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2019年2月27日(水)

あなたを抱きしめるために ~拉致被害者家族 米朝首脳会談の裏で~

あなたを抱きしめるために ~拉致被害者家族 米朝首脳会談の裏で~

ベトナムで開催される二回目の米朝首脳会談。核・ミサイルに加え、拉致問題についても提起された前回の首脳会談から8ヶ月。交渉の行方は、今後の拉致問題にも大きく影響を与える可能性があると、被害者家族は注視している。一方、家族の高齢化が進み、「生きている間に再会は果たせるのか」という不安の声も。こうした中、北朝鮮が対話の姿勢を見せるこのチャンスを逃してはならないと、家族会は金正恩委員長に対して“異例の”メッセージを発表した。世界が注目する米朝首脳会談。その行方を見守る拉致被害者家族の知られざる思いを伝える。

出演者

  • 蓮池薫さん (新潟産業大学准教授、拉致被害者)
  • NHK記者
  • 武田真一 (キャスター)

密着8か月 被害者家族の思い

2002年に行われた、歴史的な日朝首脳会談。北朝鮮は、拉致を認めて謝罪しました。翌月、蓮池さんを含む5人の拉致被害者が帰国しました。しかし、それから17年、他の拉致被害者は一人も帰国していません。事態が動き出したのは、去年6月。史上初の米朝首脳会談でした。会談後の会見で、トランプ大統領は核・ミサイル問題に加えて、拉致問題について取り上げたと明言したのです。

アメリカ トランプ大統領
「日本の拉致問題を提起した。彼らは取り組んでいく。共同声明には記されなかったが、取り組んでいくことになる。」

横田めぐみさんの母 横田早紀江さん
「奇跡的なことが起きたという思い。今の状況は、よくここまで来たなと。」

拉致被害者家族の一人、市川健一さんも大きな期待を寄せていました。

健一さんの9歳年下の弟、修一さん。1978年、当時交際していた、増元るみ子さんと浜辺で拉致されました。

(街頭での署名活動)

「署名のご協力お願いします。拉致被害者救出の署名にご協力ください。」

健一さんは、毎月欠かさず署名活動を行ってきました。妻の龍子さんも一緒に街頭に立ち続けてきました。

「どうね、見込みはある?」

市川健一さん
「見込みも何も、取り戻すまでは頑張るしかないです。」

修一さんが拉致されて41年がたち、73歳になった2人。北朝鮮の変化に、いちるの望みを託していました。

市川健一さん
「このチャンスを拉致問題解決のためにもつなげてほしい、成功してほしい。それを強く願っています。本当に苦しい40年。」

しかし、米朝交渉は健一さんが望んだようには進みませんでした。8月、北朝鮮の非核化に進展が見られないと、アメリカの国務長官が訪朝を中止したのです。このまま対話の扉が閉ざされてしまうと、拉致問題の解決も遠のくのではないか。健一さんたちは焦りを募らせていました。

龍子さん
「またそのままかな。40年50年、ほったらかしにされるのかな。だらだら闘いして。」

健一さん
「誰もだらだら闘っている人はいないよ。」

龍子さん
「いつまでには絶対に取り戻すという目標がない。」

健一さん
「今年中にって、去年できなかったから再度ってやっているわけやがね。チャンスがきているんだから、もうこれを願うしかない。」

こうした中で、家族会は日本政府だけでなく、アメリカへの働きかけも続けてきました。横田拓也さん。3年前から家族会の事務局長を務めています。

拉致被害者家族会 事務局長 横田拓也さん
「私たち被害者家族が北朝鮮に求めていることは、ただひとつです。全被害者の即時一括帰国。これだけを彼らに要求していますので、引き続きアメリカのご支援をお願いしたいと思います。」

4歳年上の姉、めぐみさんは42年前、北朝鮮に拉致されました。

姉の救出を求める拓也さん。その原動力となっているのが、両親の活動でした。父、滋さんのスケジュール帳です。ノートいっぱいに書き込まれた、几帳面な字。連日、全国を駆け回って、講演や署名活動を続けた様子が記されています。

拓也さんにとって、忘れられない光景があります。2002年、北朝鮮が矛盾や誤りが多い死亡診断書を示し、めぐみさんは亡くなったと説明した時の両親の姿です。

横田滋さん
「我々は必ずしもこの死亡ということは信じることができません。」

横田早紀江さん
「絶対にこの何もない、いつ死んだかどうかさえ分からないようなことを信じることはできません。私たちが一生懸命に支援の会の方々と力を合わせて、これからも頑張って参りますので、どうか本当に皆様とともに闘っていきたいと思います。」

