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勇気を出して福島第一原発に行ってみた【インスタ画像でわかりやすく解説】

大学1年生の堀江珠音さん。2011年3月11日の原発事故について、幼い頃の忘れられない記憶があります。原発事故が起こった時8歳だった堀江さん、いまは20歳になりました。
福島第一原発の現状についてはいまも詳しく知らないことばかり。今回、取材班に同行する形で現場に行くことを決めました。
大学1年生の「私」が見た福島第一原発の体験を堀江さんが率直につづってくれました。

大学1年生の堀江珠音さんがずっと気になっている場所があります。2011年3月11日に起こった東京電力 福島第一原子力発電所の事故の現場でした。

「自分は行動的でもなく社交的でもない」と話す堀江さんですが今回、NHK取材班が同行する大学生を募集していると聞き勇気を出して手を挙げました。堀江さんは福島第一原発事故について幼い頃の忘れられない記憶がありました。

「事故があったとき、私は小学生でした。
小学校3年生のころ、給食の時間に友だちの中に1⼈
⽜乳ではなく⻨茶を飲む⼥の⼦がいることに気付きました。


その子はある日、「お父さんとお母さんに、『牛乳は放射能に汚染されている。
飲むとガンになるから飲むな』って言われた」と教えてくれました。

その日から、私もしばらくの間、牛乳を残すようになりました。当時の私は信じられる情報がわからず、不安になってしまっていたのだと思います。」

時が止まったまま…

「福島は母の故郷でもあります。しかし、原発がある太平洋側の地域、浜通りは縁がなく、原発事故後に訪れるのは初めて。


ニュースで見て知っているつもりでしたが原発事故のせいで12年前から時間が止まったままの場所もあるのだと思い知りました。

原発についての情報は同じ世代に届いていないと感じています。今回の同行は同世代の目線で発信する機会になるかもしれないと思いました。」

「知らない」ことを実感

「体に浴びる「外部被ばく」を調べる線量計を身につけ、向かったのは事故を起こした原子炉建屋。1号機まで約100メートルの近さのところまで歩きました。

爆発によってむき出しになった鉄骨が露出している建物が目の前に迫ってきました。
そこで鳴ったのが線量計の警報音。
この場所では1時間当たり100マイクロシーベルト近くまで上がっていたのです。

怖くないの『怖くないの?』 と同行した人たちに質問され、自分が怖いとは感じていないことに気付きました 。当時小2だった私は放射線量の『怖さ』を実感できていない、『事故当時のことを知らない』ことを感覚として知りました。」

何か思っていたのと違う

「廃炉の現場を目にして、私は思っていたのと違う印象も持ってしまいました。福島第一原発に来る前の私は、『深刻な事故現場』のような状況を想像していました。人が近づくこともできず、荒れ果てているのではないか…そう思っていました。

けれど、目の前には、クレーンが動き、規則正しく、たんたんと作業員の方が働く光景もありました。まるで日常の『工事現場』のように感じました。

うまくことばにできないけど、同じ日本で同じ時間軸でもこれだけ違う場所がある、ということを見せつけられました。」

「壊れた建物とともに印象に残った場所がありました。それは、『大型休憩所』にある食堂です。

『できるだけ、地元の福島県の食材を使った食事を提供しています』と説明があり、この日は豚肉や米、野菜の一部などに福島県産の食材が使われていました。率直に『おいしそう』と思いました。

私のひいおばあちゃんは、福島県田村市で野菜を育てていて、SNSでは今でも福島の『福島の食材は危ない』といった投稿を目にすることがあり、悲しい気持ちになります。」

行ってみて思った改めて思ったこと

「廃炉作業はこの先まだ長い時間がかかると聞きました。今回の視察で私が見たのは福島第一原発のわずか一部です。今後さらに自分で調べ、さまざまな立場の人の話を聞いてみようと思いました。

原発の問題だけでなく、ほかのことに関してもできるだけ自分で体験し、自分の頭で考えたいです。

小学3年⽣の時に⽜乳を飲めなかった⼥の⼦は、今は私と同じ大学に通う親友です。
今回私が⾒たこと、聞いたことをまずは親友に伝えたいと思います。」

担当 地球のミライの
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