おもわく。
おもわく。

「人間にとって国家とは何か?」「国家の起源とは?」「国家はどのようなプロセスで成立したのか?」……私たちにとって根源的ともいえる、国家を巡る問いに独力で答えを導き出そうとした著作があります。「共同幻想論」。執筆したのは、数々の評論活動を通して戦後思想に巨大な影響を与え続けてきた、日本を代表する思想家・吉本隆明(1924-2012)です。学生運動が激化していた1968年に出版されたこの著作は当時の青年たちに熱心に読まれ、「共同幻想」という言葉は国家や権力の本質を言い当てた言葉として広く流通しました。出版から50年以上を経て、再び数多くの論考によって再評価の機運が高まる今、この名著を通して「国家と個人の関係」をあらためて見つめなおします。

 吉本がこの著作を書く原点となったのは、皇国少年として過ごした戦時中から終戦直後にかけての体験。戦中は「絶対的に『善なるもの』として戦争を鼓舞してきた文化人たち」が敗戦後にあっけなく意見を変えたことを若年で体験しました。それは吉本に「権威に対する不信感」を生みました。何が正しいのかという基準が崩壊し、何を信じてよいのかわからない混沌状態の中、前提を根本から考え直し、自らの思考によって価値観や国家観を組み立て直そう。そういった切実な問いが吉本にはあったといいます。「共同幻想論」はその問いに対して一つの答えを導き出そうとした著作なのです。

「国家とは何か」という問いに対して、多くの批判者は、政治的支配者が自分たちの利害を社会全体の利害と見せかける装置とみなすことで、国家を否定できると考えてきました。しかし、吉本はそれでは不十分であり、本質的・根源的でないといいます。人間は容易には国家から自由にはなれない。それは、国家が「私たちはあたかも家族が血で繋がっているように遠い先祖と血で繋がっている。だから私たちは本来一つもののだ」という共有された根深い「幻想」から成り立っているからなのです。

そこで、吉本は「遠野物語」や「古事記」を徹底的に分析することで、「共同幻想」としての国家の成立機序を解明し、私たちが国家にきちんと対峙し、自立的に生きていく方法を模索したのだと、日本思想史研究者・先崎彰容さんはいいます。「ポピュリズム」によって誕生する権力が時代を左右する現在、安易な国家批判だけでは、問題の根本的解決を導きだすことはできない。今こそ、吉本が主張したような、より本質的な国家論が必要なのであり、だからこそ「共同幻想論」を再読するべきだというのです。

番組では先崎彰容さん(日本大学教授)を指南役として招き、戦後思想の中で最も難解な著作として知られる「共同幻想論」を分り易く解説。この著作に現代の視点から光を当てなおし、そこにこめられた「国家論」や「自立して考えるとはどういうことか」といった問いなど、現代の私達にも通じるメッセージを読み解いていきます。

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第1回 焼け跡から生まれた思想

【放送時間】
2020年7月6日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年7月8日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年7月8日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
先崎彰容(日本大学教授)…倫理学者・日本思想史研究者。「維新と敗戦」「バッシング論」等、著書多数。
【朗読】
柄本明(俳優)
【語り】
小口貴子

吉本を決定的に変えた戦争体験。それは「あらゆる価値観は信じるに足るものではありえない」という根源的な体験だった。昨日まで信じていたものがすべてひっくり返る混沌の中で、吉本が生みだした概念が「関係の絶対性」だ。一人でどれだけつきつめて考えぬき辿り着いた「正しさ」も間違う可能性がある。他者との関係性の中からしか「正しさ」は導き出せないのに人はそのことを忘却している……それが「関係の絶対性」だ。この概念によって、国家や宗教など何かを容易に信じ込んでしまう人間の性を吉本は浮き彫りにしていく。それが限度を超えていったとき、全体主義や国家の暴走が生じるというのだ。第一回は、吉本が著作を書く大きなきっかけとなった戦争体験の意味を紐解き、「共同幻想論」を今、なぜ読むべきかを深く考察する。

