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【第33回】2021.9.20 「群衆心理」
連帯を生む道具に
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一年の延期を経て開催された、東京五輪パラリンピック。去年から様々な議論がありました。
その中で、「安心安全」という言葉を何度、耳にしたことでしょう。
最初のころは「え?安全かどうか分からなくて不安なんだけど?」とか、「安心できないから延期や中止を検討しようっていう意見があるんだよね?」と思っていました。
それが、毎日のように何度も繰り返し「安心安全」ときいているうち、不思議とこう思うようになったのです。「安心していいんじゃない?自分が知らないだけで、実はどこかで誰かが「安心安全」が確保できるよう動いてるんじゃない?」と。
きっとそんなことないんです。でもなぜか、だんだんそう思うようになっていったんです。
これが、「群集心理」でいうところの、「断言・反復・感染」の現象なんですね。いつのまにか流されていて、疑いの目を向けられなくなっていました。 人が群れると、理性を失ったり、少し冷静になれば到底賛同しない言動を自ら行ったりする。そんなわけないと思うかもしれませんが、ル・ボンは、歴史上何度も繰り返されている人間の性質だといっています。
ということは、これからだって十分起こりえるということです。そして今はSNS時代。かつてないスピード、かつてない規模で、群集が暴走し得ると容易に想像がつきます。私たちはそれをどう避ければいいのでしょう。
武田さんが語った一つのヒントは、「連帯」でした。SNSのようなツールをどう使うか決めるのは、一人一人の人間です。群れて暴力的になるのか、それともつながりを育み、人の助けになるよう手を取り合うのか。教育や対話は有効でしょうし、常に自分の頭で考えること、いったん立ち止まって人の意見に耳を傾けてみること、これらも役に立つのではないかと思います。
油断すると操られると自覚した上で、気持ちや時間にゆとりをもち、流されていないか、煽られていないか、確認しながら過ごしたい、それくらい注意深くなってもいいのではないかと思いました。
今月も名著からの学びに、感謝
ありがとうございました。
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【第32回】2021.8.23 「戦争は女の顔をしていない」
自分が失われる恐怖
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戦争というと、男性が兵士として駆り出され、女性は残って守る、そういうイメージでした。まさか大勢の女性が従軍した歴史があるなんて、思いもしませんでした。
アレクシエーヴィチが集めた、女性たちの証言。それはどれも悲痛です。心も体も苦しみ続けた人たちの言葉は重く、でもどこか物悲しい笑いや楽しみも垣間見え、読んでいて胸が苦しくなりました。
衝撃を受けたのは、射撃手だったローラ・アフメートワさんの証言。「戦争で一番恐ろしかったのは男物のパンツをはいていること」「ポーランドの最初の村で新しい衣服が支給された…初めて女物のパンツとブラジャーがもらえたんだ」です。そんな基本的なところも満たすことができないなんて、悲しいという一言では表しきれない。たかが下着かもしれませんが、尊厳が失われるような気持ちになります。聞き手のアレクシエーヴィチも、この証言を聞き取りながら泣いている様子が記されています。 他にも、生理が止まったとか、長い髪を切ったとき皆で泣いたとか、ハイヒールが買いたくなったとか、今の私たちでも想像に難くない、女の子なら誰でもつらい思いをするだろうなと感じる状況の描写が続き、苦しくなりました。
戦争は絶対にダメ。その一言に尽きます。長きに渡って言い尽くされてきたことです。しかし、これを書いている今も、各地の紛争は根絶できておらず、アレクシエーヴィチが育ったベラルーシでも弾圧が続いています。
人権が守られ、言論の自由が保障されること。当たり前のようですが、これが決して当たり前には得られない国が今現に存在しているということを私たちは正面から見つめなくてはいけません。遠い国での出来事であっても、同じ人間が、考えや意見に制限が加えられ、命まで脅かされているのだという危機的な事実。ここから目をそらさず、彼らが対話の席につけるようにするには私たちに何ができるのか、考えたいと思います。
沼野さん、教えて下さってありがとうございました。
みなさん、来月もどうぞお楽しみに。
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【第31回】2021.7.12 「老い」
若くなくていい
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今年に入ってから立て続けに、自分が以前とは違うと気づかされる出来事がありました。一つ目は、免許の更新。5年前の写真と比べると、それはもうはっきりと老けていたのです。ほうれい線にシミ、しわ、たるみ。衝撃でしたが、たまたま写りが悪かったということに。しばらくして忘れかけた頃、今度は20代のとき買ったスーツが入らず、腕やお腹に肉がついたことに気づきました。さらに、子どもの遠征に一日引率したとき。いつもより早く寝たのにその後二日間だるくて動けず…。ここまでくると、自分が中年にさしかかったことを認めざるをえず、しばらく落ちこみました。
こういうタイミングで出会った名著、「老い」。いつも以上に気合を入れて収録に臨み、上野さんから多くを教わりました。
中でも印象に残ったのは、私が「落ちこんだ」ことについてです。これはつまり、私が「若い=いいこと」だという基準を持っていて、女の価値は「若い・かわいい」であるという枠組みで物事を判断しているということなのだそうです。そんなつもりはなかったのですが、言われてみると確かに、思い当たる節が…。美容液のコマーシャルはつい見てしまいますし、年上の女性には「そんなお年には見えません、お若いですね」と誉め言葉のつもりで言ってしまいます。もし年をとることに抵抗がなく、むしろ良いとしているなら落ち込むわけがなく、年上の方に「お若く見えますね」なんて言うはずがないのです。私は無意識のうちに、若い方がいいというフィルターを通して自分のことも人のことも見ているから落ちこんだのですね。それなら正反対のフィルターを身につければ、今後の老化がこわくなくなるでしょうか。フィルター交換はかなり難しい気がしますが…。
下巻の冒頭には「早死にをするか、老いるか、これ以外のみちはない」という一文があります。これを読んだときは、はっとしました。早く死ぬか老いるかのどちらかなのは確かに当たり前ですが、普段はすっかり忘れています。長生きしたい、つまり老いていきたいのなら、その時の自分そのままでい続けるしかないし、人間ならだれもが通る道をまっすぐ歩んでいくしかないということなのかなと思います。
上野さんありがとうございました。
来月の名著も楽しみです!
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【第30回】2021.6.14 「華氏451度」
今ここにある危機!
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今回の名著、仮想世界の話だと思って読み始めました。すると登場したのはこんな人物たち。
テレビドラマの出演者を「家族」と呼び、画面を通してのやりとりに夢中で、実在の夫には無関心の妻。都合がわるいことは強制的に忘れさせ、何も覚えていられない社会を「幸せ」だという権力者。
あれ?どこかで見たことあるような…。そう、今の日本!
SNS上では人とつながることができても、身近な人とは付き合えないなんて、よく聞く話。歩いていてもカフェでお茶を飲んでいても耳にイヤホン、最近では電話も持たずに誰かとしゃべっている人とすれ違い、ぎょっとすることもあります。政治家は平気で噓をつき通し、それを忘れてしまう我々有権者たち。
このままでは「華氏451度」の世界が現実になってしまいます。一体どうすればいいのでしょう。
頭に浮かんだ一つは、脱スマホです。検索もニュース視聴も買い物もスマホですむようになり、すっかり生活の一部になっていますが、こうなってから、逆に世界が狭くなったのではないでしょうか。自分が知っている範囲でしか検索しないし、その結果ふるいにかけられた情報だけが入ってくるので、思いがけない出会いや新しい知識、違う視点からは遠ざかってしまいます。情報操作されてもそれに気づくことすらなく偏っていきそう…。まさに「華氏451度」の一般市民になってしまう。そうならないよう、少しでもスマホを手放してみようと思いました。
たとえば、新聞を複数じっくり読んで考えたとき。辞書をひいて、目当ての言葉以外も次々追っていくとき。舞台やコンサートを鑑賞する時間とその余韻。自力ではたどりつけない新しい何かに触れて得られる、充実した知の経験を欠いてはいけないのだと思います。少しアナログに戻って、地に足つけて、心豊かに知的探求を続ける、そんな女性になりたいし、そんな大人が多く生きる社会になっていくよう働きたいと思わせてくれた一冊でした。
今月も名著との出会いに、感謝。
ありがとうございました。
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【第29回】2021.5.17 「金閣寺」
金閣寺は“寺”じゃない?!
