山田 賢治

2019年06月18日 (火)感謝 @山田賢治


こんにちは。久しぶりの投稿で、このような報告となりました。

この度、転勤となり、福島を離れることになりました。2年間、ありがとうございました。

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福島を離れる日の朝。複雑な思いで新幹線に乗った

 

まだまだ、伝えたいことが多く、心残りもあります。

原発事故からの“新たな”街づくり、心の中の葛藤。

実際に住まないとわからなかった本音をお聞きしました。

 

中継などで発するコメントを

何度も書いては消し、書いては消し、を繰り返したことを思い出します。

 

また、ライフワークともなっているパラスポーツの取材では、

残された機能を最大限に生かす、その精神に、

あらためて福島のアスリートから教えていただきました。

来年の東京パラに向けて、活躍を期待しています!

 

まわりの人のことを想うこととはどういうことを言うのか。福島のみなさんから学びました。

決して相手のためだけ、ではなく自分も一緒に前に進みたい、という気持ち。

いいことも悪いことも分かち合い、人とのつながりで前へ進む。

これからも、福島のことは忘れません。

 

みなさん、ありがとうございました。

また会う日まで。

投稿者:山田 賢治 | 投稿時間:21:50 | 固定リンク


2019年05月09日 (木)変わってほしいこと、ほしくないこと @山田賢治


4階のベランダから眺める、真夜中のピッチ。

雨で濡れた芝を、ナイター照明がこうこうと照らし、

じっと見ていると、なぜだか、プレーしているサッカー選手の姿や声が聞こえてくるように錯覚する。

ピッチに降り、腰をおろして天然芝に触れると、想像以上に、芝はやわらかい。

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闇夜に浮かぶピッチ。この3番ピッチは、サッカー日本代表が優先して使う。

常に最高のコンディションに整えられている。

 

楢葉町と広野町の境にある、サッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」。

震災後、芝の上には砂利が敷かれ、原発事故の収束作業の拠点として、作業員の駐車場に使われた。

 

しかし、その役割を終え、芝を根付かせるスタッフの懸命な手入れがあり、先月20日に“完全復活”。

平成に起きた甚大な災害から、平成のうちに、本格的な再スタートにこぎ着けた。

 

4月30日から5月1日にかけての“時代またぎ”。私は、Jヴィレッジからの中継を担当した。

Jヴィレッジの再オープンは、復興を進める上で、明るい光を与える喜ばしいもの。

 

一方で、双葉郡には、帰還できずに、つらさを抱えている人が多くいる。

時代は変わっても、解決したわけでは当然ない。忘れないよう、記憶の風化には抗わなければならない。

そのメッセージも、中継でのコメントに託した。

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Jヴィレッジ副社長で、なでしこジャパン監督も務めた上田栄治さんと

 

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中継前の準備風景。雨のため、センター棟4階からの中継となった

 

東京五輪のサッカー男女日本代表の合宿、さらには、聖火リレーのスタート地点にもなる。

Jヴィレッジを訪れる人たちで、浜通りの交流人口が増え、周辺でもにぎわいを作る“変化”が起こってほしい。

浜通りの他の施設や組織との連携を図って、

Jヴィレッジを中心とした人の流れを作り、今の福島を多くの人に見てほしい。

 

さまざまな期待のかかるJヴィレッジ。

令和の時代、キックオフされたばかりだ。

投稿者:山田 賢治 | 投稿時間:13:55 | 固定リンク


2019年01月09日 (水)Road to Tokyo from Fukushima vol.9「関心の"熱"を熱く、広く」 @山田賢治


アナウンサーの山田賢治です。

あけましておめでとうございます。

ことしもよろしくお願いします。

 

東京オリンピック・パラリンピックが、いよいよ来年!

あっという間です(時間経過というのは、いつもそういうものですが。。。)。

福島県では、福島市で、野球・ソフトボールが開催されます。

ボランティアの説明会も始まっていて、少しずつですが、近づいていることを実感します。

 

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【福島駅に昨年末に設置された横断幕】

 

一方で、「パラリンピック」への関心度を、もっと高めたいものです。

先月(去年12月)、福島市で「ボッチャ」の日本選手権が開かれました。

大会の詳細は、安藤アナウンサーが、企画やブログ(2018年12月17日)で報告しています。

 

福島県の選手が上位に入ったのは、当然、実力を上げてきたこともありますが、

「地元開催」が、大きな要因であったことは言うまでもありません。

 

所属チームや家族、友人や関係者のバックアップが、すぐ近くで得られたこと。

練習していた場所で、本戦が開催されたこと。

プレッシャーが“いい緊張感”となって試合に臨めたこと、などなど。

 

