廃絶へ
賢人たちの考えは?

地球最後の日まで「残り2分半」。いわゆる「終末時計」を発表しているアメリカの科学雑誌は、ことし、時計の針を30秒進めました。その理由として挙がったのが、核兵器の90%以上を保有するアメリカとロシアの対立、そして、北朝鮮による核開発です。一方、ことし、核兵器の廃絶に向けて、大きなトピックがありました。すべての核兵器を法的に禁止する核兵器禁止条約が国連総会で採択され、貢献した国際NGOのICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンが、ノーベル平和賞に選ばれたのです。核兵器の保有国と非保有国の間の溝はかつてないほど深まる中、日本政府は、保有国と非保有国の橋渡し役を担いたいと、11月末、広島市で初めての会議を開きました。集まったのは、保有国、非保有国双方の核軍縮や国際政治を専門とする「賢人」たち。被爆地・広島や長崎の有識者もメンバー加わった「賢人会議」でどのような意見が交わされたのでしょうか。会議の内幕を取材しました。
(政治部・外務省担当記者 清水阿喜子)

賢人会議 in 広島

「核兵器禁止条約が生まれた背景には核軍縮が進まない現状に対する非保有国の強い不満がある。国際社会として核兵器禁止条約を生かすべきだ」

「核弾頭の大多数を保有するアメリカとロシアの間の軍縮交渉は進んでいない。今の安全保障の状況は、ひと言で言えば、非常に厳しい」

11月27日と28日の2日間、外務省の主催で広島市で開かれた「賢人会議」。

会議の最初のセッションで、核軍縮に関する現状認識をめぐって交わされた議論の一部です。核兵器禁止条約を推進する立場、安全保障を重視する立場の双方が示した現状認識には、大きな隔たりがあることが冒頭から明らかになりました。

議論は、イランの核開発、北朝鮮による核・ミサイル開発にも及びました。

広島・長崎への原爆投下から70年以上たった今も、核兵器の廃絶に向けた道のりははるかに遠いのが現実です。アメリカやロシアのように核兵器を持つ国、核兵器を持たない国、持たない国の中でも日本のように核の傘に守られている国のそれぞれから「賢人」たちが集い、立場の違いを乗り越えて、なにができるのか、検討が始まりました。

賢人って どんな人?

賢人会議のメンバーは総勢16人、うち10人は外国人です。

アメリカやロシア、中国、フランスといった核兵器の保有国から5人が委員となったほか、核兵器を持たない国からは、核兵器禁止条約を推進するエジプトとニュージーランドも含め5人が委員となりました。経歴は、核軍縮や安全保障研究の第一人者や国連で核軍縮の議論に携わっていた外交官など。

また、日本人のメンバーは6人。国際法や国際政治を専門とする研究者のほか、被爆地・広島から元外交官で広島平和文化センターの理事長を務める小溝泰義さん、長崎からはみずからが被爆者で長崎原爆病院の名誉院長を務める朝長万左男さんが加わりました。

被爆した「賢人」の思い

会議を前に、「賢人」の中で、唯一の被爆者である朝長万左男さんに話を聞くことができました。

朝長さんは、長崎市で2歳の時に被爆。医師となり、およそ50年にわたって、被爆者の診療を続けてきました。ことし6月には、ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約の採択に向けて交渉が行われている会議の場でスピーチも行いました。

朝長さんは、そのスピーチでも用いたあるエピソードを紹介し、賢人会議では、原爆の被爆によって何十年も健康被害が続く核兵器の怖さを訴えたいと力強く語ってくれました。

「被爆して重傷でやっと生還した当時17歳の女性が、60年後に白血病になったんですよ。いろいろ調べると、その白血病はまさに原爆が原因で起こっているんですよね。彼女の中に、60年間、原爆の放射線によって生じた遺伝子の傷が存在し続けたということでね。その症状が出たときに彼女がなんと言ったかというと、『先生、私の身体の中に原爆が60年生きとったんですか』と。医者の目から見ていると、原爆は続いているわけですよ、ずっと。原爆は都市を破壊したときだけで終わっていない。そこに人間がいて、被害はずっと続いている。賢人会議でもそういったことを理解してもらいたいですね」

「賢人」とICAN

賢人たちは、核廃絶に取り組むNGOや被爆者団体の関係者とも意見交換を行いました。

取材は、当初、冒頭のみとされましたが、NGO側の要請で記者団にも公開されることになりました。注目されたのは、ことしのノーベル平和賞に選ばれた国際NGO、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンの関係者とのやり取りでした。ICANの国際運営委員を務める川崎哲さんは、核兵器禁止条約に日本も含めすべての国が参加するよう求めました。

「私たちはすべての国に条約批准を求めている、核保有国は条約の早期発効を妨害すべきでない、核抑止力の有効性についても議論し明らかにしてほしい。参加できない国も、どのような条件があれば可能なのか議論すべきだ」