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三島由紀夫=難解だと思い込んでいた私。今回はじめて「金閣寺」を読み通しました。思っていたより読みやすく、感情移入できて驚きました。ただ、主人公溝口がなぜここまで金閣にこだわるのか、放火するほど憎むのかは終始疑問で…。それが平野さんに伺うとあっさり解決!金閣は、ただの建築物として読んではいけないんですね。(いま思えば、そりゃそうだろうと自分につっこみたくなります)そうではなく、「絶対」だと教え込まれ信じている存在、実物を見たこともないのに「絶対」だと植え付けられた対象を指していて、平野さんの読み解きでは「天皇」だと教えてくださいました。なるほど!と納得し、あわてて再読。すると三島の嘆きや混乱、叫びのような声がきこえるようで、戦中戦後を生きることがどれだけ苦痛だったかと胸が痛みました。
印象に残ったのは、溝口が初めて実物の金閣を目の前にして「美というものは、こんなに美しくないものだろうか」と考える場面です。信じて疑わなかった「美」が、確かに違う姿で見えている。かといって、自分の軸となっている価値基準を即座にはひっくり返せない。苦しみにつながる違和感、とまどいが伝わってきます。そしてこのあと溝口は、金閣が美を偽って別のものに化けているのか?と考え、「自分を護るために、人の目をたぶらかすということはありうる」と続けるのです。護身のための嘘やごまかしだらけの現代を表したかのようで、背筋が寒くなりました。
さて今回、平野さんは三島自身についても多くを教えてくださいました。私は、三島が割腹自殺したことしか知りませんでしたが、それ以前の10年ほどは、戦後の大転換に適応しようともがいていたのだそうです。居場所を見つけて評価されたい、生きたいと奮闘したものの、かなわなかった三島。戦争に巻き込まれ、犠牲になったことが残念で仕方ありません。
矛盾や理不尽さがはびこって苦しむのはいつでも、まじめな庶民や賢人のように思います。鈍くたくましく生き抜いていける人からすれば、生きづらさを感じて立ちすくむなんて不器用な少数派でしかないでしょうか。でも、忘れることも変わることもそんな簡単じゃないよ!と言いたくなる気持ちが私にはあります。今でいえば、震災や原発事故、コロナに揺さぶられ、立ち止まらざるを得ない人たちは、この国の姿勢をどう感じているでしょう。真摯に生きる人たちの声がとどきますように、平穏に暮らせますようにと、いつも祈っています。
平野さんありがとうございました。
来月の名著もどうぞおたのしみに!
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【第28回】2021.4.19 「論語と算盤」
小さな歯車なりに
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渋沢栄一の名を初めて知ったのは、一万円札の顔になるというニュースでした。
「日本資本主義の父」とか、「多くの企業を設立した」と紹介されていましたので、ビジネスで手腕を発揮した人だと思い込んでいました。
それも間違いではありませんが、それだけではなく、もっと懐深く、もっと幅広い功績を残した偉人だとわかりました。
心に残ったのは、渋沢が武士を志すきっかけとなったエピソードです。
豪農ではあるが百姓だった渋沢家に、中身はうすっぺらだが立場は武士の領主が、大金を納めるよう要求します。
渋沢は疑問を感じ、理不尽だと怒りを覚え、今の世のあり方はまちがっていると強く思いました。そして、百姓でいてはだめだ、武士になりたいと志すようになったのです。しかも、ただ武士になるだけでなく、為政者になることも含んでいました。しっかり学び、自らを磨いて、よい国をつくりたいとはっきり思い描いたのです。これが16歳の時です。
だいたいその年齢のころ、私が中学生のとき、れんげが咲くあぜ道を歩いて下校していると、ある考えが浮かんで立ち止まったことがありました。
それは、「人は誰でも、使命をもって生まれてくるのではないだろうか。私は一体何をするために生まれたんだろうか?」という疑問です。
過去でも未来でもなく、今この時代に生まれたのはなぜか、元気に動ける体と心があって、考えたり話したり学んだりできているのは、何をするためなのかという、大きな問題を自分に問いかけた最初のときでした。この問いは、その日から今に至るまでずっと追い続けています。
渋沢がすごいと心底尊敬するのは、この年齢で感じた疑問に対する自分なりの解にたどり着き、ではどうするか考えて行動に移していったことです。私は疑問にぶつかりながらも、なんとなく流されて過ごしてきてしまいました。
その後渋沢は、「よい国をつくる」という大きな志は揺るがなかった一方で、小さな志はその都度変えていったそうです。紆余曲折あったと知って、励まされるような気持ちになりました。
私は、中学生の頃浮かんだ「使命を果たしたい」という思いを忘れることはなかったものの、それが何かはわからないまま就職を考える時期になり、さてどうしようか考えたところ、「より豊かな社会を創りたい」という思いに行きつきました。これがその頃立てた志です。弱い立場の人、困っている人の声を伝え、まっすぐ生きている人が不利益を被ることがなくなるよう尽力したい、生き生きと輝いて生きられる人が一人でも増えてほしいと願って公共放送の職員になりました。大きな歯車になって活躍しようという意欲を持って飛び込んだはずですが、思ったほどの働きはできないうちに結婚出産し、働ける時間も内容も限られていくばかり。私の志は達成に近づくことなく、宙ぶらりんのままです。家事や育児だけしていると、何か役に立ってるのかなあと暗い気持ちになることもあります。でも時々、「一人の人間を育てて世に送り出すこと、これも豊かな社会への一歩かな」と自分に言い聞かせ、奮い立たせます。20歳の頃描いた志とはかけ離れた小さな志ですが、いま経験していることもこの先何かの肥やしになるかもしれないと期待しています。子育てが一段落し、自分の時間が増えたとき、また「より豊かな社会を創る」ため働けたらいいな、どんなことができるだろうと想像することしかできていませんが、渋沢が言う「気長にチャンスが来るのを待つということも、決して忘れてはならない」「忍耐もなければならない」という言葉を胸に、今与えられている役割を楽しみながら修養したいです。小さな歯車であっても、志を忘れず、人としてまっとうで、後世の役に立つよう生きていきたいなと思います。
今月も名著からの学びに感謝。
守屋先生、ありがとうございました。
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【第27回】2021.3.15 「100分de災害を考える」
自然と生きる
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東日本大震災が発生したあの日から10年経ちました。
被災された方にとっては今でも、もしくは今の方がより苦しくきつい時を過ごされているのではないかとお察しします。
何か力になりたい、少しでも心が穏やかになるようにと祈るばかりです。
今回の名著は4冊。どれも深く考えさせられました。
中でも寺田寅彦のこの言葉には、ズバリ言い当てられたようでドキリとしました。
文明の進化を妄信しているといずれ「自然が暴れだして高楼を倒潰せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を亡ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工である」というのです。
まさに東日本大震災で直面した原発事故ではありせんか。
もう一つ思い出したのは、取材でヘリコプターに乗り、東京沿岸を撮影したときのことです。
そこはまさに大都市で、高いビルがびっしりと建ち並び、高速道路や線路が網の目のように張り巡らされていました。
海の上にさえ幾つもの橋が架かり、ライトアップされた中を車がびゅんびゅん行き交う光景は、子どもの頃描いた未来の絵のようでした。
一瞬、きれいだなと見とれたのですが、すぐに不安でいっぱいになったのです。
自然災害に見舞われたら耐えられないのではないか、全て壊れてしまうのではないかと、震えました。
寺田の言う「人間の細工」をやり過ぎてしまったのではないかと感じた光景でした。
終戦後、焼け野原でほとんど何もなかった状態からここまで作り上げたと思うと、人間ってすごいなとも思います。
でも、どこかで、「もう十分」とか「これ以上やると危ないな」とか感じるタイミングはなかったのだろうかと思ってしまいます。
便利さや快適さと、危険度を天秤にかけ、どこでよしとするかは、私たち大人が決めなくてはいけないし、それはつまり、どんな世界を次の世代に手渡すかということです。
第四回で池田晶子から学んだ、「考える」ということこそまさに必要とされているのではないでしょうか。
過去を検証し、これからはどんな選択肢を選ぶのか、考える。どうすれば、自然と共存可能な範囲での暮らしを取り戻せるのか、考える。そして、前進し始めるよう自ら舵をきっていく、そんな責任を果たせる大人になりたい、そう思います。
若松先生、今回も解説して下さって、ありがとうございました。
名著との出会いにも、感謝。
来月もどうぞお楽しみに!
