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【みなさんのカキコミから①】教育現場の苦悩~セクシュアルマイノリティー当事者教員の「声」

2013年06月07日(金)

シリーズの放送真っ只中、
カキコミ板には続々とみなさんからの投稿が寄せられています。

20130607_LGBT.jpg
みなさんからのカキコミは、スタッフ一同、大切に読ませていただいています。
6月27日(木)の放送は、いただいたカキコミをもとに作っていきます!


中でも目立つのが、
教育現場で働いているセクシュアルマイノリティーの方々からの「声」。
6月3日、4日に放送した
「子どもたちの現状」と「教育現場での取り組み」に関して、
当事者の目線で感じる現場の実態や悩みを、率直に綴ってくださっています。

その中から一部を抜粋してご紹介します。


まずは、教員をしているというyoshiyoshiさん(30代)。
学校教育への導入は難しいと感じているそうです。

yoshiyoshiさん/30代/教員(同性愛者)
学校教育でとりあげるべきという意見があるけれども、
教える側の教員は同性愛に対して批判的な人が多く、導入は難しいと思う。
教員というのはいかにスタンダードな人生を歩んでいくかを教える人たち。
教員自身もいかに普通に結婚して子供を育てて家庭を築いているかが、
本人たちの教育レベルと対応するという意識が根強い。
最近になってようやく性同一性障害について人権問題から教員間でも話題になってきているけれども、あくまで「障害を持つ可哀想な人達」という思いしかもっていない。
ましてや同性愛者なんて完全な変態扱い。
職員室で何度、同性愛者に対する侮蔑の言葉を聞いたことか。
こういう状況では、学校教育への導入なんて夢のまた夢。



同じくレズビアンで小学校の教員をしているという
にこさん(20代)からの声も。

にこさん/20代
小学校の性教育で、多様な性についてもっと取り上げたいのですが、
同僚や保護者、子どもたちに自分がレズビアンであることがばれるのがこわく、
なかなか取り上げられません。
まだまだ偏見が強い社会です。子どもや保護者(もちろん家族も)への影響を考えると、
やはり自分を異性愛者だと偽ってしまいます。
社会を変えるのも、私たち教員の使命なのかもしれませんが・・・
保守的になってしまうのが現実です。



自分がセクシュアルマイノリティーであることをオープンにして
現場に立ってみたものの、辛い思いをした・・・という方もいました。

みどりさん/30代
私は教員免許を学生時代に取得しており、
講師という形で何度か教育現場で働かせていただきました。
その際、『自分がLGBTであってもそれを隠すべきではない、
自分が自分の性を否定していてはここに必ずいるであろう(放送では5.2%≒20人に1人いる)LGBTの子も自分を肯定して生きられない』との意思を持って
教育現場に立たせていただきました。
現場によって学校の先生の反応も、生徒の反応も様々でした。
私の働きに行く場所では、全体的には先生方にも子どもたちにも
やはり否定的なとらえ方をされることが多かったです。
とある学校では風当りが激しすぎて退職せざるを得なかったところもありました。
そんな私の生き方を見た子どもたちは何を思っただろうか。
私が頑張ってみて時折負けそうになって
『やっぱり隠さずに生きるのは辛い』と思ったかもしれないと思うと、
私のような働き方はまずかったのかなと悔やみます。

 

また、公務員の方からも、こんな声が届いています。

ゲイの公務員さん/30代
同性愛者の公務員です。
教育・人権・男女共同参画関係の仕事をしている当事者でもあります。
こんな仕事をしていても、職場でカミングアウトしにくいのが大きな悩みです。
同性愛やセクシュアル・マイノリティーに対して、生理的に合わないとか、笑いの対象とか、馬鹿にしたりするような発言をする人が周囲にいるのでなかなか公言できません。
男女共同参画や人権の啓発では
「これからは、自分らしく生きる社会を目指しましょう。」などと言ってるんですが、
それを啓発している本人が実践できないという皮肉な状況にあります。
仕事上でも、「性同一性障害」や「トランスジェンダー」「セクシュアリティー」などの啓発をしたいと上司に相談しても、「まだ世間は受け入れられないので、早すぎる。」「難しすぎて一般市民は受け入れられない。」などと言われたことがありました。とても悔しいです。
当事者である強みを生かして仕事をしたいのに、やるせない思いでいっぱいです。


現場で孤独な戦いを強いられている方々の苦悩が伝わってきます。
その一方で、「なんとかしたい」という思いを寄せてくださった
若い方もいました。

カウンセラーのたまごさん/20代
ここのコメントを読んで、涙が止まりません。
自分らしく生きたいだけなのに、ただ好きな人を好きでいたいだけなのに
どうしてこんなに傷付けられなきゃいけないんだろう。
私は今年臨床心理の大学院を卒業し、現在教育現場の心理職として働いています。
子供たちに同じ悩みを打ち明けられたら、受け止められるのだろうか。
その子が抱えてきた余りある苦しみに、どう向き合えばいいんだろうか。
そして私自身に、「『普通』であってほしい」という、
彼らを傷付ける思いが、ないと言えるんだろうか。
「助けてください」と叫びを発したあなた方に会って、話を聴きたいです。
けれど、きっと相対したら、どうしたらいいか分からなくなる。
どうしたら、あなたたちの力になれますか。



番組では、こうした教育現場の現状・課題について、
さらに深く掘り下げていきたいと思っています。
現場で働いている方、子どもたちを支える立場にある方、
ぜひ「声」を聞かせてください!
多様なセクシュアリティーをもつ子どもたちを支えるために
できることは何か、
みなさんの体験談やアイデアをお待ちしています!