そして、特筆すべきは、会場の“熱”です。

私は、これまで多くのパラスポーツの大会を取材してきました。

その中で、福島での開催は、その“熱“を感じた、非常に印象深い大会となりました。

 

競技の関心度をはかる指標の一つに、観客数があります。

スタンドは満員ではなく、オリンピック競技までは及びませんが、

明らかに、いわゆる“関係者”ではない、

純粋にボッチャを見に来た“周辺”の人の数が多かったように感じました。

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【 “周辺”のイメージ図(私案)】

選手を中心とすると、同心円状に家族やチーム、職場など。

その人たちをサポートする人たちが周りに。

ファンの人たちも“応援者”として外から“関わりの輪”に入っていく。

その輪が広がりつつ、一人一人が中心へと近づき、熱を持っていくことが理想。

 

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【福島市役所の職員も、今回の大会をきっかけにボッチャの魅力にひかれ、チームを結成。

休憩中には、会議室で楽しむことも!】

 

さらに、その視線です。腕を組みながら、

「次の1球は、どこに投げるのか?」考える人。

自分ならば・・・と考えた上で、選手の投球に「そうきたか!」という驚き。

一球一球の動向に、大きな拍手や歓声、ため息が聞かれました。

 

“考える楽しさ”がふんだんに詰まった、

まさに「ボッチャ」という競技性が伝わっている証拠ではないかと感じました。

 

パラリンピックを目指せる選手が、福島県にはたくさんいます。

これからも紹介していきます。

また、競技を見て触れられる機会が、福島でも増えてほしいと願っています。

投稿者:山田 賢治 | 投稿時間:21:06 | 固定リンク


2018年08月07日 (火)Road to Tokyo from Fukushima vol.8 子どもたちに"遺す"ということ @山田賢治


今月2日(木)、福島市の国体記念体育館で、

東京2020オリンピックパラリンピック競技大会 2年前イベント

「オリンピアン・パラリンピアンと語る夢×未来」が行われ、

イベントのコーディネーターなどを務めさせていただきました。

 

会場は、200人ほどの子どもたちと保護者で、熱気にあふれました。

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まずは、オリンピアンやパラリンピアンとのパネルディスカッション。

福島市出身で、アトランタオリンピックに出場した、女子バスケットボールの萩原美樹子さん。

シドニーオリンピック野球日本代表の元・千葉ロッテマリーンズ投手、黒木知宏さん。

 

さらに、車いすバスケットボールで、パラリンピックに出場した増子恵美さんと佐藤聡さん。

福島市の木幡浩市長も登壇。

クロストークもあり、さまざまな話を伺うことができました。

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日の丸を背負って大舞台に立つ思い、さらには、夢を叶えるためのアプローチ・・・。

すべてをここに書きたいのですが、印象に残ったメッセージを。

 

萩原さんは、競技を始めた小学4年生のときから、

「オリンピックに出る」という夢を持っていたそうです。

 

バスケットボールが好きだから、どんな練習でも取り組むことができた、とも。

“好きこそ、ものの上手なれ”という言葉があります。

それをまさに体現されたのではないでしょうか。

“好き”という中での成功体験の積み重ねが、萩原さんを成長させたのだと思います。

 

黒木さんは、負けない!という気持ちの面を強調されていました。

さすが「魂のエース」!打てるものなら打ってみろ!という気持ち。

でも、それは、練習に裏付けられた自信から培われるものだと話します。

 

黒木さんは、練習一つ一つに、“目的意識“を持ったそうです。

なぜ、その練習をするのか?

それは“こういうプレーをしたいからだ”と。

 

この先の自分を具体的に思い描くことを、若いころから染み込ませていった結果が、

夢をつかみ取ることにつながるのではないか。

 

真剣に話を聞いた子どもたちからは、質問が相次ぎ、

この子たちの将来が、非常に楽しみになりました。

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増子さんと佐藤さんは、10代後半で交通事故に遭い、

その後、車いすバスケットボールに出会ったことが、人生の大きな転機となりました。

 

子どもたちにとって、車いすで生活している人、

さらには、パラリンピックの選手に会うことは、ほとんどなかったと思います。

 

麻痺している足は「触っても感じない」という言葉に、

子どもたちからは「えっ」という言葉が。

なかなか想像できないですよね。

 

だからこそ上半身を鍛え上げた、という考え方も、あわせて聞きました。

“失われたものは数えるな、残された能力を最大限に生かせ”、

というパラリンピックの精神を感じた瞬間だったと思います。

 

さらに、パラリンピックに出場したことが

「親孝行だったと思う」という佐藤さんの言葉もありました。

 

子どもたちにどう響いたのか。

短い時間ながらも、子どもたちは、多くのことを感じたと確信しています。

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他にも、パラリンピック競技のボッチャの体験。

みんなが初めてのプレーなのに、盛り上がったこと盛り上がったこと!

