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Road to Rio vol.59 リオパラリンピックに向かって~競泳・木村敬一選手~

2015年12月21日(月)

今年も残りわずかとなった12月18日の金曜日。偶然、「視覚障害ナビ・ラジオ」にて木村敬一選手と元マラソン選手の増田明美さんの番組が収録中ということがわかり、お話を伺いに行きました。

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  左から木村敬一選手、遠田恵子ディレクター、増田明美さん。

 

――収録お疲れさまでした!番組の中でもお話されていたと思いますが、今年はどんな一年でしたか?

木村選手: 今年は、一番大きな試合・夏の世界選手権(※)で「優勝する」というのが一番の目標だったので、達成できて良かったなと思いますし、同時にリオのパラリンピックまで一年を切ったので、焦ってます(笑)。

 

※木村選手は今年7月にグラスゴーで行われた障害者競泳 世界選手権で2つの金メダル、銀メダル、銅メダルと4つのメダルを取りましたが、100m・平泳ぎのレースでは「このタイムではパラリンピックでは勝てない」と、試合直後に厳しいコメントをおっしゃっていました。

 

――内定を第一号で取りましたね。焦りというと、どんな?

木村選手: 内定を頂けたというのは、何だろうな、そんなに自分の中では…。金メダルを取るためにはまだまだ自分の力が足りないと思っていますし、“限られた時間”の中でもっと強くなっていかなければいけないと、強く感じています。

 

――リオまで残された260日ぐらいで、どういったところを中心に鍛えていこうと思っていますか?

木村選手: 泳ぎの、体力のベースというものをもう少し上げて、課題の後半は粘れるようにしていきたいなっていうのが一番です。

 

 

――グラスゴーの世界選手権には寺西コーチも行かれていましたが、“師匠”というのか?木村選手にとって寺西コーチはどういった存在ですか?

木村選手: ここまでの自分を育てて下さったのは本当に(寺西)先生だと思いますし、自分がこうやって世界の舞台に挑戦するきっかけを下さったのも、戦えるようにして下さったのも先生ですし、今は「タッパー」として共に闘ってもらえる、かけがえのない存在です。

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写真は寺西コーチ(手前)と木村選手のタッピングの様子です。

視覚障害の選手はプールの壁の位置を視覚で確認することができず、壁にぶつかってケガをしてしまう恐れがあります。そのため、コーチがゴールやターンの直前に棒(タッピングバー)で選手の身体をタッチすることで壁が近づいているのを選手に伝えます。それを「タッピング」といいます(日本障がい者スポーツ協会「かんたん!水泳ガイド」より)。選手たちはタッピングの合図でターンをします。タッピングが早すぎると壁にタッチができず、遅すぎたら壁に激突してしまいます。いわば選手たちの“目”となっているのが“タッパー”と呼ばれる、タッピングをする方々なのです。



――11月26日に行われたゴールボールの日本選手権の会場でも木村選手をお見かけしました。寺西さんはもう水泳だけではなくて、ゴールボールの方も凄いですよね。

木村選手: そうですね。


――木村選手の出身校、筑波大学附属視覚特別支援学校からは何人もの日本代表が生まれていますが、もっといろいろな人がパラリンピックに関わったり、「選手になりたい」という人を増やすにはどういった方法があると考えますか?

木村選手: 僕ら選手の立場でできる事っていうのは、より高いパフォーマンスを見せて、スポーツとしての魅力というものを見せることぐらいしかできないなっていう風に思っていますけれど、それ以外には多分今、いろんなところで実施されているような普及活動を、もっともっと進めていくことが必要かなと。

でもやっぱり、スポーツである以上は、迫力とかスピード感とかそういったものが必要ですし、それって僕ら選手がもっともっと強くならないとダメなんだろうなって思います。だって、視覚障害はまだまだいないですけども、車いすテニスの国枝(慎吾)さんなんかは、世界でいう圧倒的な強さがあってあれだけの認知度や人気があるわけですから。
強さなくしては、魅力は出てこないと思います

 

――“木村選手の強さ”というところを余すことなく、私達もたくさん伝えていきたいと思いますので!

木村選手: 盛ってもらわないと足りない(笑)!

 

――(笑) いえいえ、そのままで!沢山、いろんな角度から伝えていきたいので、是非これからもずっと輝き続けてくださいね。

来年はどんな一年にしようと思いますか?
木村選手: 2016年はリオのパラリンピックというものが最大で、唯一のイベントだと思っていますので、そこで金メダルを取ることを目標に。10月以降は無いようなものだと思って。

 

――金メダルをいくつも取って頂いて、私達もたくさん伝えていこうと思います。ちなみに、金メダルを取った後は何をされたいとお考えですか?