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第2回 「対幻想」とはなにか

【放送時間】
2020年7月13日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年7月15日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年7月15日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
先崎彰容(日本大学教授)…倫理学者・日本思想史研究者。「維新と敗戦」「バッシング論」等、著書多数。
【朗読】
柄本明(俳優)
【語り】
小口貴子
【アマテラスの声】
新谷良子
【スサノヲ・鳥御前の声】
田丸裕臣

吉本は国家の起源を考える上でまず「対幻想」という概念を生み出した。人間には、他者と関係する場合に必ず「性」として関係する根源的な在り方がある。好いたり好かれたり、嫉妬したりされたり。それは男女の関係に限らない。あの上司が嫌いだ、この研究者とはそりが合わない等々、人間の関係性には、論理以前に必ず好悪の感情がまとわりつく。吉本はこれをエロス的な関係と呼び、そこから生まれる「対幻想」が、国家のような「共同幻想」が形成されるベースに存在するという。国家が単な装置ではなく、愛する対象になったり容易に相対化できないのは、こうした機序に由来するのだ。第二回は、「対幻想」という概念はどんなものかを読み解き、国家が成立する基盤となる人間の在り様に迫っていく。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:西研
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第3回 国家形成の物語

【放送時間】
2020年7月20日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年7月22日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年7月22日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
先崎彰容(日本大学教授)…倫理学者・日本思想史研究者。「維新と敗戦」「バッシング論」等、著書多数。
【朗読】
柄本明(俳優)
【語り】
小口貴子
【アマテラス・アメノウズメ・オキナガタラシ姫の声】
新谷良子
【垂仁天皇・仲哀天皇・男神の声】
田丸裕臣

吉本は、家族や氏族集団から国家へと形成されていく機序が「古事記」の中に子細に書き込まれているという。それを分析していくと、国家形成は「罪の自覚」「倫理の発生」「法の形成」といったプロセスを経ることがわかる。例えばスサノオの神話には、「対幻想」と「共同幻想」に引き裂かれる人間の在り様が象徴的に表現され、人間社会が「血」や「性」でつながる氏族集団から「法」を基盤とする国家へと変貌するプロセスが辿れる。そこでは「対幻想」と「共同幻想」は不可分に共存している。第三回は、国家の起源や成立プロセスを解き明かし、人間がなぜ国家という桎梏から容易に自由になれないかを明らかにする。

安部みちこのみちこ's EYE
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第4回 「個人幻想」とはなにか

【放送時間】
2020年7月27日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年7月29日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年7月29日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
先崎彰容(日本大学教授)…倫理学者・日本思想史研究者。「維新と敗戦」「バッシング論」等、著書多数。
【朗読】
柄本明(俳優)
【語り】
小口貴子

吉本は、国家の成立機序を解明した上でその国家をどう相対化し個人がどう自立できるかを問う。その際の鍵概念が「沈黙の有意味性」だ。吉本にとって「沈黙」とは国家を沈黙をもって凝視するということが含意される。声高に国家を批判することでは何も変わらない。庶民たちが日常に根をはりながら沈黙をもって問い始める「違和感」や「亀裂」。そうした日々の生活感に寄り添いながら思考を紡いでいくことにこそ人が自立して思考する拠点があるという。第四回は、私たちが国家を相対化し対峙する視座を持ちうるかや、真に自立して思考するとはどういうことかを、問い直していく。

アニメ職人たちの凄技アニメ職人たちの凄技
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○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『共同幻想論』 2020年7月
2020年6月25日発売
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こぼれ話。

知の巨人、吉本隆明の思想の峰にわけいる

私自身、「ある衝撃」をもって、吉本隆明の著作を読んだ世代です。私が学生時代を過ごした80年代半ばから80年代後半は、「マス・イメージ論」、「重層的な非決定へ」といった著作で、吉本は、新しいステージでの言説を展開し始めてていました。リアルタイムで、その熱気とパワーをシャワーのように浴びていた若き日の私は、全面共感とまではいかないまでも、「ここに、借りものではなく、全くの自力で、自らの思想を紡ごうとしている巨人がいる!」という尊敬の念を常に吉本に抱き続けていました。以来、私は、ある意味、吉本隆明の背中をずっと追いかけ続けてきたように思います。