自分も楽しみ、友だちも応援!

 

障害のある人だけではない、

誰でもが楽しめるユニバーサルスポーツであることを実感したでしょう。

ことし12月1日、2日は、同じ場所でボッチャの日本選手権が行われます。

ぜひ、みんなで観戦を!!

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私も1投!緊張しました!

 

さらに、1972年札幌オリンピックの聖火リレーで使われたトーチを、全員でリレー。

そのトーチを福島市に寄贈され、

実際にランナーとして走った片倉義則さんに、“かっこいい”走り方を聞き、

子どもたちも“自分が聖火ランナー”とイメージして体育館を走りました。

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片倉義則さんによる説明

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ゆっくり!かっこよく!短い時間を味わいながらのリレー

 

記憶というのは、感動と結びついて残ることが多くあります。

この日、話を聞いて、体を動かし、きっと心も動いたことでしょう。

笑顔で、時には真剣に取り組む子どもたちの姿を見て、私も大いに心が動きました。

忘れられない一日となりました。

 

子どもたちに、2年後でも、大人になったときでもいい、この日を思い出してくれたら。。。

この上なくうれしく思います。

投稿者:山田 賢治 | 投稿時間:16:56 | 固定リンク


2018年06月08日 (金)Road to Tokyo from Fukushima vol.7 誰もが"見送る"街に @山田賢治


東京パラリンピックまで、あと800日あまり。

 

福島に来てからも、パラスポーツを取材しています。

これまで出会ってきた福島の選手に共通することは、

練習場所まで、車で移動している選手が多いこと。

 

練習のときだけではなく、車がないと生活が不便ということも、

地方の事情としてはあります(福島だけに限りません)。

足が機能しなかったり、切断したりしている選手の運転では、

アクセルやブレーキは、全部、手元でコントロールします。

 

私は、これまでずいぶんとパラの選手を取材してきましたが、

こんなに頻繁に、手動運転装置を見ることはありませんでした。

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手動運転装置の一例。

写真中央下(やや左)の銀色のレバーは、引くとアクセル、押すとブレーキ。

ハンドルについているノブを使い、片手で運転できる。

 

また、自分は運転しなくても、家族や仲間が車で送迎してくれる、ということもあるでしょう。

このようなクルマ文化も手伝って、

なかなか街で、車いすの人や、視覚や聴覚などに障害のある人、知的障害や精神障害の人などと

すれ違うことが少ないような気がします。

 

障害のある人もない人も、同じ社会に生きています。そこに大きな“段差”はありません。

ただ、障害のある人には特性があり、一部、配慮が必要な場合があります。

そして、それを知って、自然と接することが求められます。

それが、“誰もが生きやすい街づくり”につながります。

 

ただ、ふだん接する場面が少ないと、“どんな人なんだろう?”

“どんなことに困るのか、困らないのか”が分からず、

ひいては“こわいから、どう接したらいいかわからない。見て見ぬふりをしよう”という考えに至り、

障害の「ある人」と「ない人」という、分離された社会になってしまいます。

 

つまり、「理解できない」ということが「恐怖」となり、関わりを避けてしまうのです。

福島で、もっと障害のある人もない人も混ざった場があるといいな、と感じることが多々あります。

接してみると、「こんなちょっとした配慮があればいいんだ」とか

「なんだ、大きな違いはないんだ!」といった気づきが必ずあります。

 

さらに、“一方的なサポート”ではなく、学ぶことがさまざまあります。

障害があってもなくても、常に“双方向の関わり”であることが、理想の人間関係。

そんな社会であるべきではないでしょうか。

 

つまり、意識的な歩み寄りが必要です。

それには、あえて言えば、障害のある人にも、積極的に街を“歩いて”ほしい。

そのことで、街も変わっていきます。

 

車いすの人、白杖を使ったり、盲導犬といっしょに歩いたりした視覚障害の人、

お年寄り、妊婦さん、子ども・・・がすれ違ったとき、大丈夫かな?危険がないかな?と

自分の後ろを少し振り返って“見送れる”ように。それが自然と習慣付くように。

いろんな人がいるんだ、という認識を多くの人が持つことで、誰もが“見送る”文化になれば、と願います。

 

一方で、障害のある人が外出しやすいような、インフラ整備(道路や店の段差やトイレなど)も必要です。

「誰もがお互いを尊重して、“普通に”接することができる街になれば」

福島に来て1年。日常生活で感じている思いです。

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点字ブロックが続く歩道。この上を、無意識に歩いている人もいる。

“見送った”ときに、そうした人がいたら注意したい。

投稿者:山田 賢治 | 投稿時間:11:05 | 固定リンク


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