あの日から17年。家族会の先頭に立ってきた両親。講演は1,400回を超えました。

横田早紀江さん
「25年間耐え続け、泣き続けなければならない私たちのことをどうぞ考えてください。」

拓也さんたち家族は、体のことを考え、活動を減らしてはどうかと訴えましたが、聞き入れませんでした。去年、父親の滋さんは体調を崩し、入院することになりました。年末に開かれた被害者家族の集会。この日も滋さんの姿はありませんでした。心配した市川健一さんが声をかけました。

市川健一さん
「お父さんは大丈夫?」

横田早紀江さん
「意識ははっきりしているから。でも食べられなくなったから、かわいそう。元気はいいんだけど、つやつやしているし、ニコニコしているし。」

市川健一さん
「一生懸命、闘ってきたもんね。」

横田早紀江さん
「しょうがないね。」

田口八重子さんの兄 拉致被害者家族会 代表 飯塚繁雄さん
「家族もそうですけど、被害者も相当まいっている。ぼーっとしていると、すぐに1日1年がたってしまう。それは許されないのではないか。」

拉致被害者家族会 事務局長 横田拓也さん
「どれだけ歩けば出口のドアが見えるのか、両親も考えた。私自身もいつも思っています。その苦しさ、つらさはもう十分頑張ったと思うし、早く姉に会わせてあげたいなと思いますね。」

そんな中、入ってきたのが、2回目の米朝首脳会談開催のニュースです。北朝鮮が対話の姿勢を見せる今、この機会を何としても拉致問題の解決につなげたい。今月、横田拓也さんたちは北朝鮮に向けて、これまでにないメッセージを発表することにしました。「全ての被害者が帰国さえすれば、北朝鮮の秘密を聞き出し、国交正常化を妨げる意志はない」と表明。そして、初めて委員長殿と呼びかけました。

支援者からは、「敬称など必要ない」「怒りをもっと伝えるべきだ」という声も上がりました。しかし、北朝鮮が対話に乗り出したこの機会を逃したくないと、拓也さんたちは粘り強く説得しました。

拉致被害者家族会 事務局長 横田拓也さん
「怒りと憎しみに近いものがずっと残っているのは、個人の立場では変わりません。ただそれを引きずったままで、この先、延々と同じことをしていても、帰って来られないめぐみのためにならない。解決ができれば、あなたたちと張り合うつもりはないんだということが伝わらないと、彼らも折れてくれないのではないか。」

今月上旬。この日、市川健一さんの自宅で、北朝鮮向けのラジオの収録が行われていました。弟、修一さんたち拉致被害者に宛てたメッセージを送るためです。

市川健一さん
「修一、元気ですか。兄ちゃんです。ラジオ番組「ふるさとの風」にのせて、北朝鮮に拉致されている多くの被害者の皆さんにメッセージを送ります。冬は必ず春となります。今はつらくても喜びの時が必ず来ます。修一、家族は決して諦めていないからね。再会を信じて、しっかりと前を向き、闘っていきます。」

蓮池さんに武田が聞く 今の思い

けさ、新潟県柏崎市でインタビューに答えていただいた蓮池薫さん。私は17年前の帰国の様子を伝えました。

それ以来、動いていない拉致問題をどう打開すべきだと考えているのか聞きました。

武田:家族会が出した今回のメッセージ。こうした家族会の皆さんの胸の内については、どういうふうに受け止められていますか?

蓮池さん:家族会の皆さんの胸の内は、帰国なんです。全員一括帰国。それさえ実現すれば二の次、三の次といいますか、二次的、三次的な問題でありますので。私は今までの強い思いがより具体化してメッセージになったと思うので、大きく譲歩したということではなく、それを率直な表現で、キム・ジョンウン委員長の心にといいますか、心に伝わるかどうか分かりませんけれども、そういう感情に訴えかけるという意味で、これがぜひ原文そのまま、キム・ジョンウン委員長に伝わってほしいなというふうに思います。

武田:対話に乗り出したキム・ジョンウン委員長。拉致問題の解決に向けて、何らかの行動を取っていく意欲はあるのかないのか。どうご覧になっていますか?

蓮池さん:私は、あると思うんですけれども、ただ、その条件が備わっていく必要があると。それは、日本政府が努力しだいで作っていけるものだと思うんです。日本は独特の支援ができる、そういう意味では、しっかりとしたカードは私たちは持っていると思うんです。このカードを、キム・ジョンウン委員長に、こういう懸案が解決すれば、拉致含めて、こういう未来があるということを、一般論ではなく、具体的に、本当に真剣になって考えて伝えていく。さらには強い国民世論、我々は死亡なんて信じないんだという、家族会だけじゃなく、国民世論、こういったものが存在すれば、これはもうごまかしきれないなと思うわけです。そして、やれば大きなものが入ってくる、やらないと大きなものを失う、そういう構図を日本はしっかり考えて、作っていく。日本主導の、いわゆる戦術戦略ですね。こういうもので、今、作ってきているはずですし、今後さらに具体化していくべきだと思います。

