被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート73「長崎市の平和教育」原爆の甚大な被害を受けた長崎で平和の尊さをどのように教えるか、平和教育は被爆した教師たちが戦後、みずからの体験を教えたところから始まりました。組織的に始まったのは、昭和45年に「原爆被爆教師の会」が結成されてからで、原爆の被害の実態や戦争までの道のりを記した教材「ナガサキの原爆読本」を作り、授業で教えるようになりました。昭和46年には、8月9日を全校登校日に設定し、それぞれの学校で犠牲者を慰霊し平和を願う集会を開くようになりました。その後、昭和57年からは小学生を対象に長崎原爆資料館での学習が始まったほか、昭和62年からは中学生を対象に原爆の写真パネルの巡回も行われるようになりました。こうした平和教育の基本の考え方となったのが、昭和53年に長崎市の教育委員会が示した「平和に関する教育の基本3原則」です。この中では、平和教育について、「原爆を原点とするものではないこと」「平和に対する資質を高めること」「各教科や道徳の授業の中で取り扱うこと」としていました。しかし、原爆が原点ではないとする考え方に反発や戸惑いの声が寄せられ、平成12年になって被爆者や学識経験者で作る協議会で3原則は見直されました。新たな3原則では、「原爆を原点とするものではない」ということばが削除され、「平和を希求する精神」や「被爆体験を継承する」ということばが加えられています。長崎市では現在、被爆者の体験を聞く会が市内すべての小中学校で開かれるなど、被爆体験の継承が進められています。
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