これに対し、ドイツの委員からは評価する意見が。
「ノーベル平和賞に市民団体が選ばれたことが重要で、市民社会が国を動かすことにもつながる」

一方、アメリカの委員からは厳しい指摘も。
「核兵器を単に違法とすればいいというわけではない。化学兵器は国際的に禁止されているが、シリアの内戦では使用されており、実効性も考えるべきだ」

核兵器禁止条約をめぐって、「賢人」たちはICANの取り組みに敬意を払い、率直な意見交換が行われましたが、賢人たちの間の温度差は浮き彫りとなった形です。

冷戦時代は6万発 いまは…

核兵器の廃絶に向けて、核軍縮はどういう現状なのでしょうか。

少し歴史をひもといてみたいと思います。

アメリカと旧ソビエトによる軍拡競争が進んだ冷戦時代。世界の核弾頭の数は、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所によりますと、およそ6万発に上っていました。

冷戦終結後の1991年にアメリカと旧ソビエトは、増大した核兵器の削減を行う「第一次戦略兵器削減条約=START1」に合意して核軍縮を進め、2000年にはおよそ半数の3万1000発余りまで減少しました。

さらに、2010年には2万2000発余りに。この前年には、当時の、アメリカのオバマ大統領がチェコのプラハで演説し、核兵器のない世界を目指す決意を表明しました。

その後、ロシアのメドベージェフ大統領との間で調印した軍縮条約「新START」が発効し、米ロの間で核軍縮の取り組みを続けられてきましたが、これに続く削減交渉は進んでいません。

核弾頭の最新の数は、ことし1月の時点でおよそ1万5000発。

NPT=核拡散防止条約の加盟国であるロシアとアメリカがそれぞれ7000発と6800発と9割を超えているのに対し、フランスが300発、中国が270発、イギリスが215発を保有。一方、NPTに加盟していないパキスタンが130~140発、インドが120~130発、イスラエルが80発を保有していると推定されています。さらに核実験を繰り返している北朝鮮は10~20発を保有していると見られています。

核軍縮を進めるには、世界の核弾頭の大多数を保有するアメリカとロシアによる取り組みが欠かせませんが、ことし1月に就任したトランプ大統領は、ロイター通信のインタビューに対し、「世界から核が消えたら夢のようだが、他国が核兵器を保有するなら、わが国はその中で1番になる」と発言。

さらに、トランプ政権は、オバマ前大統領が掲げた「核兵器なき世界」という目標の見直しを進めていて、北朝鮮が核・ミサイル開発を加速させる中、核軍縮の行く末は極めて危うい状況と言えます。

賢人会議 非公開の議論は

「核戦争は起きていないし、近年は、北朝鮮を除けば、核兵器の拡散も起きていない」
「核兵器禁止条約を国際社会で推進していくべき」

こうした中で行われた「賢人会議」での議論。一部を除いて非公開で行われた議論の内容を取材する中で感じたのは、立場の違いです。会議には、「賢人」たちは個人として出席し、政府を代表しているわけではないとされましたが、それぞれの意見も、今の国際社会の状況を反映しているのは明確でした。

「人道」に重きを置いて、核兵器すべてを否定すべきという立場か、それとも「安全保障」を重視し、核兵器の抑止力を一定程度認めるべきだという立場か。
しかし、会議が進むにつれて、異なる立場の間でどう折り合いをつけていくのか議論が進んでいったといいます。

「核兵器でなければ、抑止できない脅威とは、いったい何か考える必要がある」
「核兵器の使用を一切許容できないということであれば、保有国が『自衛のために必要だ』と正当性を主張していることをどう考えるべきか」
「根本的な疑問について各陣営はお互いへの説明をしっかり行わなければならない」

保有国と非保有国のそれぞれの主張に折り合える余地は本当にないのか。
今回の議論で提起されたのは、人道的な観点から核軍縮を重視する立場と、安全保障の観点から抑止力を重視する立場の双方に向けられた根源的な問いでした。

核軍縮を重視する立場には「国家が攻撃された場合の自衛権をどう考えるのか」。
核兵器の抑止力を重視する立場には「核兵器でなければ抑止できない脅威とは何か」。

根源的な問いを向けることで、双方の考え方に折衷点が見いだせるのではないかというのです。

さらに、核兵器の軍縮を進める中で大きな目標とされる「最小限ポイント」についても議論が及びました。

耳慣れない言葉ですが、核軍縮の世界では重要で、「核兵器の数が十分に減少した時点」を表しています。日本政府は、こうした状態を達成したうえで初めて核兵器の廃絶のために意味のある法的な枠組みが導入できると主張しています。

会議では、その「最小限ポイント」について、定義があいまいだとして、目指すべき目標は明確にすべきだという指摘が出されました。核兵器の「数」自体を減らすのか、核兵器の抑止力という「役割」を減らすのかということです。