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【第26回】2021.2.22 「黒い皮膚・白い仮面」
本質をみる目
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私はこれまで留学経験がなく、黒人の方と親しくなるチャンスもありませんでした。そのため黒人差別はどうしても少し遠い話で、ブラックライブズマターの報道も、しっかり引き寄せて捉えることがまだできていません。
小野さんは、こんな私のレベルに合わせて共に考えたり話したりして下さいました。そのおかげで収録は、一つ腑に落ちては新たな疑問がわき、より深く考えられる学びの連続となりました。
乳白化やネグリチュード。
初めて知る言葉でしたが、もしかしたら自分の身に起きたことと近いのかもしれないと思い出した、ある出来事があります。
それは、アナウンサーになって間もない頃のこと。もっと痩せた方がいいと言われ、やせ願望を持つようになりました。スリムな人や綺麗な人を見るとあんな風になりたいと嫉妬し、あの人みたいになれば成功して幸せになれるのではと勘違いして、無理なダイエットばかりするようになりました。
自分の外見をそのまま受け入れられず、別の人間になりたいと必死になる。つまり自分を嫌っているのです。自分以外の誰かになるなんて一生叶わないとどこかで分かっているのに、抑えられない。とても苦しいです。この時期はいつも心が重苦しく、苛立っていて、不幸でした。白くなりたいと願った黒人の方々はどれだけつらく悲しかったことでしょう。私の想像力では及びません。
どうしても人は、外側を見てしまいます。そして、外見でも出自でも肩書きでもない、見えないもの、人の本質こそが大事だということは多くの人が知っているはずです。なのに差別はなくなっていない、それはなぜなのか疑問です。 小野さん伊集院さんとあれこれ話しても明確な答えには至らず、いまだ考え続けています。
一人でも多くの人が、自分を愛し、自分の人生を輝かせて、一生を全うしていけますように。私自身にまず言い聞かせたい願いです。
今月もありがとうございました。
名著との出会いに感謝。
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【第25回】2021.1.18 「資本論」
今すぐ読むべき本!
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きました、「資本論」。
難しい専門書で一生縁がないと思っていました。
ついていけるか不安しかありませんでしたが、なんとびっくり、とてもおもしろかったです!
斎藤先生の解説をきけばきくほど、子どもの頃から抱き続けた疑問が解消されて、目の前がぱっと開けていくようでした。
その疑問とは、「これって、豊かになってるのかな?」です。最初に感じたのは、小学校低学年のとき。近所の自動販売機で水が売られるようになったのを見て「え?買うの?」と不思議に思ったのです。蛇口をひねれば飲めるのに、なんで買うんだろうと。
子どもながらに違和感を覚えたそのもやもやが、「資本論」を読み解くうち、クリアになっていきました。
「価値」と「使用価値」の違い、「コモン」という考え方、資本と労働の仕組み…。全てが腑に落ち、どこか間違っているという自分の感覚は正しかったんだと思いました。
だって、これだけ多くの人が貧困にあえぎ、心の病に苦しみ、自殺や過労死が後を絶たないなんておかしいですよね。しかも一向に改善される気配がない。モノがあふれる現代でなぜこんなに心がひもじいのか、将来に不安を感じるのか。豊かになったはずなのに、なぜ生きづらいんだろうと「?」だらけでした。
今回得られた一つの答え、それが「資本主義の限界」です。
行き過ぎた資本主義により、本来不要な商品が生まれ、格差は増大、環境破壊が進んで取り返しのつかない事態になっている。今すぐストップをかけ、新しい価値観、新しい生活様式を選ばなくてはいけない時がきているんだと思いました。大きな方向転換なんて無理だとか、一人の力なんて微力すぎると思いがちですが、もうやるしかない段階にきているのではないでしょうか。
私は収録以後、それこそ微力ですが、買い物一つするにしても、踊らされていないかどうか、本当に正しい選択肢かどうか、チェックしながら生活するようになりました。
小さいことでもこつこつと、豊かな社会を手渡すという大きい目標は常に念頭に。そう言い聞かせています。
新しい扉を開く名著をおしえてくださった斎藤先生に、感謝。
ありがとうございました!
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【第24回】2020.12.21 「ディスタンクシオン」
不自由な世界でどう生きる?
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私は幼稚園生の頃、「ピアノを習いたい」と懇願してレッスンを受け始めました。休日は父がクラシックのCDをかけていたので、自然と私も聴いていました。当時はありふれた普通の家庭だと思っていましたが、大人になるにつれ、恵まれた環境だったのだと気付きました。
今回「ディスタンクシオン」を解説していただいて、納得です。ブルデューによれば、人は、出身階級によって、あらゆる点で差異が生じるようになっているそうです。学歴や教養、就職、趣味や余暇の過ごし方に至るまで。
しかも、家庭で身につける習慣や感覚をもとに、自分がどの階級に属するか察知し、受け入れ、それに合うよう自ら振る舞うというのです。それはつまり、生まれた時点で決定づけられる「格差」から逃れようがないということでしょうか。
岸さんにそう質問をぶつけると、「家庭の影響は大きいと言わざるをえませんね、小学校にあがる頃にはしみついているのでは」とお答えいただきました。
なんと!7歳で、その後の人生確定済ということ?! それって保護者(特に母親)の責任が重すぎませんかーー?! 働いて帰ってワンオペ育児、一緒に本を読めたらいい方で、ひどいときはテレビを観せている間に家事をこなす。文化芸術に触れる経験なんて皆無ですし、自然体験で心身育むどころか公園ですら連れ出せません。ああすればよかったこうすればよかったと悔やみました。
しかし一方で、岸さんはこんなこともおっしゃっていました。「『どの家庭に生まれるかで全部決まる』という話じゃないんです。もちろん生まれや育ちの影響は大きいですが、ハビトゥス(傾向性)はもっと可変的で流動的です。そしてむしろその変化が重要なのです」と。
それを聞いて思ったのです。子どもたちに差が出てしまうのは、保護者だけの責任なのかな、置かれた状況で必死にがんばってきたのになと。ブルデューの感じていた、階級格差への怒り。近い思いが、私の中にもこみあげました。どの家に生まれた子も、自分の力をのばすことが可能であってほしい。だれもが安心して暮らし、学び、挑戦できるチャンスがあるといい。そんな理想から遠い社会が今の日本だと感じます。
では、その中でどう生きるか。
強固な仕組みに縛られている不自由さを承知した上で、進むしかありません。選べる範囲で、より道徳的な選択肢を採る。その先に、今より少し豊かな社会を実現できるように。まずは今日一日、ほほ笑んで子どもに接したいと思います。親と一緒に笑った記憶は、どんな資本よりも確かな財産となると信じて。
今月も、名著が多くの学びを与えてくれたことに感謝します。ありがとうございました。
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【第23回】2020.11.16 「伊勢物語」
言葉の力
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「伊勢物語」の主人公とされている歌人、在原業平は歌の名手であると同時に大変モテたとされています。
その理由、読めば読むほど分かる気がしました。
女性を尊重し(この時代に、ですよ)度量大きく受け止める人間性。知識やセンス、品のよさ。その何もかもがにじみ出た歌を送られるのですから、そりゃ好きになるでしょう!
