の乱」のように与党内におけるパワーバランスや求心力の維持に安倍総理大臣が失敗した場合には退陣につながるおそれもあります。安倍総理大臣としては政権発足以来最低水準の支持率を記録した中で、政策課題で実績を残すとともに、国民からの支持を失わないような政権運営を進めていくことができるかが問われています。
あわせて民進党など野党の動向も注視しなければなりません。ここ最近、内閣支持率や自民党の支持率は確かに低下していますが、一方で野党の支持率が顕著に上昇しているわけではありません。野党の動向次第では安倍内閣の支持率が変化する可能性があります。
過去のデータでも野党に対する支持率が上がらない限り、政権交代は起きないことははっきりとしています。野党側にはみずからの政策を訴え国民の支持を得ていく努力が求められています。

取材後記

今回は世論調査による内閣支持率という1点に絞って分析しました。電話調査によって算出する内閣支持率は大量の人に短期間で調査ができ、刻々と変わる政治状況に敏感に反応する世論の変化を具体的な数字として示す有効な手段である一方、必ずしも有権者全体の姿を厳密に表しているとは言い切れないという指摘もあります。また、報道機関の間で数字に差があることもあるほか、NHKだけを見ても調査・分析手法は変わってきており、今回の考察だけでは今後の政権の行方を完全に探ることはできません。内閣支持率の動向を分析することは基本動作として欠かせないことと言えますが、この国のかじを取る内閣がどうなっていくのかについてはさまざまな手段や方法を尽くし、より多角的にそして継続的に取材していかなければいけないと感じました。

政治部記者
古垣 弘人
平成22年入局。京都局から政治部へ。現在、官邸担当。