俺はウノ・タロウだ!

「マイ ネーム イズ…」
英語で自己紹介するとき、あなたは自分の名前をどう紹介するだろうか?
私、名前を西井建介というが、「ケンスケ・ニシイ」のように「名+姓」の順にする人が多いのではないだろうか。
ところが今、日本語の通りに「姓+名」の順で表記すべきだという声が上がり始めている。
いったい何が起きているのか。
そもそも氏名の表記にはどんな歴史があるのか。
意外に深い「姓+名」「名+姓」の歴史に迫った。
(政治部・外務省クラブ 西井建介)

俺はコウノ・タロウだ!

口火を切ったのはこの人。
3月29日の記者会見での河野太郎外務大臣の発言だった。

外国の国名表記から「ヴ」という表記をなくす法律について聞かれた河野大臣。
いつのまにか質問にはなかった話を語り出した。
「韓国の大統領は『ムン・ジェイン』、中国の国家主席は『シー・チーピン』なのに、なぜ日本は『シンゾウ・アベ』なんだ。『アベ・シンゾウ』じゃないかという議論は当然ある。ちゃんと日本語の発音に合わせるのか考えていかなければいけない」

さらに、その後の国会答弁では、自身の名刺に『KONO Taro』と表記していることを明かした。

「これまで河野太郎なのに、なぜ英語の時だけ『タロウ・コウノ』になるのか非常に不思議に思ってきた。政府の中でどういうことができるか意思統一をした上で、民間にも呼びかけていかなければならないと思っている」(4/16参議院外交防衛委員会)

そして今月21日の記者会見では、具体的な対応に踏み込んだ。
「令和という新しい時代にもなり東京オリンピックなども控えているので、各国の主要な国際報道機関に『姓+名』の順番での表記を要請したい」

始まりは”西洋コンプレックス”?

日本人はどのように氏名を表記してきたのか。
長年、英語教育の研究を続ける、和歌山大学教育学部の江利川春雄教授によると、幕末の開国当初は「姓+名」の表記が主流だったという。

たとえば1865年(慶応元年)の「幕末洋学者欧文集」では、35人中33人が「姓+名」で表記されている。

これがなぜ変化したのか。
興味深い例が1872年(明治5年)にアメリカへ向けて横浜を出港した留学生のエピソードだ。
残っている乗船名簿によると、出国前は「姓+名」だったが、翌年帰国したときには、西洋風の「名+姓」の順に変わっている例が多く見られるという。

「西洋文明に触れれば触れるほど、日本よりも圧倒的に文明が進んでいることがわかり、西洋のスタンダードに合わせることで、自身を『文明人』だとアピールしたい心情が生まれた。それで自分の名前を西洋式にしていった。西洋コンプレックスに基づく、一種のコスプレのようなものです」

その後「鹿鳴館時代」と言われる欧化主義政策の中で、知識人や政治家、外交官らはこぞって「名+姓」の表記を使い始めたという。

江利川教授の調査では、1904年(明治37年)の検定済み英語教科書の中に“N.Nambe”“U.Kobayashi”などの表記が登場し、その後、英語教科書では「名+姓」が主流になっていく。
「国粋主義が強まり、英語が『敵国語』とされた太平洋戦争中ですら、『名+姓』表記は変わりませんでした。当時の教科書は、海軍大将・山本五十六を『Isoroku Yamamoto』と表記しているくらいです」

こうした表記は、戦後の英語教育でも踏襲され、アメリカの豊かな生活へのあこがれなどから、ますます定着していったと見られる。「名+姓」表記は、日本人の間でいわば「常識」となっていったかに見えた。

19年前の”幻の答申”

しかし、なぜ日本人だけ、アイデンティティーとも言える氏名をひっくり返して表記しなければいけないのか。
こうした問題意識が広がり始めたのは、1980年代。
経済大国となり、日本人に自信が芽生えたことや、国際化で英語圏以外の国々との関わりが増え、英語の表記に合わせる必要はないという意見が高まったことも背景にあったという。