とにかく言葉が、いや、一音一音が練られていて、心の奥底にまで染みとおってくるように感じるのです。和歌の力、言葉の力に改めて驚きます。
様々な心模様を絶妙な加減で表し、さらに風景描写や自然への畏敬の念まで、たった31音でつむぐなんて、昔の人は頭がいいですね。
そこで思い出したのはポケットベル。高校から大学にかけて使っていました。
少ない文字でどう伝えようかと頭を悩ませていましたが、全く比べ物になりません!
単純で、奥ゆかしさのかけらもなかったと恥ずかしくなります。
あーあ、もっと上手に言葉でコミュニケーションとれていたらなー。
いや、過去形ではないですね、これだけSNSでのやりとりがあふれる現在です。
言葉や文字で伝えるスキルは重要に違いないでしょう。
人としての中身を充実させるべく、学びを深め、芸術や文化に触れて情感豊かに生きる。
そして、言葉での表現に真剣に取り組む。
日々トライし続けるうち磨かれていくことを願って!
そうだ、数年さぼっている日記を再開しよう。
日々を綴るだけでなく、短歌を一首添えるのはどうでしょう。
いきなりハードル上げすぎかなとも思いますが、やってみないことには。
善は急げ、今日から始めます!
今月も名著から様々な学びを得られ、喜びと感謝でいっぱいです。
高樹先生、ありがとうございました!
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【第22回】2020.10.19 「谷崎潤一郎スペシャル」
悪女へのあこがれ
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毎回、情けなくなるのですが、今回も読んだことがありませんでした。
もちろん谷崎の名前は知っています。
しかしなぜか、一つも読んでいない。
スタッフが気を遣って「映画はご存知でしょう?」と言ってくれましたが、まるで触れたことなし。
10代20代何してたんだとため息つきつつ、今回の4冊をはじめ、「刺青」「細雪」と読んでいきました。
一文は長めですが、情景がありありと浮かんで、分かりやすかったです。
特に、人物の動きや表情、感情が生き生きと想像できました。
それにしても登場する女性の激しいこと!
ナオミにしろ、春琴にしろ、私の理想からは程遠い女性です。
人を傷つけたり裏切ったりする上、批判されても平気で開き直り、好き放題。
男を罵倒したり翻弄したりと、絶対友達にはならないタイプです。
でも、なぜか、嫌いになれないんですね。いやむしろ、ほっとする部分がある。
それは、彼女たちが、世間の目や常識といったブレーキを取っ払い、存分に生き切っているから。
こんな風に弾けたいという欲望が、実は私の奥にもあるからなのかなと思います。
普段はふたをしている、真っ黒い感情や欲。
それらが急に顔を出すときが、この先いつくるか分かりません。
そのときは、ナオミや春琴を思い出し、加減しつつ振る舞おうと思います。
悪女だろうが変態だろうが、自分の人生ですもんね!
最後に、谷崎が色恋や女性に関心を持ち続けてくれたこと、多くの名著を残してくれたことに感謝。
そして、いつもおしゃれで、今回もかっこよく解説してくださった島田先生にも感謝します。 ありがとうございました!
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【第21回】2020.9.21 「ペストの記憶」
ペストの記憶、コロナの現実
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序盤、どういうスタンスで読めばいいのか、戸惑いました。
取材者目線の記録文書なのか、史実を織り交ぜた小説なのか、それともデータ部分を含めて創作なのか。
途中で1ページ目に戻って、何か注意書きがなかったか確かめたほどです。
「史実を織り交ぜたフィクション」なんですね。
だから妙にリアルだし、物語としてのおもしろさもあって、引き込まれます。
ペストに襲われた街は、市民は、どうなっていくのだろう、語り手の運命は?
毎日伝えられる死者の数、不安をあおられとびかうデマ。
買い占めによる品薄、出回るあやしい商品。
コロナ禍の今、すべて身近な現実と重なります。
人間は同じことを繰り返しながら歴史を紡いでいるんですね。
ということは、過去の書物を読めば、今につながるヒントが得られるはず。
この本からは何が学べるのでしょうか。
私が一番心に残ったのは、物語終盤、ペストが終息したあとを描いたシーンです。
生き延びた市民たちが喜び合い、街は大都市へと繁栄。
そこに突然、こんな注釈があるのです。
「語り手はその後病死、ペストによる死者と同じ墓地に埋葬されている」と。
ハッピーエンドを想像してもおかしくない場面です。びっくりしました。
しかし、ここを丸く収めないのがデフォーなのでしょうね。
「命あるもの必ずいつか死ぬ」という、忘れがちな宿命を突き付けられたように感じました。
いつ死ぬか、どのように死ぬかは選べない。だからこそ、悔いのないよう精一杯生きたい。
道徳的に、まっすぐに、今日を生きよう。そう思います。
今月も名著との出会いに感謝。
来月は、ガラッと雰囲気の違う名著をご紹介しますよ!
どうぞお楽しみに!
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【第20回】2020.8.17 「モモ」
モモを目標に
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書店では、児童文学コーナーに並べられている「モモ」。
子ども向けの楽しいファンタジーですが、大人が読むと本当に考えさせられる、勉強になる本なのです。
一番心に残ったのは、モモがみんなの話を「いつでも」「じっくり」聴ける子だということです。
人の話を聴くって、誰もができる簡単なようなことでいて、実は極めて難しいですよね。
いつでも、どんな話でも、口を挟まずじっと聴くなんて、私は出来た試しがない気がします。
特に夫や子どもといった一番近い家族に対しては。
朝、子どもが「学校行きたくない」と泣いた時も、夜、夫が「仕事でトラブルになった」と話し始めた時も、ただ聴いていられた時間って2分くらいだったのではないでしょうか。
ついつい、「仕方ないじゃない」とか「私の時はこうだったよ」とか、余計なことを話し始めてしまうのです。
アドバイスなんて誰も欲しがっていないのに。
なぜモモのように傾聴できないのか、原因を考えてみると、きいている自分がしんどいからなんですよね。
家族の悩みや悲しみ、苦しみをきくのは負担のかかることで、早く解決して終わらせたくなるのです。
時間にも心にも余裕がないと、受け止めることはできません。
ですから、私の場合まずは、スケジュール帳に空白を作ること、瞑想して心を安定させることから始めようと思います。
いつかモモのような人になるぞという決意を胸に。
いつでも手の届くところに置いておきたい本にまた出会えました。
今月も感謝。
ありがとうございました。
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【第19回】2020.7.20 「共同幻想論」
幻想にのみこまれず、生きたい
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吉本のこの一文は強烈でした。
「国家は共同の幻想である」。
幻想?!幻なの?と、瞬時にはのみこめませんでした。
読み進むうち、わたしなりに掴んだ内容はこうです。
太古の昔から人は、嫉妬や好き嫌いといった感情、性的駆け引きにとらわれている。
農耕社会の到来、死生観や言い伝え、祭儀行為などがうまく機能し、集団でみる幻想(共同体)が形作られていった。
そこから外れる行為や人を、祓い清めたり追放したりして、秩序を保った。
さらに進んで、法が整備されることで、特定の人間が罰せられるようになった段階で国家が成立したと、吉本は考えたんですね。
驚いた点はいくつもありますが、まずは、人間ははるか昔から嫉妬や好き嫌いという感情に振り回されてきたという部分。
吉本は、人間ひいては国家の根本に、そういうぐじゃぐじゃした感情が残り香のようにまとわりついている、とみていたというところです。
人間って変わってないんだなーとしみじみ思いました。
現代だって、人が集まって盛り上がるのは、男女の話か悪口か。
人と比べては落ち込んだり優越感にひたったりで、嫉妬が渦巻いてばかりです。
逆に変わったのはやはり、情報量でしょう。
知らなくてもいいことを簡単に知ることができ、言わなくても済むことを発信できる今、以前よりずっと飲み込まれやすくなっていると恐怖を感じます。
自分の目で見て自分できいたことだけを基に考えたい感じたいと思いますが、ネットもSNSも排除するのはむずかしい時代なのも確か。
工夫して、身を守るしかない気がします。
吉本は漱石の随筆を用いて、平凡な生活がいかに奇跡的か、当たり前に見える家庭がいかに必死に生きているのか、訴えていました。
今まさに、我が家はこの状態です。
核家族の共働きで、地域の人たちに手伝ってもらってなんとか乗り切っていたのに、コロナの影響で一切頼れなくなりました。
夫婦ともに健やかで子どもを元気に育てたいという願いは、とてもささやかだと思ってきたけれど、本当はとてつもなく骨の折れる労働で、叶ったとしたら奇跡なんだと知りました。
平和に暮らしたい、この一言はとてもとても重いのだと痛感しています。
今月も名著との出会いに感謝。
ありがとうございます。
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【第18回】2020.6.15 「純粋理性批判」
今おすすめの名著です
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今月は難しかったですねーー。
西先生に一つ一つ解説していただいて
なんとか最後まで行きつくことができました。
収録を終えた今、一番心に残っているのは第四回で伺ったお話です。
「人間には自由がある」と言っているカント。
好き勝手していいという意味ではなく、
「道徳的に生きることに自由がある」というのです。
つまり人間は、自分の行いが道徳的かどうか、自分で考え、
選ぶことができる、選べる自由があるといっているのです。
その際、基準となるのは、
自分の力を伸ばすことができるか、
他者の幸せに貢献できるかどうかの2点です。
どうですか?
