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館林 関東最大の手筒花火 コロナ禍の今 父から息子へ受け継ぐ

  • 2022年08月18日

真っ暗闇に浮かび上がる火柱。花火の底から吹き出す火花。

その迫力が多くの人を魅了する手筒花火は、火薬の入った大きな筒を人が抱えて行われます。中でも館林市の手筒花火は「関東最大」。新型コロナの影響で中止されていましたが、この夏、3年ぶりに再開されました。

そしてこの夏、担い手の高齢化が進む中で、館林に生まれた2人の若者が立ち上がりました。長年「耳が溶けるように熱い」というほどの危険な手筒花火と向き合ってきた父への憧れからでした。

(前橋放送局記者 中藤貴常/2022年7月取材)

手筒花火 ”爽快感・達成感が魅力”

火花は約10mまで噴き上がる
人が筒を抱える

7月23日、3年ぶりの火柱が館林の夜空を彩りました。
魅力は10m以上の高さまで上がる火花と、最後に筒の底から火花が噴き出す「ハネ」です。

20秒ほど火花が上がる
最後に底から火花が噴き出す「ハネ」
まるで爆発
上げている人の姿は見えなくなる

その中心にいるのが、菊地勇仁さん(58)。

金属加工会社を経営するかたわらで長年、館林の手筒花火を盛り上げてきました。今は地元の団体の副会長を務めています。

館林煙硝会 副会長 菊地勇仁さん
「火花を上げて、最後にそこからドンと火薬が抜けるんですけど、その時の“爽快感”や“達成感”が、やる側の魅力ですね」

息子2人 父が憧れだった

館林市役所で練習

本番1週間前。参加する20人あまりのメンバーが集まり練習を行っていました。
その中に、ことし初めて参加する2人がいました。

長男・俊介さん        次男・俊文さん

それが、菊地さんの27歳の長男と25歳の次男です。

長男の俊介さんは、一度は実家を離れて東京の会社に就職。しかし3年ほど前、父の会社を手伝うため、館林にUターンしました。それに合わせて、かねてから「憧れだった」という手筒花火への挑戦を“志願”したといいます。しかし時はコロナ禍。手筒花火は2年連続で中止になっていました。

長男・俊介さん

「お父さんやほかのメンバーの姿を小さい頃から見て感動していました。大人になると、自分もやってみたいという気持ちになりました。本当は館林に帰ってきたタイミングでやりたかったのですが中止が続いたので、ことしが念願の挑戦です」

一方、弟の俊文さんも大学進学で館林を離れ、就職するタイミングで地元に戻りました。
手筒花火に挑戦したい気持ちが生まれたのは、兄から少し遅れてからのこと。ただ気持ちが固まり父に言い出したのはつい最近だということです。

次男・俊文さん

「小さいころから手筒花火は見ていましたが、大学時代に帰省して見た時“かっこいいな”と改めて感じました。1番近い存在である父がやってたので、自分もやれるチャンスはあるかもしれないと興味が湧きました」

性格も、決意を固めた時期も異なる2人。ただ共通していたのは、夏の夜空を彩る輪の中心にいつもいた「父」への憧れでした。

手筒花火とともに育った

2人にとって手筒花火は、まだ小さかった時からいつも身近にありました。

手筒花火を見せてくれる菊地さん

取材中、菊地さんの自宅にお邪魔した時。数年前に上げたという手筒花火を見せてくれました。
わらで包まれた大きな筒。手筒花火の実物です。大きさや火薬の量によって、種類が分けられているということです。

抱えるタイプ
5斤:長さ約1m 重さ約12kg(火薬4kg)
3斤:長さ約1m 重さ約9kg(火薬2.4kg)
手持ちタイプ
1斤:長さ約40cm 重さ約2kg(火薬0.8kg)

館林で使う手筒花火は3種類。筒の上部にある直径10cmほどの穴から吹き出す火花の高さは、最も高いと10mを越えます。

父・菊地勇仁さん
「上げているとき、耳が溶けるように熱いんです。でも、じっと我慢するしかないです。使い終えた筒は、それを上げた人の家に引き継がれて、厄除けや商売繁盛などを願って軒下に飾られるのが伝統なんです」

なぜ、館林で手筒花火が?

