変わってほしいこと、ほしくないこと @山田賢治

4階のベランダから眺める、真夜中のピッチ。

雨で濡れた芝を、ナイター照明がこうこうと照らし、

じっと見ていると、なぜだか、プレーしているサッカー選手の姿や声が聞こえてくるように錯覚する。

ピッチに降り、腰をおろして天然芝に触れると、想像以上に、芝はやわらかい。

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闇夜に浮かぶピッチ。この3番ピッチは、サッカー日本代表が優先して使う。

常に最高のコンディションに整えられている。

 

楢葉町と広野町の境にある、サッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」。

震災後、芝の上には砂利が敷かれ、原発事故の収束作業の拠点として、作業員の駐車場に使われた。

 

しかし、その役割を終え、芝を根付かせるスタッフの懸命な手入れがあり、先月20日に“完全復活”。

平成に起きた甚大な災害から、平成のうちに、本格的な再スタートにこぎ着けた。

 

4月30日から5月1日にかけての“時代またぎ”。私は、Jヴィレッジからの中継を担当した。

Jヴィレッジの再オープンは、復興を進める上で、明るい光を与える喜ばしいもの。

 

一方で、双葉郡には、帰還できずに、つらさを抱えている人が多くいる。

時代は変わっても、解決したわけでは当然ない。忘れないよう、記憶の風化には抗わなければならない。

そのメッセージも、中継でのコメントに託した。

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Jヴィレッジ副社長で、なでしこジャパン監督も務めた上田栄治さんと

 

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中継前の準備風景。雨のため、センター棟4階からの中継となった

 

東京五輪のサッカー男女日本代表の合宿、さらには、聖火リレーのスタート地点にもなる。

Jヴィレッジを訪れる人たちで、浜通りの交流人口が増え、周辺でもにぎわいを作る“変化”が起こってほしい。

浜通りの他の施設や組織との連携を図って、

Jヴィレッジを中心とした人の流れを作り、今の福島を多くの人に見てほしい。

 

さまざまな期待のかかるJヴィレッジ。

令和の時代、キックオフされたばかりだ。



山田 賢治

投稿時間:13:55