放送史

<放送史への証言>

知識より感性─ 直感を信じて,撮る

~テレビドキュメンタリーの青春期(後編)~

「放送史への証言」は,放送の発展に尽力されてきた方々へのヒアリングにより,放送の歴史をオーラルヒストリーで描き出そうという試みである。前月号に続き、ニュース映画社のニュースカメラマンを経てNHKに入局、国内、海外を問わず、数々のドキュメンタリー番組にカメラマンとして関わった湯浅正治さん(81歳) に、3月号では海外取材にまつわる話を聞いた。

湯浅さんは、読売映画社でニュースカメラマンとして業績を積んだ後に、NHKに引き抜かれる形で1960年に入局、NHK初のテレビドキュメンタリー番組『日本の素顔』をはじめ、『現代の記録』『現代の映像』などに携ったほか、数々の海外取材番組にも関わった。NHKが海外取材番組をスタートさせたのは、1959年12月。そして湯浅カメラマンが初めて担当した海外番組は「アジア文明の源流」(1964年)であった。3人のスタッフで12か国を6か月間取材したが、国内と同様、海外でも、湯浅さんは被写体の懐に飛び込み、精力的にカメラを回した。このほか、『NHK特派員報告』「原子力潜水艦」ではパールハーバーへ、『現代の映像』「ベトナム輸送船LST」ではベトナム戦争下のベトナムにも入った。

彼にとってのポリシーは、どんな国に行っても垣根を作らないことである。プロデューサーは知識を得て現場に臨むが、彼は知識は入れない白紙の状態でその国に入り、自分の感性を信じて撮る。そうすれば向こうは絶対に心を開くという自信があった。仕事がスムーズにいくために、その時その時で作戦をたてて、相手と打ち解けることを常に考えてきたという。

たとえプロデューサーが倒れても、カメラマンはどんなときにも病気になってはいけない。だから常備薬として必ず、正露丸、抗生物質、総合ビタミン剤を持っていく。そして愛用のカメラ、ドイツのアルフレックスとアメリカのフィルモは、湯浅カメラマンとともに世界を駆け巡ってきた。そのカメラはいまも大切に、自宅に保管されている。

メディア研究部(メディア史) 廣谷鏡子