大崎事件 原口アヤ子さんと歩む支援者の思い
- 2023年06月03日
44年前、大崎町で義理の弟を殺害したとして、殺人などの罪に問われた原口アヤ子さん(95)が、無実を訴えて再審=裁判のやり直しを求めている「大崎事件」。
逮捕時から一貫して「やっていない」と話す原口さんを、長年にわたって家族のように支えてきた支援者がいます。6月5日の福岡高等裁判所宮崎支部の判断を前に今の思いを聞きました。
(鹿児島局記者 庭本小季)
原口さん63歳からの独り暮らし
ひっそりとたたずむ1軒の平屋。周りは藪に覆われ人の気配もほとんどありません。
武田佐俊さん(80)は、この原口さんの自宅を頻繁に訪れてきました。
16年にわたって原口アヤ子さんの支援を続けてきたのです。
原口さんは10年間服役したあと、入院するまでの27年間をここで過ごしていました。
服役後、63歳となっていた原口さん。以前のような暮らしをすることはできませんでした。
大崎事件では夫や義理の弟なども犯行に関わったとして服役したからです。元の家庭は失われ、原口さんは独りで暮らすことになりました。
原口さんと接する中で、武田さんには気になることがありました。時折、他人に心を許さない瞬間があると感じるのです。
原口さんの家の玄関を訪ねて、「原口さんいるね?」というと、「誰ね?」て声がするんです。警戒しているような声でした。
武田ですというと、ああ武田さんか、上がってと原口さんはすぐに言う。訪ねたときに警戒する声は何年経っても変わりませんでした。固く身を閉ざしていたというのかな。
重なったえん罪事件の記憶
原口さんの様子を見て武田さんはあるえん罪事件の記憶と重なると感じていました。
被害者の家族に頼まれて支援していた、志布志事件です。
事件が起きたのは2003年。県議会議員選挙に絡んで候補者など10人あまりが逮捕されました。
警察は親族の名前を書いた紙を踏ませる「踏み字」などで強引に自白を迫り、身柄の拘束も長期間に及びました。
逮捕されていた人の家族とともに、武田さんは、街頭での署名活動などでえん罪を訴え続けました。その活動が実を結び、起訴されていた全員が無罪になりました。
しかし、武田さんはえん罪が被害者たちにもたらした深刻な痛みを感じたといいます。
志布志事件から20年経ってもひとり1人があの事件で大きな痛手を精神的に負ったのを見ていました。それはもう癒やしがたいと思うんですよ。非情だなと思いました。人間の尊厳というのかプライドというのか、それを全部剥いでしまうのがえん罪事件なんです。
苦しみ繰り返さないで
武田さんが原口さんと知り合ったのは、志布志事件の裁判が終わった年でした。同じ苦しみを味わっているかもしれないと考え、寄り添っていくことを決めたのだといいます。
繰り返してはならない、えん罪の被害者を生み出してはいけないという強い思いが志布志事件を通じて芽生えていました。
武田さんは、原口さんが入院する前には定期的に行っていた鹿児島市の天文館での街頭演説や、再審請求のために裁判所にむかう際の送り迎えなどを支援。
体調を崩したあとは、通院のほか、食事の準備など生活面でのサポートも行いました。
そして、原口さんが入院して裁判所へ行けなくなった今も、毎週病院に通い、再審請求の状況を伝え続けています。
週1回や、長く間を開けたとしても10日に1回くらい通いつめていると原口さんは事件のことをぽつりぽつり話すようになりました。そのときに原口さんに誰も寄り添っていないなと思ったんです。だから花見や誕生日会、そういうのをやり始めました。笑ったことがない人だなと思っていたので。
争点になる“疑わしさ”
現在進められている第4次再審請求。
弁護団は新たな鑑定などを証拠として提出し、「自転車の事故が原因で殺人事件ではない」と主張しましたが認められませんでした。
その一方で裁判所は、義理の弟が自宅に運ばれてきた時点で死んでいた可能性は「完全には否定されない」とも指摘したのです。
福岡高裁宮崎支部の決定を前に、これまでの地裁の判断を踏まえて武田さんが気になっているのは、鹿児島地裁で去年11月に無罪が言い渡された殺人事件のことでした。
検察が、現場で採取した指紋やDNAが被告のものと一致したと主張したものの、裁判所は「合理的な疑いが残る」と指摘。
“疑わしきは被告人の利益に”という裁判の原則に基づいて無罪を言い渡したのです。
“疑わしい”と判断されたことは同じという点で、この裁判と大崎事件の再審請求には似ている部分があるとも感じている武田さん。
裁判所の判断には差があるのではないか。武田さんは疑問を感じながら、まもなく96歳となる原口さんの心境に思いをはせています。
事件からことしで44年というこの時間の長さですよね。もうこれ以上、時間を稼ぐ時間を引き延ばすのはやめてください。適当かどうかわからないですが、命を削るような日々ですよと言いたいです。
取材後記
原口さんの自宅には、支援者から寄せられた手紙や色紙などが飾られていました。生活の中で、事件のことを忘れる瞬間はない原口さんの様子を垣間見たような気がしました。
武田さんは自宅の前で、「大崎事件の原口さん」というイメージとは離れた、ちょっとした癖や、食の好みまで、事細かに過去の原口さんの様子を語ります。家族のように正面から向き合い続けてきたからこそ分かることです。
ただ武田さんは、「原口さんがどれほど事件のことを覚えているかもわからないほど時間がたってしまっている」と話していて、原口さんの年齢と現在の状況に焦りを感じていました。
これまで3回、再審を認める決定が出されているにもかかわらず、検察の度重なる抗告によって再審が開始されない異例の経緯をたどっている大崎事件。6月5日、福岡高裁宮崎支部がどのような判断をするか注目が集まります。