私は納得すると同時に、これって今にぴったり!とビビッときて、
感謝の気持ちがわきました。
コロナで様々な変化を余儀なくされ、SNSには情報が錯綜、
何を信じ、どう行動すればいいのか迷いや悩みが尽きません。
しんどくなったり不安になったりしたら、ここに戻ればいいのです。
私の言動は道徳的?自分でよく考えて選んでる?
自分の力を伸ばそうと努めてる?
他者の幸福につながっている?と。
思い返せばNHKで働きたい!と思った20年前、私は、
豊かな社会を創りたい、幸せな人を一人でも増やす仕事がしたいと考え、
公共放送の理念に魅かれて受験したのでした。
あの初心を思い出し、今は何をすべきか、
少し先には何をしたいか、じっくり考える時間を持ちたい、
まどわされず進んでいこう、そう思えました。
本に救われた、力と勇気を与えてもらった、そんな経験になりました。
西先生、そして名著のおかげだと心から感謝しています。
本当にありがとうございました!
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【第17回】2020.4.20 「ピノッキオの冒険」
ピノッキオが悪童である理由
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みなさんご存知、「ピノッキオ」。
今回、原作を読んでびっくりしました。
ピノッキオ、悪すぎる!
愛のある助言を無視し続け、悪事に加担、
すべてを失った挙句、
手を差し伸べてくれた恩人までも裏切ります。
失敗しても失敗しても、心を入れ替えません。
子どもを主人公にしておいて、
ここまで徹底して悪の道にどっぷり浸からせるのはなぜ?
どうしてコッローディは、こんな表現をしたのでしょう?
その疑問は、和田さんの解説ですっきり解消されました。
まず、当時のイタリアが置かれていた状況です。
子どもたちは労働力とみなされ、
低賃金で、一日15時間の労働を強いられていました。
近代化を推し進めるあまり、
子どもらしく遊んだり学んだりといった、
今の日本では当たり前のように与えられている自由が奪われていたのです。
働きたくない、遊びたいと発言することさえかなわない子どもたちに
コッローディは胸を痛め、
奔放で、大人や権力に歯向かってばかりのピノッキオを描いた…、
そう捉えると合点がいきます。
子どもが子どもらしくいられる環境を、大人は死守しなければならない、
そして、温かい目で見守り続けたい、
「ピノッキオの冒険」は、そう思わせてくれました。
さて、現代の日本はどうでしょう。
核家族化が進み、一人っ子も増え、
祖父母やご近所、兄弟姉妹など、大勢の人を巻き込んで暮らす
子どもは少なくなりました。
閉じられがちな家庭で、親の顔色をうかがいながら
理想像を演じている子はどれくらいいるでしょう。
勉強や習い事に追い立てられ、いたずらして叱られたり
大声で笑ったり泣いたり、くたくたになるまで外で遊んだりする
時間を失ってはいないでしょうか。
かく言う私も、塾の広告や、書店に並ぶ受験ガイドを見ると
うちだけぼんやりしてちゃだめなのかな?と
気が焦ることがあります。
そんな時、ピノッキオを思い出すようにしたいです。
子どもが子どもでいられる素晴らしさ。
失敗して間違って、
そこから自分ではい上がって生きていく過程でこそ
人は育つと信じ、待つこと。
親修行の道はまだまだこれから。
「ピノッキオの冒険」を本棚に置き、戒めてもらいながら
日々過ごしたいと思います。
今月も学び多き名著との出会いに感謝。
ありがとうございました。
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【第16回】2020.3.16 「アーサー・C・クラーク スペシャル」
違う人と
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今回キーワードとなった、「センスのよい好奇心」。
好奇心が旺盛であるだけでは不十分で、
必要なのは「センスのよい」好奇心だといいます。
それってどんな好奇心?
どうすれば育むことができるのでしょう?
疑問だらけの私に、瀬名さんは、
科学、芸術、哲学のバランスが大事だと
おっしゃいました。
一つに偏るのではなく、多角的に物事を捉える。
その上で、少し先の世界へ想像をめぐらせるのだと。
日本では、高校生の頃、
理系と文系のどちらかを選ぶケースが多いですよね。
科学を専門に学んだ人が、
芸術や文学、哲学も同等に学ぶのはむずかしいかもしれませんし、
文学を中心に学ぶ人が、科学にも精通するのは簡単ではないでしょう。
すぐに、科学、芸術、哲学をバランスよく身につけるのは
至難の業でも、自分と違う分野が専門の人と
仲良くすることはすぐできそうじゃないですか?
私は文系に進みましたが、理系の方のお話はいくら聴いても
飽きません!
思いもつかない見方をしていたり、
全然、関心のなかったことを熱く語るのを聴いて
私もおもしろく感じるようになったり。
自分と違う人と付き合うのは、
時々、面倒なこともありますが、
それ以上に多くのことを教わっていると思います。
本当に感謝。
同時に、自分の内面を深く掘り続けることも
続けていかねばと改めて思います。
勉強して、刺激を与えあって、一生精進ですね!
今月も素晴らしい学びに感謝しています。
ありがとうございました!
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【第15回】2020.2.17 「力なき者たちの力」
言葉を大事に
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今回まず驚いたのは、著者ハヴェルが「大統領」で「戯曲家」だったこと。
なんて多彩な人なんでしょう。
ハヴェルが大統領だったころのチェコ・プラハに留学されていた阿部先生によると、ハヴェルはとても言葉を大切にする大統領で、ラジオを通して国民に伝えるときも、日常会話に近いわかりやすい言葉で語りかけていたそうです。
そんな政治家………、いたんですね。
原稿の棒読みか、変にこむずかしい言葉を使うか、芝居がかったパフォーマンスか、はたまたウソばっかりついているか、そんな人ばっかりかと思っていました。
ハヴェルのように、言葉の重みを常に胸にとめ、一言一句吟味して、よりふさわしい表現で伝える。
理想の政治家に思えます。
でも、考えてみたら、これってどんな人にとっても望ましい姿勢なのではないでしょうか。
言葉の力を重視し、常に言葉を選び、うそをつかない。
とても真摯で誠実な生き方で、アナウンサーとしても、子どもを育てる親としても、目指したい姿です。
今月も名著を通じて得られた出会いに感謝。
ありがとうございます。
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【第14回】2020.1.20 「貞観政要」
いまイライラを感じている人へ
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子育て中の女性が、子どもにも夫にもイライラする。そういう話、きいたことありませんか?以前の私がまさにそうでした。そして、友達と会うと決まって愚痴り倒していました。「毎日おなじこと注意してるのに…」「言わないとわからないし、言ってもわからない!」等々。
その頃の私に「貞観政要」を読ませたいものです。そうしたら、ずっと早く家庭円満になったに違いないのに。自信をもって断言しましょう。この本を知れば、幸せに近づけます!