人々の暮らしに根づき「関東最大」と言われる館林の手筒花火。ただ、意外にもその歴史は浅く、始まったのは23年前のことです。

手筒花火自体の“発祥”については諸説ありますが、“のろし”が原型だと言われています。江戸時代に火薬の生産が盛んだった徳川家ゆかりの愛知県東三河地方を中心に、花火の一種として普及したといいます。今も愛知県を中心に、無病息災や五穀豊じょうなどを祈って多くの祭りなどで上げられています。

では、なぜ北関東の館林で手筒花火が行われるようになったのか。

館林唯一の手筒花火団体のちょうちん

それは「新たな観光資源に」と市の観光協会が推し進めたからでした。かつての館林藩主で「徳川四天王」と言われた榊原康政は三河の生まれ。その縁に目をつけた観光協会が主導して地元のみこし団体の有志が本場の豊橋を訪問して技術を学んだことで、館林に手筒花火が定着していきました。

“救世主” 兄弟?

今では来場者が2万人を越える「夏の風物詩」となったものの、ここでも“高齢化”という課題に直面しています。

危険と隣り合わせの手筒花火には、体力はもちろん高い集中力も欠かせません。どう後継者を確保するのか、菊地さんをはじめとする“古参”のメンバーは頭を悩ませていました。そこに新たに名乗りを上げた菊地さんの息子2人は、まさに“救世主”と言っても過言ではありませんでした。

当初から参加する74歳の男性
「そろそろ体力が心配なので、さみしいですがことしで引退させてもらいます。興味がない若者が多い中で、今回、兄弟が参加してくれるということで、本当にありがたいですよね」

耐えきれない熱さ

ただ、「ルーキー」の加入に浮かれてはいけないことは、経験豊富なメンバーであればあるほど知っています。
実は、手筒花火に取り組みながらも断念する人が多いのは「最初の年」。想像以上の熱さに耐えきれず、よくとし以降は参加を見送る“新人”が多くいます。
菊地さんの息子2人にとっても、花火を支えてきたメンバーにとっても、ことしがカギとなる年なのです。

館林煙硝会 小島孝一事務長
「手筒花火は火薬を扱うなど、非常に特殊なんです。なので、誰でも参加できるわけではなく勧誘も難しい。そして(1度始めても)続けるとなるとハードルはかなり高くなります。会を継続させていくためにも、ことしは“勝負の年”になるかもしれません」

安全に美しく 特訓開始!

勝負の年、勝負の舞台まで残り1週間。“フォーメーション”を含めた本格的な練習が行われました。久しぶりの筒の感覚にメンバーの気持ちも高まっていました。

火薬の入っていない筒を持ち、父は身ぶりを交えて教える

一方、“ルーキー”菊地兄弟はこの日が初練習です。「最初の年」であることしは1番小さい長さおよそ40cm、重さ2kgほどの「手持ちサイズ」から始めることになりました。
父からのアドバイスが送られます。

父・菊地勇仁さん

「筒を外に向けすぎると最後の“ハネ”の時に底から火花が噴き出して自分がケガをするから、できるだけ筒が垂直になるように!」

サイズは小さくても「手持ち」。なので、筒を持つ手には火の粉がかかってかなりの熱さを感じます。ケガを防ぐために、父をはじめとする先輩たちから、持ち方や手首の角度といった点まで、事細かな指導が続きました。

中藤記者

「ちなみに、火をつけての練習はどのくらいするんですか?」

父・菊地勇仁さん

「安全管理上、花火が来るのは当日だけ。ぶっつけ本番です」

この日の練習は2時間。納得できるまでフォームやフォーメーションなどを何度も確認していました。

長男・菊地俊介さん
「先輩たちや写真を見ていると、全身に火の粉を浴びてるほうがきれいに見えるので、当日はそういうのができればなと思います」

厳しさ伝わる“はんてん”