それは、思想的な影響とは違うものでした。理解しえない部分、同意できない部分、違和感などは多々あったと思います。ですが、この人が死に物狂いで、巨大なものと格闘し続けているという直観はありました。私が吉本から学んだ最も大きなものは、「その姿勢」だったのかもしれません。

「共同幻想論」は、そんな中で、吉本の過去にさかのぼるような形で読んだ本でした。社会学のゼミで、民俗学を専攻していた同級生が「読んでみたいので読書会をしよう」という提案をしてきたのがきっかけでした。あまりにも難解だということで、結局その読書会は実現には至らなかったのですが、珍しく、私は、独力で最後まで読み通すことができたことをよく覚えています。ところが……です。読み通すことはできたものの、つまり、文字づらはつまづくことなく読めたものの、いったい何が書いているのかがさっぱりわからない……こんな経験は初めてでした。「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」といった鮮烈な概念は頭に刻みこまれたのですが、正直なところ「だから何なんだ?」という読後感が残ったのです。

あれから30年。新型コロナ・ウィルス禍の只中にあって、この「共同幻想」という言葉が再び強烈に胸中に浮かび上がってきました。私たちは、いま、新たな形で、巨大な「共同幻想」に浸潤されつつある。これに飲み込まれないための場所を確保しなければならない。そんな焦燥感にも似た思いに駆られました。再び「共同幻想論」を読み返しました。もちろん「遠野物語」「古事記」の解読の仕方には、かなり牽強付会なところはあるし、古びてしまったところもなくはない。しかし、その基底にある原理論には、いま、再び掘り起こすべき鉱脈があると感じました。

ただ、いったい誰を解説者に据えるかということについては悩みました。古くから吉本を読み続けている「吉本読み」のプロはあまたいます。しかし、彼らの著作を読むにつけ、あまりにも自分に寄せすぎているという感が否めません。あるいは、解説書のくせに妙に難解で、原典より読みにくいものも多かった。そんな中で出会ったのが先崎彰容さんの「ナショナリズムの復権」という本でした。この本で吉本について論じられている箇所はほんの一章にすぎませんし、テーマも「個人幻想」についての論が中心でしたが、今までにない新鮮な視点に驚かされました。これまで積み重ねられてきた古き吉本論のしがらみから自由なところが、若い世代による新たな論として大きな可能性を感じたのです。

最初の打合せから、私が「共同幻想論」にもっていた違和感や理解しがたさについての疑問を先崎さんが共有してくれました。そして、「なぜこの本が書かれたのか」を解き明かすために序文を徹底的に読み込むこと、結論部分がこの著作には書かれていないので、同時期の講演集などからそれに代わるものを読み出ししていくこと……という二つの魅力的なプランを提示してくれました。これは、私が先に書いた「だから何なんだ?」に見事に応えてくれるプランだったのです。この打ち合わせを終えて、私は正式に先崎さんに講師をお願いすることを正式に決断しました。番組内容については、私自身も考えていたねらいを、先崎さんが見事に自分流に料理してくださり、想像を超えてわかりやすく、吉本隆明の思想の根幹をお伝えできるものになったと確信しています。

もちろん「共同幻想論」は、多様な解釈が可能な著作です。吉本自身、それを意識して書いている節もあります。ですから、たとえば「対幻想」については、全く異なる解釈も可能でしょうし、先崎さんの解釈に異論を唱える人もいるかもしれません。私自身は、先崎さんの視点をとても魅力的だと感じましたが、それとは異なった意見をもつ人もいるかもしれません。私はそれでいいと思っています。なぜならば、そのように多様な解釈を生み出す本だからこそ、この本は歴史的な名著となったのだと思うからです。真に生産的な著作とはそういうものです。

ただ、吉本隆明の著作は、その難解さから、妙な形で祭り上げられたり、深く読みもされないで批判にさらされたりと、不幸な扱いをされるケースも多々ありました。先崎さんのおかげで、今回の番組は、これまでで最も入りやすい「入門」「初心者向けの入り口」になりえたと思っています。いま、吉本隆明の全集も刊行中ですし、文庫で手に入る著作も増えています。ぜひこの番組をきっかけに、吉本隆明の原典にすすんでいただけると、企画者としてはこれ以上の喜びはありません。

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