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長崎発 どうして長崎のびわは全国一の産地に?

長崎にまつわるランキングのギモンを記者が徹底取材!
  • 2023年04月07日

皆さんは、長崎の果物と言えば、思い浮かべるのは何でしょうか?それは、びわです。長崎のびわは、生産量が全国一を誇ります。その量、2位の千葉県と比べると、2倍以上です。オレンジ色が鮮やかで、甘みも十分。しかし、なぜ長崎でびわがたくさんとれるのでしょうか。取材をしてみると、長崎とびわをめぐって、さまざまな偶然が重なって、今があることが分かりました。

長崎放送局記者 郡義之

それは1粒の種から始まった

真っ青な海が広がる茂木地区

まず最初に訪れたのは、長崎市南東部の茂木地区。市内中心部から車で30分ほどのところにある、びわの栽培が盛んな地域の1つです。私はそこで、ある人と待ち合わせをしていました。寺の前にいたのは、同地区の元農協組合長の道田勝美さんと友人の馬場實さんです。案内されたのは、お墓でした。

道田さん(左)と馬場さん

斜面地の上にたたずむ1基の墓。一見して歴史を感じます。いったい誰の墓なのでしょうか。すると、道田さんが解説してくれました。

(道田勝美さん)
「このお墓はですね、びわを日本で広められた三浦シヲさんのお墓になります」。

茂木の寺にある三浦シヲの墓

三浦シヲと聞いて、恥ずかしながら、名前に心当たりはありませんでしたが、程なくして、びわ栽培を長崎で広めたきっかけを作った人だと知りました。農協や県などが編集した「茂木枇杷発達史」によると、江戸時代後期、シヲが長崎の出島でびわの種をもらい、茂木の実家に持ち帰って畑にまいたことが始まりとされています。

びわの原木の子孫(長崎市北浦町)

その後、できたびわの品質がすぐれていたことから、接ぎ木をし、徐々に増加。明治時代に入ると、びわ園が整備されるなど、栽培が本格化しました。シヲがまいた種から育ったびわの原木の子孫は、今も茂木地区に残されています。

シヲの子孫に当たる馬場さん

ところで、さきほど登場した2人のうち、こちらの馬場さん、実は、三浦シヲの遠戚に当たることが分かりました。長年地元で漁業を営み、代々、シヲの墓を守り続けてきました。長崎県でびわの栽培が盛んになった今をシヲはどう感じているのか、馬場さんに尋ねてみました。

(馬場實さん)
「県全体に広がるなんて思ってなかったでしょう。もうびっくりしていると思いますよ。喜んでいるでしょ」。

長崎のびわ、全国へ

東京大正博覧会の様子(東京都立中央図書館蔵)

1粒の種から始まったびわの栽培。全国に広まるきっかけとなったのが、大正3年、東京で開かれた博覧会でした。出品されたびわがすべて入賞したのです。知名度が上がるにつれ、びわの栽培は拡大。昭和2年、作付面積で1位だった千葉県を抜き、全国一となりました。戦後になっても、びわの需要は依然として高く、今より流通事情が悪い中でも、長崎産のびわが東京や大阪方面に出荷されました。

びわ畑に行ってみた

びわ農家の濵口さん

しかし、なぜ全国1位になるほど、びわの栽培が盛んになったのでしょうか?。ヒントを求めて訪れたのは、茂木地区の南側にある長崎市千々町のびわ畑です。「やあ、いらっしゃい!」。元気な声で迎え入れてくれたのは、びわ農家の濵口理さん。祖父の代から数えて3代目に当たります。長崎がびわ栽培に適している理由を教えてくれました。

(濵口理さん)
「地形的に、茂木のこの段々畑が野菜には向かないけどもびわには向いているんです。温暖な地域で、段々畑で水はけがいい」。

斜面地にある茂木地区のびわ畑

長崎市茂木地区は斜面地が多く、日当たりが良くて、年中暖かな気候です。また、水はけがいい一方で、農作物があまり育たない土壌でもあります。しかし、びわは、ほかの農作物とは違い、過酷な環境であればあるほど、甘い実を付けると言われています。たっぷり日光を浴びたびわの木は、実に甘みを蓄え、おいしい果物に育つのです。こうした温暖で競合する農作物がない長崎の斜面地だからこそ、生産量を増やしていきました。

“ニッチな攻め”が生産を後押し

びわの袋がけ作業に精を出す濵口さん

さらに、長崎のびわの生産量を押し上げた要素がもう1つありました。それが、収穫時期です。濵口さんによると、びわの収穫時期は、5月下旬から6月。果物にとっては、端境期に当たります。今でこそ、輸入物の果物が年中スーパーに並びますが、かつては、いちごも収穫が終わった一方で、夏に定番のすいかも出回らないこの時期は、びわがとても珍重されたといいます。このため、茂木地区の農家たちも収入につながるため、生産に力を入れました。近年は、高齢化が進み、びわ農家のなり手不足が大きな課題になっています。濵口さんは、後継者対策も含め、これからも長崎のびわ生産に力を入れたいとしています。

(濵口理さん)
「東京、大阪でも、長崎から送られてくるびわを待って、楽しみにしていただいたお客さんは多いというふうに聞いています。これからもびわを忘れないように、消費者の方々に送り届けて、次世代、後世につなげていきたいと思います。これからも頑張ります」

今回のまとめ

ふだん何気なく食べていたびわ。ある日の取材で、急しゅんなびわ畑で脚立に上がって袋がけ作業に汗を流す農家の皆さんの姿を目の当たりにした時、頭が下がるような思いがしました。そして、こうした農家の苦労に加え、びわの歴史や長崎とびわの相性など、多くの知られざる話があったことも分かりました。今回のギモン、「長崎でびわの生産量が多いのはなぜか?」の答えは、①「三浦シヲさんの存在」、②「長崎特有の気候と地形」、それに、③「ほかの果物にはない収穫時期」など、さまざまな偶然が重なり合って全国一となったことが分かりました。あと少しで収穫が本格化する長崎のびわ。ことしは特別な思いで味わうことができそうです。

  • 郡義之

    長崎局記者

    郡義之

    地方紙記者を経て、平成22年入局。前橋局、釧路局、ネットワーク報道部を経て現職。長崎に赴任して、びわの大ファンになりました。

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