この日の練習後。自宅に帰った父が手筒花火に欠かせない、あるものを2人の息子に見せました。

手筒花火の本場・豊橋で特注で作っているはんてん

10年以上、菊地さんが身につけてきた「はんてん」。
厚みのある刺し子生地ですが、火花で焦げた跡が生々しく残っているものです。

はんてんの肩には焦げた跡が

父が息子たちに伝えたかったのは、見る人を魅了する花火の美しさの裏にある「厳しさ」、そして、それに向き合う「覚悟」でした。

父・菊地勇仁さん
「2人は1斤からのデビューになりますが、筒を持っている時はとにかく熱いんです。でも2人には絶対に途中で投げ出さないでほしい。それだけは覚悟して臨んでほしいと思っています」

長男・菊地俊介さん
「はんてんは年季が入っていて、かなりボロボロですよね。父が長年、かなりの熱さの火花と向き合ってきたことがよくわかりました。はじめての事なので緊張はあるんですけど、安全に、楽しみながらやりたいです」

兄弟デビューの時

迎えた当日。

火花から頭を守るため、はちまきを巻く

日中、大会の開始7時間前から準備が始まります。
何より大事なのは熱さから身を守るための準備。細部にも気を配ります。

ほつれは引火の原因に

髪の毛を火の粉から守るために息子たちが頭に巻いた手ぬぐい。父の菊地さんは、そこから垂れた小さな“ほつれ”に引火する恐れがあるため、切ってあげていました。まさに“親心”でした。

そして午後7時半、ついに兄弟2人、デビューの時です。

本番直前に頭から水をかぶる

熱さに耐えるために、2人が水を頭からかぶりました。
そして、筒を手に取り、観客の前に向かいます。

長男、俊介さんの筒に点火

2人の筒から大きく吹き出す火花。

すぐに火花が噴き出す
次男の俊文さんも

美しい火柱が舞い上がること15秒ほど。

全身に火花を浴びる
1斤でも火花はかなりの高さ

最後は筒の下から火薬がドンと噴き出します。

最後には「ハネ」が

無事、成功です。

最初は筒を寝かした状態

次は父親の番。抱えるのは、息子2人よりも大きい筒です。

3斤の筒を持ち上げる
まっすぐな姿勢を保つ
最後は「ハネ」

親子で挑んだ初めての手筒花火。
美しい火柱がコロナ禍に集まった2万5000人の観客を元気づけました。

フィナーレは全員参加の「一斉放揚」

次男・菊地俊文さん
「とにかく楽しかったです。熱さの前に楽しかったというのが1番です。深呼吸をしながら、まっすぐ目線をそらさないように意識していました。1番近い父の存在を見て少しでも近づけるように今後もやっていきたいと思います」

長男・菊地俊介さん
「小さいころから見てきたものを、やっとやれたなという感じでいます。とてもうれしかったし楽しかったです。今後も続けて、今いる先輩方のよかったところを引き継ぎつつ、若手で盛り上げていきたいなと思っています」

父・菊地勇仁さん
「この2人が手を離さずに熱いのを我慢してやり終えたということに1番感動しています。いつまでも3人で、できる限り一緒にやっていきたいと思っています」。

館林の伝統へ

2人の若者が「初舞台」を踏んだことし。

会場には、県内外から家族連れや写真愛好家などが多く集まり、手筒花火が館林で愛されていることを改めて実感しました。

本格的なカメラを持つ人も多く集まる

各地の祭りや伝統行事は今、担い手の高齢化などで徐々に減少していると言われています。そのような中でも館林の人たちは手筒花火を何とか「伝統」にしようと奮闘していました。
世代交代を何度も繰り返すことで生まれる「伝統」。20代の菊地兄弟が踏み出した一歩が、伝統への一歩になる、そして、その2人の姿を見た次の世代が思いを引き継いでいく。兄弟と同世代の1人として、そう願うばかりです。

  • 中藤貴常

    前橋放送局 記者

    中藤貴常

    警察・司法を担当後、現在は両毛広域支局で行政・スポーツなどを幅広く取材

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