たとえば、テキストの表紙にあるこの一言。「諫言に耳を傾けよ。さすれば国はよく治まる。」家庭内の司令塔としては、こう解釈しました。「子どもからの耳の痛い一言や、夫から指摘される自分の欠点。耳をふさぎたくなることほど、素直に聴く。よく言ってくれたと感謝し、“ありがとう。また何か気づいたらおしえてね”と伝える」と。どうでしょう、結構難題ですよね!?でも、妻&母親がどんな話にも耳を傾けてくれ、感謝してくれる人だったら、きっと自然に家族は落ち着き、安泰なのではないでしょうか。
貞観政要で書かれている理想像。むずかしいけれど、目指し続けたい、そう思います。毎日手に取れる場所にこの本を置き、何度も目を通すことから始めます!
今月もすばらしい名著との出会いに感謝。ありがとうございます。
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【第13回】2019.12.16 「カラマーゾフの兄弟」
何度も読み返したい!
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「カラマーゾフの兄弟」。ずっと読み終えたいと思ってきた本でした。
出会いは、小学生のころ。父の本棚で見つけたのですが、「カラマーゾフ」というフレーズが気になって手に取りました。どんな兄弟なんだろうという素朴な疑問を持ちながら。
次に接点があったのは大学生のころです。大江健三郎さんが子ども向けに書かれた本、『「新しい人」の方へ』を読んでいると、カラマーゾフの兄弟をテーマにした章があり、「世界の文学でもっとも優れた小説のひとつ」だとしていたのです。
大江さんの著書や、大江さんが薦める本をなるべく多く読みたいと思っていた私は「やっぱり早く読まないと!」とその足で書店へ行き、購入。すぐに読み始めたものの、序盤で挫折…。
その後何年も、読み返しては中断してばかりで、なかなか最後まで読み通すことができずにいたのです。
今回、亀山さんからアドバイスを頂けたことでやっと読めました。
「続編があるはずの物語だから、少し腑に落ちないところがあっても読み進む。」「後半になればミステリーとして楽しめるので読みやすくなる。」この二点が私には大きな後押しとなりました。
おかげで序盤を乗り越えられ、その後はぐいぐい引きこまれるおもしろさ!自伝的要素を感じながら読んだりロシアの歴史を重ねたりしてみると、また違った味わいまで楽しめて驚きました。
亀山さんありがとうございました。
これからお読みになる方がいらしたら、ぜひテキストで亀山流の読み解きをご一読ください。読みやすくなる上、様々な角度から楽しめること間違いなしです!
今月も、名著との出会い、読書できる時間に感謝。
ありがとうございます!
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【第12回】2019.10.21 「善の研究」
最上の善を目指して
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今回の名著も難解でした。
若松さんに教えていただき、なんとかポイントをつかめたものの、西田の声はまだきけていないと感じます。
ただ、いくつか、「こういうことかな?」と思える部分はありました。
その一つは「経験」についてです。
西田は、思想や判断など何も差し挟まず直接的に認識する「純粋経験」について言及しています。これは例えば、賞を取った作品だから「いい」と思ったり、肌の色で判断を加えたりすることがあるけれど、そうではなく、そのものを直にみよ、ありのままをただ受け止めよということですよね。考えてみれば、ほとんど無意識のうちに何重ものフィルターを通して物事を見ている、そう気づかされました。
もう一つ思い出したのは、第一子の出産です。
産み落とす直前の数十分、初めて別の生き物になったあの感じ。頭はからっぽで、どこに力を入れるとかどう動くとか何も考えず、ただ中に抱えている生命が外に出ようとする勢いを邪魔しなかっただけ。もはや生き物ではなく、命のもとがつまっている天と地上とをつなぐパイプなんだと思いました。それまでずっと、自分が考え、自分が体を動かし生きていると思っていたのは傲慢なまちがいだったんだと知ったのです。
ですから、西田のいう「大いなるもの」もわかる気がしています。
人間の力は到底及ばないということ、生かされていること。
自然と敬虔な気持ちになりますし、すべてに感謝しながら、謙虚に誠実に生きるしかないということではないでしょうか。
西田がいう「最上の善」とは、自分の力を開花させ円満な発達を遂げることだそうです。
そのためにはまず、自分の内を深く見つめなければいけません。
私が「最上の善」を目指す第一歩は、毎日瞑想かな。続けてみます!
最後に若松さんへ。
幼稚な質問を何度もしたのに、丁寧におしえてくださって、感謝でいっぱいです。
ありがとうございました!
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【第11回】2019.9.16 「燃えあがる緑の木」
二つの決意
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私のふるさと愛媛県の偉人、大江健三郎さん。
高校の大先輩ということもあり、
この20年、全作品読破を目指して読んできました。
でも、すっと読めたのは、子ども向けに書かれた本と、
対談本だけ。
ほかは、途中で挫折、本棚でしばらく眠り、
再び手に取ってはまた挫折を繰り返していました。
そんな私に小野さんは、
「大江さんの作品ほどよくできた文章はないですよ。
とてもわかりやすいと思うけど。
むずかしいって、どういうところが?」とおっしゃいました。
一文が長いとか、すっと入ってきにくい感じだとか
答えたのですが、
「んーそうかなあ??
無駄が全くない、削ぎ落された文章だから
そんなはずないんだけどなー。
構えず、もっと楽に読んでみたら?」とのこと。
ノーベル賞作家の作品を、楽に?
一生懸命読んでも理解できているか不安だというのに!
内心そう驚いたのですが、収録が進むうち、気づいたのです。
今の自分なりに受け止めれば、それでいいのかな?と。
大江さんのメッセージや意図を正しく受け取りたいと思うあまり、
執筆された順に読まねばとか
一言一句しっかり読まなきゃとか、必死になっていましたが、
まずは、気楽に楽しむところからでいいと
勇気づけていただきました。
小野さん、ありがとうございます。
…とは言うものの、私の場合、
気楽に読むだけでは何も身に付かない気がするので、
二つのことを決意!
毎日、読み続けること。
そして、大江さん(と小野さん)お薦めの、
読書記録を書きためる習慣を根付かせることです。
本を読んだらカードにメモをとり、箱にためていくこの習慣、
育児で中断したままなのですが、細々とでも再開します。
20年続けたら、どれくらいのカードがたまるかなあ。
わくわくします!
今月も、名著を通して得られた出会いに、心から感謝。
ありがとうございました!
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【第10回】2019.8.19 「戦争論」
人間は、戦争が好きなのか?!
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カイヨワは、冒頭で、
「戦争が人間の心と精神とを如何にひきつけ恍惚とさせるかを研究した」と書いています。
戦争にひきつけられる?恍惚とする!?
ちょっと驚きませんか?
さらにこんなことも。
戦争は、「人を魅惑する」「本能に満足を与える」
「世界に若さと活気と真実を与え」「新しい時代を開く」のだと。
そもそも、人は戦争に「傾いている」と言っているのです。
恐ろしいけれど、否定できない気がするのは私だけでしょうか。
世界中のあちこちで戦争が絶えないのは周知のとおり、
報道のほとんどは、意地悪や争いごと。
我が家をみたって、兄妹げんかに親子げんか、夫婦げんか、
つまらないことでの小競り合いばかり(笑)
平和とは理想に過ぎないのかも、と思ってしまいます。
でも、ここから始まるのだ!とも思うのです。
人は戦争に傾いている生き物で、平和の達成は最も難しいミッションだと自覚することから。
事実を把握すれば、的確な対策に近づくこともできるでしょう!
自分たちには戦争したがる習性があると悟ること。
いま傾いていってないか?と常に問い、ブレーキをかけること。
そしてカイヨワの言う「教育」をコツコツと続けていくこと。
必死で育てた子どもが肉片となって飛び散る…
想像することさえ耐えがたい。
私は毎夜、子どもの寝顔を見ながら切に願います。
明日もすこやかでありますように。
そして、寿命を全うして幸せに死ねますようにと。
今月も名著との出会いに感謝。ありがとうございました。
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【第9回】2019.7.15 「小松左京スペシャル」
新しい世界!