◎番組スケジュールは(本放送=夜8時、再放送=午後1時5分)
本放送:6月3日(月)、再放送:6月10日(月)
→第1回「セクシュアルマイノリティーの子どもたち~現状~」

本放送:6月4日(火)、再放送:6月11日(火)
→第2回「セクシュアルマイノリティーの子どもたち~成長を支える~」

本放送:6月5日(水)、再放送:6月12日(水)
→第3回「自分らしく暮らす~新しい住まいのカタチ~」

本放送:6月17日(月)、再放送:6月24日(月)
→第4回「マツコ・デラックス “生きる”を語る」

本放送:6月27日(木)、再放送:7月4日(木)
→第5回「WEBの“声”に応えて」

コメント

俺はftmです。仕事は教職員です。カミングアウトするつもりですが、勇気がいりますね。ホルモン注射し、性適合手術もすみました。近々、戸籍変更する予定です。

投稿:こっしー 2017年08月16日(水曜日) 05時10分

もうずいぶん前の記事なのに、書き込んですみません。
みどりさんへ、わかります。痛いほどわかります。私も教員でカムアウとして、最初数年は何も問題は起きませんでしたが、後でひどいバッシングが来て、心折れてしまいました。同じような方がいらっしゃらないかとさがして、このサイトに来ました。
バッシングが強いわりにカムアウトしている人も守る力も弱すぎて一人で奮闘する形になってしまうんですよね。まわりに「記事も鳴かずば撃たれまい」的意見を言われショックでした。セクマイの中でも職場で大きくカムアウトしてるのは稀少で、さらに孤独です。

投稿:くるみ 2015年08月29日(土曜日) 09時56分

再放送にて最終回を視聴しました。
現場の教員たちがなぜセクシャル・マイノリティのことを授業で取り扱わないのかという話で、そもそも教員たちがセクシャル・マイノリティに対して否定的な印象にあるのではないかという考察がなかったのが残念です。
奈良県の福嶋先生も授業で組み入れるのは容易ではなかったのではないでしょうか。カミングアウトできないセクシャル・マイノリティ教員の苦悩の声も取り上げて欲しかったです。

投稿:yoshiyoshi 2013年07月04日(木曜日) 22時47分

保育系の大学の卒業論文でインターセクシャルについて調べています。
私は小学生時代紺色のランドセルを背負って学校に通ったことで5年程いじめにあっていました。「お前はオカマだ!ニューハーフだ!」と言われ続け、何度否定しても理解されませんでした。男だから女だからと他人に決めつけられることにはずっと疑問がありました。性別で区別、差別する必要は日常生活においてほとんどないのに、なぜ決めたがるのか不思議でしょうがありませんでした。
今思えば家庭やメディアなどで男はこうあるべき女はこうあるべきと無意識のうちに刷り込まれていたため、それに当てはまらない私を排除しようとしたのだと思います。音楽家には中性的と言われる人が多く、世の中的に見るよりLGBTの人が受け入れられやすいように思います。LGBTの方たちがいらっしゃることが日常になるような未来が早く来ることを願っています。
教育に関わっていく仲間たちがLGBTについて考えるきっかけになるように、卒論頑張りたいと思います。

投稿:kyoko 2013年06月18日(火曜日) 14時29分

こんにちは。みどりです。
この度は記事で取り上げていただきありがとうございます。

おそらく読んでいただけれる方は、私の表現したいことについて理解していただけると思いますが、最後のあたりで本来の表現では800字を越えてしまうため少しニュアンスが伝わりにくかったと思いますので、補足したいのです。

私が記事のとおり、「私のような働き方はまずかったのかなと悔や」むのは、オープンにして生きている私が確りしていなかったために、否定的な風当りの前に負けそうな姿を曝したことにあります。

私がもっと否定的な声に負けず凛として対応出来ていれば、それを見ていたLGBTの子どもたちも『あんな風に学校現場ですら生きることができるんだ』と将来色々な方面に生きることに希望を持てていたかもしれない。と思うのです。

ところが私が不甲斐ないばかりに、中途半端に情けない生き方をしてしまうことで、記事のとおりそれを見ていたLGBTの子どもたちの中には「『やっぱり隠さずに生きるのは辛い』と思ったかもしれない」と、その点で悔いが残っているのですよ。

投稿:みどり 2013年06月07日(金曜日) 17時31分