さしい国会”になれるか

「健常者と同じように生活したいと望む障害者が安心して生きられるように」

「僕という人間を見て、必要な支援を考え直して」

今回の参議院選挙、比例代表で当選した2人の候補者。難病や重度の障害がある2人が訴えたのは、当事者の立場から社会を変えることでした。(ネットワーク報道部記者 飯田暁子・伊賀亮人・飯田耕太)

注目集める2人の当選者

参議院選挙が終わった今、当選した「れいわ新選組」の2人の候補者に注目が集まっています。2人は難病や重度の障害でほとんど体を動かすことができません。

舩後靖彦さんは、40代で全身の筋肉が動かなくなる難病のALS=筋萎縮性側索硬化症と診断されました。現在は全身にまひがあり、人工呼吸器をつけています。

また、木村英子さんは幼いころの事故で手足がほとんど動かなくなり、車いすで生活しています。

舩後さんは当選が確実になった際、支援者が代読する形で国会議員への思いを述べました。

「なぜ私が立候補しようと思ったかというと、自分と同じ苦しみを障害者の仲間に味わわせたくないと考えたからだ。僕という人間を見て、必要な支援とは何かをいま一度、考え直してもらえる制度を作っていきたい」

「新たな時代」「大丈夫?」分かれる意見

重い病気や障害のある2人の候補者の当選について、ネット上では、次のように好意的な意見が相次ぐ一方、体をほとんど動かすことができない2人に、国会議員の仕事ができるのか不安視する声も目立ちます。

中には舩後さんと同じALSの家族を介護しているという男性の投稿もあり、「気管切開してたら24時間フル介護が必要」、「国会中に痰吸引の音が響く」などというつぶやきはリツイートが1万を超え、さまざまな反響が寄せられています。

国会のバリアフリーってどうなってるの?

国会議員として新たな活動を始める2人。受け入れる側はどのように対応するのか、参議院の広報課に聞きました。

国会内のバリアフリー設備としては、昇降用のエレベーターやスロープ、車いす用のトイレも設置されています。けががもとで、車いすを利用しながら28年にわたって国会議員を務め、郵政大臣などを歴任した八代英太さんの当選をきっかけに、昭和50年代ごろから設備が整備されたということです。

課題1 設備をどうする?

ただ、舩後さんと木村さんが使う車いすは大型で、現在ある設備が使えるか、まず確認する必要があると言います。

また、エレベーターだけでなく、本会議場を通行できるかの検討やどういった介助などが必要になるかも聞き取ることにしています。

どんな設備を導入するかや誰が費用を負担するかについては議院運営委員会で議員同士が協議して対応を決めるということです。

課題2 投票や質疑はどうする?

検討すべきことは設備だけではありません。例えば採決。記名投票の場合、「賛成」「反対」いずれかの木札を議員が登壇して投票しますが、舩後さんと木村さんの車いすでは、議場から上がることができません。

また、押しボタン式の採決の場合、議員本人がボタンを押す必要があります。

このほか、本会議場や委員会室に付き添いの看護師やヘルパーの立ち入りを認めるかなども決める必要があるということです。

これまでには、登壇するのが困難な議員の代わりに参議院の職員が木札を預かって投票したことがあるほか、昭和30年代には1人で歩くのが難しい鳩山一郎総理大臣を秘書が同行して補佐したこともあります。

こうした対応に明確なルールはなく、議院運営委員会で協議して決定するということです。

さらに、議員にとって採決とともに重要な仕事の1つ、質疑のあり方も変更が必要になる可能性があります。

舩後さんは歯で装置をかみ、パソコンに文字を打ち込んで会話をするため、意思疎通に時間がかかります。

このため、質疑の時間の割りふりをどうするかについても協議が必要になるということです。

ALSと闘い続けた議員も

海外ではすでに難病の患者が、国会議員として活躍した事例があります。

カナダの公共放送CBCのニュースサイトによると2015年、カナダ自由党のモーリル・ベランジェ議員はALSであることを発表し、次第に声を出すことや体を動かすことが難しくなっていきました。それでも、車いすに乗りながら、タブレット端末を使って議会の場でみずからの意思を伝え、議員としての活動を続けました。

翌年の2016年には、カナダ国歌の歌詞にあった「sons(息子たち)」を性別を問わなくてすむよう「us(私たち)」と変える法案を下院で通過させます。可決された瞬間、ほとんどの議員がスタンディングオベーションでベランジェ議員の功績をたたえ、院内では、新たな国歌が歌われたそうです。

この2か月後、ベランジェ議員は61歳で亡くなりましたがその後、法案は上院も通過し、去年、国歌は正式に変更されました。

壁を乗り越えて

国会議員として新たな一歩を踏み出すことになった木村さんは「国会に重度の障害者を入れてくれるかというところから始まるので、乗り越えなくてはいけない壁があると思っている。そこを乗り越えたら、地域で当たり前に健常者と同じように生活したいと望む障害者が安心して生きられるような介護の保障やバリアフリーなどを整えていきたい」と抱負を述べました。

また、ALSの患者や家族などからなる日本ALS協会は、「重度障害を併せ持つ神経難病患者が国政の場で活躍することは、これまでにない社会参加であり、画期的なことです」と舩後さんの当選に期待を寄せています。

専門家は障害のある人が議員を務めることは、誰もが暮らしやすい社会につながる大切な一歩だと指摘します。

日本身体障害者団体連合会会長で東北福祉大学の阿部一彦教授は、「世界の当事者の間では『私たちのことを私たち抜きに決めないで』がスローガンになっています。難病や障害のある人たちが自分の体験を基に当事者として社会を変えるのは大切なことで、今回、2人が当選した意義は大きい」と言います。

そのうえで、「本人の健康面への配慮はもちろん欠かせませんが、ハードの改修など条件を整えれば持っている力を十分に発揮できるはずです。政治に携わる障害者が増えていくことを期待しています」と話していました。

国会にどんなイメージ持ってますか?

国会というと皆さん どういうイメージを持っていますか?

「スーツ姿の年配の男性ばかり」
「私たちの思いや今の社会を十分に反映できているの?」

時にはそんな声も聞こえてきます。

今回の参議院選挙では、舩後さんと木村さん以外にも車いすの候補者や、性的マイノリティーであることを公表している候補者も当選しました。国会が本当に多様な社会を代表する場となるのか。議員一人一人の仕事ぶりとともに、「良識の府」と呼ばれる参議院が新たな国会の姿をどう示すのか注目したいと思います。

ネットワーク報道部記者
飯田 暁子
2000年入局、初任地は新潟局。岐阜、横浜などを経てネットワーク報道部。19年8月から地元の水戸局へ。
ネットワーク報道部記者
伊賀 亮人
2006年入局。仙台局、石巻報道室、沖縄局で勤務。その後、経済部で通商交渉の取材などを担当し現職。
ネットワーク報道部記者
飯田 耕太
2009年入局。千葉局、秋田局、首都圏放送センターを経て現職。