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SFというジャンルにそれほど関心を持つことなく、40歳まで生きてきた私。
もちろん、小松左京という名前は知っているし、これだけ世に支持されている作品なんだから、早く読まなきゃなーと思いながら、なんとなく後回しにしたままでした。
今回、小松左京特集をお送りすると聞いて、気合を入れて読み始めたら…。
どれをとってもおもしろい!
電車の中で読み、駅に着いても本をとじられなくて、ホームのベンチにしばらく座って読み続けたり、お風呂に入らなきゃいけないけどまだ読みたいから、シャワーですませたり。
何に驚嘆したかって、AIなんて言葉がまだ一般的ではなかった数十年前に、構想、執筆したってことです。今読んだって十分すぎるほどリアルで、一度、未来を見てきたの?と驚くばかりでした。
宮崎哲弥さんもおっしゃっていましたが、とにかく導入がうまい作家だそうで、のっけから「え???!!」と驚かされるので、これがどうつながっていくんだろうと、引き付けられるんですね。
そしてもう一つ。
いい具合に、「?」が残ること。
何が言いたかったんだろう?とか、これってどういう意味?とか、小さな疑問がいくつか残るので、もう一度読み返したくなる。
その塩梅が絶妙なのでしょう、どの作品も二度三度と手に取ってしまうのです。
実際、はっきりわからなかった部分を伊集院さんと宮崎さんに話してみたところ、お二人の見解もまた異なっていてびっくり。
そこからしばらくあーでもないこーでもないと話が弾みました。
(ちなみに「日本沈没」の終盤で田所博士が口にした、「日本に恋している」の解釈についてです。)
もう一度ゆっくりじっくり読みたい、そう思わせてくれた名著との出会いに、感謝。
宮崎哲弥さん、伊集院さん、ありがとうございました。
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【第8回】2019.6.17 「アルプスの少女ハイジ」
アニメと違いすぎ!
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アルプスの少女ハイジと聞けば、多くの方が、「クララ!立つのよ!立って!」というセリフを思い起こすのではないでしょうか。
私もその一人。アニメを観たことがないにも関わらず、なぜかそのシーンは知っているし、大体のあらすじもわかります。
原作の「ハイジ」を読んだのは今回が初めてですが、まあびっくり。驚きの連続でした。
クララが立つシーンは拍子抜けするほどあっさりとしたものですし、ペーターは素朴でのびやかな少年とは程遠く、無学でいじわる。クララの主治医であるクラッセン先生は準主役?と思うほど重要な立ち位置を占めています。
アニメだけご存知という伊集院さんも終始、「あれ??犬は出てこないの?」「あれ?なんか違う!」と驚かれていました。
さて、そんな風に驚きながら読み進んだ私。全編、読み終え最も心に残った登場人物は、クラッセン先生と、クララのおばあさまでした。
二人ともとても愛情深く、どっしりとしていて、血のつながりのないハイジやペーターを包み込んでくれるのです。
子どもがよからぬ行動をとったときもすぐにはとがめず、ユーモアを交えて諭し教える姿に感動し、こうありたいと強く思いました。
もう一度ゆっくり読みたいと思うと同時に、アニメも全編観てみたいなあと思いましたよ。
伊集院さんによると、「どっちもいい!」そうです!
今月もすばらしい名著との出会いに感謝!ありがとうございました。
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【第7回】2019.5.20 「平家物語」
抜群におもしろかったです!
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今月の名著、「平家物語」。
歴史だー古語だー、むずかしそう・・・と思っていたら!
めちゃめちゃおもしろかったです!
伊集院さんと何度、腹を抱えて笑ったことか!
まあ、次から次へとツッコミどころ満載の人物が出てくるんです。
いい人だけど判断力ゼロの上司。その場その場で態度を変える調子のいい人。肝心な時に取り乱したり逃げたりで終始かっこわるい人。有能だけど突っ走りすぎちゃう人・・・。
いるいる!って大盛り上がり間違いなしです。
そしてもちろん、笑いだけでなく涙する場面も多々あり。
人間模様に一喜一憂していると、あっという間に読み終えてしまいました。
ところで、この「平家物語」。ちょうど今、小学校5年生の息子が国語の授業で学んでいるようで、家で暗唱しています。
「しょぎょうむじょうって何?」と聞かれ、「何事もずっとは続かなくてむなしいって感じ。」
「おごれるもの久しからずって何?」には、「いばってばかりいたら、一人になっちゃうよってこと」。
あれ?合ってる?もっと興味がわくような言い方しないとなーと反省しきりでした。
平家物語も、歴史も、言葉も、もっともっと学ばなくては!
今月も、名著との出会いに感謝。
来月もどうぞお楽しみに!ありがとうございました。
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【第6回】2019.4.15 マルクス・アウレリウス「自省録」
「自省録」を書くぞ!
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今回の名著、まず著者がローマ皇帝だということに驚きました。
当時の書物が残されていたのも奇跡的ですし、皇帝という立場に置かれていながら、自らを戒めたり鼓舞したりする文章を、日々したためていたことに驚嘆します。
なんと謙虚で、真摯な生き方でしょう。
アウレリウスの言葉、「怒らずに教え、そして示せ」や「教えよ、さもなくば耐えよ」は子育て中の私にとって強烈でした。
さらに、この一言にも敬服。
それは、「お前が今いる状況ほど哲学するために適した生活はないということが、どれだけ明らかに納得できることか。」です。
アウレリウスにとって哲学は、寝食を忘れるほど打ち込んでいる学問です。人生をかけて取り組みたいと強く思っているのに、それがままならない立場に置かれたとき、こう捉えることができるでしょうか。
いや、私が似た状況に陥ったら、投げやりになったり、くじけそうになったりしそう。
アウレリウスも最初はそんな泣きたい気持ちでいっぱいになったのではないかと思うのですが、そこであえて、自分の心に向かってこう問いかけ、励ましたんですね。
壁にぶち当たっても、壁を責めず嘆かず、自分に語りかけ勇気を奮い起こす。そんな人になりたいものです。
よし!私も毎晩、寝る前に「自省録」を書き綴ろう!
そうすれば一段上の生き方に近づけるかな?
いや、まずは、日々のイライラが少しでも減ればOKとしましょうか!(低レベル!!)
今月も名著を通して得られた出会いに、心から感謝。
ありがとうございました。
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【第5回】2019.3.18 「夏目漱石スペシャル」
楽しんでいいんだ!
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今回の名著は、夏目漱石を特集しました。
私にとって漱石は、特別な作家です。
出身地の愛媛県松山市は、小説「坊っちゃん」の舞台。授業で取り上げられたり、図書館や書店には常に特設コーナーがあったりと、身近な偉人でした。
「あのお札になっている漱石が昔この街にいたんだ!」と思うだけで誇らしいですし、松山のことをけなしているにも関わらず、書いてくれただけでうれしいやら親近感がわくやら。
松山市民として、漱石作品は読破するのが当然だと思ってきましたし、もっと理解したい深く味わいたいと思い続けてきました。
しかし、簡単ではありません。読み終えたとはいえ、果たして理解できているのか問われたら自信がない。そもそも読み進めるのがむずかしい作品さえある。
漱石をつかむ。いつ達成できるのかわからない目標だ、とくじけそうでした。
そんな私に、今回の特集!
読んではいるけどわかっちゃいない私に、阿部先生がおすすめの読み方を教えてくださいました。それは、「ツッコみ読み」。
「よくわかんないなー」「めっちゃ変な人―」「ありえない!」「まわりくどいなー」などとツッコミを書き込みながら読むんです。
えー!文豪の作品にツッコむ?!書き込む?!いいのーー??!!いいんですって。
やってみたら、おもしろかった~!
構えないで自由に読んでいいんだ、読書ってエンターテインメントなんだと、ちょっと力を抜いて作品と向き合えるようになりました。
さあ、この方法でまた一から漱石作品を読み返さねば!