そうした中で、一部の教育者や国語学者は、英語名は「名+姓」表記という、「常識」に挑戦する議論を開始する。

その1人が、国語学者として、国立国語研究所の所長を務めた甲斐睦朗氏(80)だ。

甲斐氏は、文化庁の国語審議会の委員として、ローマ字での氏名表記についての議論に参加した。2000年(平成12年)にまとめられた審議会の答申は、「日本人の姓名については、ローマ字表記においても『姓+名』の順とすることが望ましい」と明記し、その後の議論を決定づけることになる。

「日本人の『姓+名』には、『恥』や『誇り』といった独特の文化があります。中世の武士が戦で名乗るときも、どこの国のどこの地域の、どこの家の、誰の子どもであると名乗るわけです」

「自分が生を受けたことに謙虚になり、誇りを持つ。その象徴が『姓+名』表記なんです。あの『男はつらいよ』の寅さんも『姓は車、名は寅次郎』と自己紹介しますよね」

さらに甲斐氏によると、戦後すぐに始まったローマ字教育でも、「姓+名」表記が基本だったという。「そもそも。戦後すぐに占領軍がローマ字教育を指示した際には、『姓+名』表記だったことが、当時の文部省の書物からも伺えます」

甲斐氏の自宅に眠っていた、昭和30年に文部省が発行した「ローマ字問題資料集」

この中では確かに日本人の姓名は「Yukawa-Hideki」など、ハイフンを入れて「姓+名」の順で書くと明記されている。

審議会では、さまざまな意見が交わされた。

◇「姓+名」賛成派
「国際社会の中でみずからの文化的アイデンティティーをきちんと主張していくべきだ」「欧米圏偏重の習慣は考え直すべきだ」

◇「名+姓」維持派
「今までの習慣を変更することは無用の混乱を生じさせるだけだ」
「ローマ字は欧米圏の言語であり、その言語の習慣に合わせるべきだ」

結局「姓+名」賛成派が多数を占め、答申が決定。
答申に基づいて、文化庁は、国の行政機関、都道府県、教育委員会、放送・新聞・出版業界の関係団体などに通知を出し、答申の趣旨に沿って対応するよう配慮を要請した。

この時期から、英語教科書の表記も「姓+名」の順番に統一され始める。

「常識」は変わるか?

しかし、それから19年、いまでも欧米式の「名+姓」表記が主流であることに変わりはない。

グローバル化の中で、外国と取り引きのある民間企業などでは「名+姓」表記は仕方がないという声もある。

甲斐氏は「委員の大多数は賛成でしたが、当時のパブリックコメントでは、僅差で賛成が多かったんです。40代以上の日本人の多くは『名+姓』の表記で教育を受けてきた。それを急に変えるのは難しいと思います。ただ、答申を受けて教科書が変わった世代が、社会に出始めています。彼らに期待したいと思います」

今月21日、英語教育を所管する柴山文部科学大臣が、記者会見で英語の氏名表記についての質問に答えた。その場で言及したのは、甲斐氏らがまとめた「あの答申」だった。

「答申から20年近く経過をしている中で、必ずしも趣旨が十分に共有されていないのではないかと感じている。省内にも周知徹底を図り、英語ホームページや名刺の英語表記についても変更をする予定だ」

一方、菅官房長官は「これまでの慣行もあって、考慮すべき要素が多々あるわけで、関係省庁で何が出来るかを検討していく、そこが大事だ」と話す。

閣僚の相次ぐ発言で、再び脚光を浴びる「姓+名」表記をめぐる議論。
今後、明治以来の「常識」と化した「名+姓」表記を覆すまでの動きに発展するのか、それとも19年前と同じように、日本人の間に浸透せずに終わるのか。

議論の行方を見守りたい。

政治部記者
西井 建介
平成14年⼊局。甲府局を経て、政治部外務省担当。去年2月、安倍首相とトランプ大統領の初の日米首脳会談に同行取材。バーベキューインストラクター(初級)の資格所有。