「役割」というのは、少しイメージしにくいと思いますが、要するに、核兵器の抑止力に頼らない状況をいかに作っていくかということです。

また、核兵器の保有国とその同盟国は、核軍縮を一歩ずつ着実に進めていくアプローチをとると主張するのであれば、具体的に説明することが重要だという指摘もありました。まさに、核の傘に守られている日本に対しても突きつけられている重い課題だと思います。

「最小限ポイントについては、核兵器の役割低減という『定性的』な最小限ポイントなのか、核兵器の数の削減という『定量的』な最小限ポイントなのか、あるいは、それ以外なのか整理する必要がある」
「通常兵器の能力が劇的に向上しており、核兵器への依存は低減している」
「核兵器国とその同盟国は、ステップ・バイ・ステップのアプローチを主張するが、その中身をもっと具体的に説明する必要がある」

「賢人会議」は2日間の議論を終えて、座長を務めた日本貿易振興機構アジア経済研究所の白石隆所長は、記者会見で、次のように振り返りました。

「核兵器の役割、抑止の目的などについてもかなり突っ込んだ議論があった。立場の違う人たちが参加して、実際に非常にフランクな議論ができたと思う。委員の誰もが現状をすばらしいとは考えておらず、非常に不満足でもっとよい方向に持っていきたいということでは合意がある。提言をまとめたいという強い意志は確実にある」

また、「賢人」たちに取材すると。

エジプト マフムード・カーレム 元駐日エジプト大使
「簡単な議論ではないが、全体として正直な議論が行われたことはよかった。 保有国が真摯(しんし)な態度をとらない限り問題は解決しない」

アメリカ ジョージ・パーコビッチ カーネギー国際平和財団副会長
「核兵器禁止条約だけでは、核兵器はなくならない。日本政府は、橋渡し役として重要な役割を果たしている。日本が平和を訴え続けることは大切だ」

そして、朝長さんは、核兵器禁止条約だけで核兵器の廃絶につながらない現実も受け止め、保有国側と議論を重ね、核兵器の廃絶へと動かしていく必要性を強調しました。
「核廃絶をいかに進めていくかについて、意見がたくさん出た。核兵器を廃絶するためには核兵器の保有国を動かさなければならず、核兵器禁止条約だけでは動かない現実の壁がある。保有国側の考え方を持つ識者と議論することで一定の方向を見いだしたい」

賢人会議の今後は

「賢人会議」では、今後、委員間で文書のやり取りをして、来年3月までにもう1度会議を開いた上で、「核兵器のない世界」に向けて、異なる立場の国々が一致して取り組むための共通の基盤や協力と信頼の再構築の在り方を模索し、提言としてまとめることにしています。

そして、日本政府は、核兵器の保有国と非保有国との橋渡し役を担うため、この提言を来年4月に開かれるNPT運用検討会議の準備会合に提出したいとしています。

「賢人会議」に対しては、日本政府が主催しているため、政府の立場を追認するにすぎないのではないかという指摘もあるのも事実です。会議に参加していない核軍縮を専門とする日本人有識者からは、会議の設置自体は評価するものの、踏み込んだ議論が行えるか疑問視する声もあがっています。

長崎大学核兵器廃絶研究センター 鈴木達治郎センター長
「日本政府が『賢人会議』を設けたことは評価できるが、会議のメンバーは核兵器の抑止力を肯定する立場の識者が多い印象で、日本政府の立場を踏襲しないでもらいたいと思う。現実的に何ができるのかしっかりと踏み込んだ議論をしてほしい」

核兵器のない世界へ 道筋は

日本政府が「賢人会議」を設けた背景には、世界で唯一の戦争被爆国として、核軍縮の議論をリードしていきたい一方で、核・ミサイル開発を継続する北朝鮮情勢が緊迫する中、安全保障上の問題を抱えているジレンマがあります。

外務省幹部は「核兵器禁止条約に参加できないことで批判を集める中、存在感を示すためにも賢人会議を立ち上げる必要があった」と打ち明けました。

核軍縮をめぐっては、長年にわたり国際社会で議論が行われてきましたが、世界にいまもなお多くの核弾頭が存在している状況は変わりありません。核兵器の廃絶を目指そうにも、朝長さんが指摘するように、大多数を保有するアメリカとロシアが減らそうとしなければ、核兵器は削減できないのが現実です。

被爆者の中には、自分の命を削りながら、国際社会への訴えを何度も続け、核兵器の廃絶を夢みて亡くなった人たちも大勢います。

核廃絶に向けた道のりは広島・長崎に原爆が投下されてから70年以上がたつ今も険しく遠いものですが、日本政府は、唯一の戦争被爆国として、核廃絶に向けた歩みを着実に進める責務があると思います。

「賢人」たちが知恵を結集し、どのような提言を導き出すことができるのか、議論の成果を注目したいと思います。

政治部記者
清水 阿喜子
平成23年入局。札幌局、北見局を経て政治部へ。現在、外務省担当。核兵器の軍縮問題などを取材。