新たな発見、新たな味わいを見つけられそうでわくわくします。
阿部先生、ありがとうございました。
今月も、名著との出会いに感謝。本って、すばらしいですね!
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【第4回】2019.2.18 オルテガ「大衆の反逆」
敵と共に生きる!
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今月の名著は、少しむずかしい本でした。でも、収録が進むにつれ、オルテガのメッセージが具体的な言葉に置き換わり、腹の底から納得することができました。
心に刻まれた言葉はいくつもありますが、一つ選べと言われたらこれです。
「敵と共に生きる!」。
敵と「和解する」でも「話し合う」でも「理解する」でもなく、「共に生きる!」なのです。距離感でいえば、いつも近くにいて、共存しているイメージがありませんか?
この言葉。中島さんの解説を経て、「自分は間違う。だから、自分とは違う人、自分と対立する人、つまり敵こそ尊重すべき」「耳が痛い意見にこそ耳を傾け続けよ」と受け止めました。政治家や専門家に向けたメッセージでもあったようですが、一般人の私にもずしんと響きました。だって、とってもむずかしいですよ!?
夫とも子どもとも親とも、考え方が違うことばかり。PTAでも、地域活動の役員会でも、意見が一致することの方がまれです。考えの違う人と共にやっていくのは、時間も手間もかかるし心身すり減るし、面倒くさいというのが本音…。
いらいらしたり話し合いを避けたりしがちだった私に、目を覚ませ!と言っているかのようでした。「敵こそ、ありがたい存在で正しいのかもしれない、謙虚に感謝の気持ちを持って接していかなくては」と、心新たにしました。
今後、人間関係でつまずくたびに、「敵と共に生きる!」と唱えようと思います。少しは気の強さもやわらぐかな…?どうでしょうか…。
今月も、素晴らしい出会いに感謝しています。ありがとうございました。
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【第3回】2019.1.21 マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ」
スカーレットになりたい!
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はずかしながら、これまで映画にも原作にも触れたことがなく、映画のポスターが記憶に残っているだけでした。
今回、まず原作を読み、そのあと映画を観たのですが、スタジオで鴻巣さんがおっしゃった通り、「原作と映画はずいぶんと違うなー」というのが率直な感想です。
なんといっても、小説の出だし。
「スカーレット・オハラは実のところ美人ではなかったが」から始まってるんですよ!
えーー?!ポスターではめちゃめちゃ美人ですけど???!!!と驚愕。
驚きはこれにとどまりません。読み進むにつれ何度も衝撃が走りました。
まずはスカーレットの性格。一言で言うと、意地が悪い。誰にどう思われようが、自分がよければいい。面と向かって悪口まで言うので、女友達からはきらわれっぱなし。修復しようとか、態度を改めようとか、そんなことも一切なし。男性からはモテモテですがどこか素っ頓狂なので、本命とは成就せず。何回か結婚しますが、お金のために略奪したり、失恋のあてつけだったりと、とにかく全般に信じられない女性なのです。
そんなスカーレットなのに、憎めないどころか親近感がわくのはなぜか。それは、ミッチェルの力量によるものだったんですねー。脱帽です。
そして、典型的な日本人女性(と自分では思っている)私からすれば、うらやましいといいますか、潔くてかっこいいなとも思います。
これからは、時々でいいから、心の中で、「スカーレットならどう考える?どう行動する?」と問いかけてみようかな。
未来の自分が後悔しないために。あとほんの少し、思い切りよく生きるために。
今回も、素晴らしい名著と出会うことができました。
ありがとうございました。
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【第2回】2018.12.17 スピノザ「エチカ」
難解→感動の書でした
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今回の名著は、スピノザの「エチカ」。
冒頭からむずかしく、何度、読み返してもすっと入ってきませんでした。
挫折しかかっていた私に、國分先生が「下巻から読みましょう」と教えて下さり、再挑戦。
かみくだいてお話してくださったおかげでなんとなくこういうことかな?と思えるくらいにまではなりました。
(國分さん本当にありがとうございます!)
なんとか読み終えてみると、今後生きていく中で大事に心にとめておきたいと思うことがたくさんある本で、もう一度読みたい、もっと深く知りたいと思うようになりました。
そのうちの一つは、「農耕馬・競走馬」でたとえてくださったところです。
見た目や外見=「エイドス」で判断するのではなく、持っている力=「コナトゥス」が大事なのだと。
畑を耕すのが得意な馬に、速く走ることを要求するのは正しいだろうか、力を発揮して幸せを産み出すだろうか、といった考え方です。
これは、子育てに悩みっぱなしの私に、忘れてはいけないことを思い出させてくれました。
運動が得意な子、本を読むのが好きな子、いろいろな個性があってどれもいいんだと、頭ではわかっているつもりです。
でも、参観日や運動会に行けば、どうしても他の子と比べてしまいます。
そして、秀でていれば安心、後れをとっていれば叱咤激励したくなる。
頭では、「全部完璧になんてできなくていい」とわかっているのに、です。
我が子は、どんなコナトゥスを持っているのか、どうすればそれを伸ばすことができるのか、それを大事に接していきたいと心新たにしました。
さらに、もう一つ。
第一回でおそわった、「組み合わせで考える」ということ。
自分と合うものは何なのか、力が発揮できるのはどんな時か、試し続け、最も喜びを感じられることや、居場所を見つけていくべきだというところです。
人生は、実験の連続。
失敗したら、ほかを試せばいい。
そうして、自分が楽しく幸せに力を発揮できるところに行き着ければいいんだと、励ましてもらいました。
これからの生き方、子育てへの向き合い方に大きなヒントをくれた、スピノザの「エチカ」。
すぐ手に取れるところに置いてちょこちょこ読み続けようと思います!
名著との出会いに、感謝。
ありがとうございました。
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【第1回】2018.11.19 モンゴメリ「赤毛のアン」
赤毛のアンの収録を終えて
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今回から番組を担当させていただくことになりました、アナウンサーの安部みちこです。
子どもの頃から本が大好きなので、とても嬉しいです!
よろしくお願いいたします。
さて、初回の名著は「赤毛のアン」でした。
小学生のころ読んだきりで、覚えているシーンは「にんじん!」と赤毛をからかわれる場面くらい。久しぶりに読み返しましたが、まあ驚きました。
自分が小学生だったときは、アンやダイアナの立場で読み、一喜一憂したものでした。それが二児の母になった今、マシューとマリラに感情移入してしまって離れられないのです!マシューとマリラの名前すら覚えていなかったのに、もう冒頭からずっとマシューの立場で読み進めるほどです。
中でも、マシューが意を決して女性洋品店に入り、アンの服を買おうとがんばるシーン。あんなに女性を避けてきたマシューがアンのためならここまでするんだ!と、思わず涙ぐんでしまいました。
共感しきりだったのは、私たち夫婦にも近い経験があるからです。
私も夫もとにかく「人ごみ」と「待つ」のが苦手。そうなると何を避けるかというと、お祭りとテーマパークなんです。子どもが生まれる前から、もし仮に子どもが行きたいと言っても絶対行かないと確認し合っていたほど。それがどうでしょう。なぜか、どうにかしようと思ってしまうものなんですね。我が子が一生懸命誘ってくる姿を見ると、なんとかできないかと。この子が喜ぶならひたすら耐えようか、耐えられるんじゃないかと思うのです。
そんな風に意を決して飛び込んでみると、意外と楽しめたりおもしろかったりして、結果、世界が広がるチャンスとなり、今では子どもに感謝しかないのです。
子どもと暮らすようになってからというもの、すべてがこんな調子で、夫婦ふたりだった頃からは考えられないことばかりです。それは時としてさわがしかったり散らかっていたり、苦痛だったりもするのですが、それ以上に幸せが満ち満ちているのも確か。
マシューとマリラがアンと共に育っていく姿に触れ、改めて、夫や子どもが与えてくれているものに気づかされました。育ててくれてありがとう、愛してるよ!と家族に伝えようと思います。
さあ次はどんな名著と出会えるのでしょうか。わくわくします!
みなさんも、どうぞおたのしみに。ありがとうございました!