海外放送事情

諸外国の短波による対日情報発信

~1970-80年代前半の公共放送局による日本語放送を中心に~

1970年代から80年代の前半にかけて、日本の青少年の間で、外国から短波で送信されるラジオ番組を聴取する「BCL」が一大ブームになった。多くの国々で日本語番組が制作され、日本の聴取者に向けて放送が行われた。放送の「送り手」の中心は、当時の東側諸国の国営放送局、西側諸国や中立国などの国営放送局および公共放送局、それに、キリスト教の布教を目的とした宗教放送局であった。本稿では、日本語放送実施局のうち、西側諸国の公共放送局が運営していた対日放送に焦点を当て、番組内容、編成、聴取者の反応などに関する資料を基に、これらの放送局が担った役割を検討・分析した。

その結果、日本語放送実施局の中でも、とりわけ公共放送局は、①ある程度まとまった量のコンテンツ発信、②受信環境の整備、③日本の国内事情に通じた放送の専門家の確保、④キラーコンテンツなどの開発による放送局の独自性の創出や他の放送局との差別化、といった聴取者から支持を得るための要素を満たしており、BCLブームを送り手の側から支えていたことがうかがえた。

メディア研究部 田中則広