木村選手: 取った後は……本当はまあ、何も考えてなかったんですけれど(笑)、でも今日増田さんと久しぶりにお会いして、そういえば増田さん小説書かれていたし、選手としてのそういう活動もありだなあというのは思いましたね。僕も小説書いてみたいです(笑)。

 

――小説!

(隣でお話を聞いていた)増田さん: いけるいける、喋るように書けばいいのよ。木村さんの場合すぐできちゃう!

 

――明るいお人柄が表れるような。

増田さん: 木村さん面白いし、ユーモアセンス抜群だし!

 

木村選手: 本当ですか(笑)


 

――増田さんは小説を書かれていたときに気をつけていた事とか、心がけていたことはありますか?

増田さん: 普通に“伝えたい”ってだけだったから。さっき木村さんにも言ったんですけど、マラソンをやるには10年かかると。中学校時代800mをやっていた少女が、いろんな練習をしてきて、10年後に42.195km走れるようになるっていう。なにか“伝えたい思い”があれば溢れてきますよ。

あとは…何だろう、あれね、達成感。好きでしょ?木村さんも

 

木村選手: あ、はい(笑)。

 

増田さん: 引退して久しぶりに味わった達成感だったんですよ。1年10ヶ月かかったから、3冊で。だから、そういう事に凄い質の高い喜びを感じられる人だから、木村さんは合ってると思うんです。

 

木村選手: 本当ですか??


 

――増田さんの小説は何という小説でした? 

木村選手: 『カゼヲキル』(笑)。

 

増田さん: ありがとう!宣伝ができた(笑)。『カゼヲキル』タイトルもこだわったの。カタカナにしたのね、“カゼヲキル”って。

それは、私が走ってる時の感覚、調子が良い時には風を切ってる感じ、でも調子が悪い時には風を纏ってる感じ、風を着てる感じ。

 

木村選手: ああ、だから!

 

増田さんのマネージャーさん: じゃあ小説のタイトルは『ミズヲキル』で(笑)。

 

一同: (笑)

 

木村選手: パクリ感満載じゃない(笑)!

 

――第二弾は『ミズヲキル』で。

 

増田さんのマネージャーさん: 並べて置いてもらおう!

 

増田さん: 面白いね、そしたら2009年に戻るよね。主将と団長だったけど、あの時もしょっちゅう並んでたの。

※「東京2009アジアユースパラゲームズ」では、選手団団長は増田明美さんで、主将は木村敬一選手でした。

 

木村選手: そうですね(笑)。

 

増田さん: ね、面白かったよね。何かさ、親と息子みたいな感じで(笑)。

 

――水をどんな風に扱ってくれるのか、試合もそうですけども、その後も是非、2020、その先まで木村選手に輝いて頂きたいです。ぜひよろしくお願いします! 

木村選手: ありがとうございます!

 

増田さん: 私ね、木村君ってね、競技者としても金メダルだけど、なんかほら、人生の長距離泳者としても金メダル取れそうな感じ。終わった後も凄いことしそうな感じ。わかるそれが。18歳の時にわかったそれが。

 

――18歳の時もストイックな感じが凄くされていたのでしょうか?

 

増田さん: ストイックっていうかね、やっぱりちょっと違ってましたね。飄々としてるんだけど厳しいし、それでもって面白いし。あの頃から必ず、真面目な話した後にはオチがあったじゃない?

 

木村選手: そうでしたっけ(笑)恥ずかしいです!

 

増田さんのマネージャーさん: 明るさでこう、試練とか何でもぶつかっていくような感じが凄かった。

 

増田さん: ね、やっぱりわかりますよ。10代から違いますよ。

 

――じゃあお二人の対談も今回だけと言わずに、何回も。

 

木村選手: お願いします(笑)

 

増田さん: そうね、私がおばあちゃんになっても付き合ってね。これもう、腐れ縁だから!

 

一同: (笑)

 

 

◆放送予定

視覚障害ナビ・ラジオ特番
新春スペシャル・トーク「リオで輝け!パラリンピアン」
スポーツジャーナリストの増田明美さんを聞き手に迎え、メダルの期待がかかる有力選手に、大会にかける思いやメダル獲得に向けた秘策をたっぷりとうかがいます!

第一部: ロンドンでの挫折とメダル、リオで目指すは金メダルのみ! ~水泳:木村敬一(25)
第二部: 伴走者と心、ひとつ ~女子マラソン 道下美里(38)

[本放送]ラジオ第2 1月3日(日)朝7時30分~ 
[再放送]ラジオ第2 1月3日(日)夜7時30分~

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