放送史

<放送史への証言>

テレビ放送開始 毎日映画を作ってた「NHKフィルムドラマの会」

~フィルムドラマの会・世話人、元NHK美術部長、小池晴二さんに聞く~

「NHKフィルムドラマの会」は、テレビ草創期にフィルムでドラマを作っていた仲間の集まり。この会の世話人をつとめた小池晴二さんに、フィルムからビデオに移行する過渡期のドラマ制作スタッフたちの活気あふれる制作現場をビビッドに語っていただいた。

昭和34年の「しかもバスは走っていく」を皮切りに、NHKのフィルムドラマ作りが本格化した。しかし、当初はフィルムドラマを作ろうにも、局内はラジオ育ちばかりで映像系の演出家がいない。そこで、映画の世界から多くの監督に来てもらって演出陣を作っていった。その点はカメラマンもデザイナーも同じで、外から経験者をかき集めるしかなかった。

また、この時代には、生放送のドラマも活況を呈していた。テレビ初期の完全生放送 「どたんば」(昭和31年)では、内幸町のラジオスタジオを改修したスタジオを2つ使って、出演者・スタッフが両方を行ったり来たりしながら90分を完全生放送で通した。今思えば、映像の時代に向けて金字塔とも言える意欲作だった。

昭和36年『テレビ指定席』が始まる。この頃から、ロケばかりではなく本格的にスタジオにセットを組んでフィルムドラマを作るようになった。『テレビ指定席』開始からの9年間で、NHKは218本ものフィルムドラマを作っている。ところが、残念なことに、そのフィルムの多くが今は残っていない。民放も事情は似たりよったりで、現場にいたわれわれ関係者は本当に残念でしょうがないし、テレビ文化を語る上で大きな損失なのではないだろうか。

メディア研究部(メディア史) 松井泰弘