被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート74「本島等元市長」元長崎市長の本島等さんは大正11年に現在の新上五島町に生まれ、キリスト教の信者として育ちました。旧制高校の学生だったときに軍隊に入隊し、熊本の教育隊で終戦を迎え除隊になったあと、原爆で破壊された長崎の街を目の当たりにしました。昭和54年に長崎市長に初当選。昭和63年に市議会で「天皇の戦争責任はあると思います」と発言し、平成2年1月18日、右翼団体の男に拳銃で撃たれました。発言の背景には戦時中に「侵略戦争の一端を担ってしまった」という思いがありました。大けがを負いましたが、平和や表現の自由を求める姿勢を貫きました。このとき本島さんは「心臓をえぐるようなこと、もん絶して死ぬようなことを言われても、言論の自由を守らなければならない」と話しています。本島さんは市長退任後も、戦時中に強制的に連れてこられ、原爆の犠牲となった中国人を追悼する石碑の建立に尽力するなど、国の内外の被爆者の支援に力を入れました。毎年元日には長崎市の平和公園での座り込みに参加するなど、去年10月に92歳で亡くなるまで、精力的に核兵器廃絶や平和を訴える活動を続けました。
前のページへ 1 次のページへ


▲ ページの先頭へ