家族会 “メッセージ”に込めた思い

武田:拉致問題担当の能州記者です。今回の家族会のメッセージは、今が事態を動かすチャンスだということで、一歩踏み込んだ内容になったんですね。

能州さやか記者(社会部 拉致問題担当):メッセージには、キム・ジョンウン委員長に“全ての拉致被害者の帰国の決断を促したい”という強い思いがあります。キム委員長の父親で、拉致を指示したキム・ジョンイル(金正日)総書記は、“被害者について、8人死亡、4人が入国していない”と主張し、これを覆すことは、国家の威信にも関わるため、非常に困難なこととされてきました。しかし、キム・ジョンウン委員長に代替わりし、アメリカとの交渉に乗り出してきた中で、家族会は従来の主張を覆す決断を迫る最大のチャンスが訪れたと考えているんです。そのためには、北朝鮮側の懸念を取り除く必要があると考えました。拉致された被害者の中には、工作員の日本語教師をさせられていた人もいました。被害者が北朝鮮の内部機密に通じている可能性がありますが、家族は帰国した被害者から秘密を聞き出して、国交正常化を妨げるような活動はしないと、あえて踏み込んだメッセージを打ち出し、キム委員長に決断を促そうとしたんです。

進む高齢化 被害者家族の思い

武田:まさに、怒りと憎しみを超えた、切実な家族の思いが、あの表現に込められているということなんですね。
米朝首脳会談の一連の日程がいよいよ始まりましたけれども、高齢化する家族が今、求めているものはどんなことなんでしょうか?

能州記者:先ほど、横田早紀江さんとお話をしたところ、滋さんが入院する病院で米朝首脳会談のニュースを2人で見ながら「最後まで頑張ろうね」と、お互い励まし合っていたということなんです。ただ、一日も早くめぐみさんに会いたいと願う一方で、焦って拉致問題の交渉をしてほしくないという思いもあるんです。それは、これまで北朝鮮から拉致被害者の安否について信ぴょう性のない報告書や、別の人の遺骨を出されるなど、家族には翻弄されてきた歴史があり、警戒感が強く残っているからなんです。このため、家族は日本政府に対して、今回こそ、このチャンスを逃さずに、確実な帰国につながる取り組みを求めているんです。

武田:蓮池さんは、こうした家族の今をどう見ているのか、そして日本政府はどう臨むべきか、聞きました。

蓮池薫さんに聞く 今すべきこと

蓮池さん:早紀江さんのお言葉ですごく突き刺さる言葉が。前は「一緒に暮らしたい」とおっしゃっていたんです。今は、お父さんが、つまり滋さんが「めぐみと分かる間に一回顔を見せたい」ということなんですよ。なんでここまでになっちゃったんだっていうことですね。生存されているうちにということに価値があると、北に対してですね。だからあなたたち、今なんだと。これが過ぎてしまったら、今は家族の皆さんも解決は求めつつも、もっと厳しい北に対する態度に変わるでしょうと。親御さんが亡くなった、あんたらのせいで会えなかったんだと。もっと強硬になるぞと、そのぐらいの、今じゃなきゃだめだっていうメッセージも強く伝えるべきです。

北朝鮮で24年にわたり暮らしていた蓮池さん。北朝鮮の表面的な動きに振り回されないよう、注意する必要があると指摘しました。

蓮池さん:例えば米朝が進む、南北が進む、こういう中で焦りみたいなものが日本に生まれて、「じゃあ、拉致問題はそこそこにして、我々も電車に遅れちゃいけないね、乗り遅れちゃ困るね」「国交正常化進めれば、関係がよくなれば、被害者帰してくれるんじゃないかな」、そういう考えに行きかねない。私は断言しますが、そうなったら終わりです。拉致問題が解決する前に国交正常化したら、北朝鮮は後になって「ああ、ありがとう。じゃあ帰します」これはないと思ったほうがいいです。ありえない。それは長く説明するまでもなく、そういう幻想は持つべきじゃない。それはもう明確に言えます。

武田:蓮池さんご自身も最近、講演を増やしたり、こうしてメディアに登場する機会も増やされているというふうに聞いているんですけれども、何が必要だというふうにお考えなんでしょうか?

蓮池さん:私自身が、拉致被害者自身が言うなら、それなりの意味があると、私は自負しております。拉致被害者の私としては、北朝鮮という名前すらも聞きたくないと思われる方もいるかもしれませんが、私はそれを乗り越えるといいますか、お互いの不幸を、過去を、きれいに解決するのが必要だし、そこに私が何か少し寄与する。特に拉致問題の解決に寄与するというのが、私にとっては生きる意味の大きな一つだと考えております。

武田:決してあきらめず、再会を信じるという家族の強い思い。今後の交渉が被害者全員の救出につながるものになるのか、私たちもしっかりと見つめていかなくてはならないと感じます。