新聞記事に現われた「放送の公共性」
~「放送の公共性」を考える (1)~
本文(2,245KB)
「公共性」という概念は、放送を規定する基本的な概念として用いられてきました。しかし、その一方で、その「公共性」とは何であるのかがあいまいだ、という主張も繰返し行なわれて来ています。そこで、デジタル時代といわれる新しい条件の中で、「公共性」を問い直す予備的な作業の一つとして、新聞で「公共性」という言葉がどのように使われてきたのかを調べてみました。
G-Searchデータベースの「朝日新聞記事情報」(1985年1月~)、「読売新聞記事情報」(1986年9月~)および「毎日新聞記事情報」(1987年1月~)で「放送の公共性」、「放送」AND「公共性」、「公共放送」および「公共性」をキーワードに全文検索を行なったところ、該当する記事の本数は以下のとおりでした。
朝日 | 読売 | 毎日 | |
「放送の公共性」 | 50 | 51 | 48 |
「放送」and「公共性」 | 278 | 247 | 251 |
「公共放送」 | 760 | 525 | 478 |
「公共性」 | 2995 | 2371 | 2366 |
「放送の公共性」という文字列を含む記事の登場回数を年ごとに見ると、1980年代から2004年までは、たいてい、年に4本以下でしたが、2005年には急増しています。その背景には3つのできごとがあって、(1)ライブドアによるニッポン放送株の買収問題、(2)楽天によるTBS統合提案問題、(3) 規制改革・民間解放推進会議と「通信・放送の在り方に関する懇談会」をめぐって、この年だけで朝日が19本、読売が23本、毎日が28本の記事で「放送の公共性」という表現を用いています。
新聞記事で見る限りでは、「公共性」という言葉は、
- 「みんなの役に立つ」(公益性)、「みんなが知っている」(公然性)
- 金儲けのためでなく、誰もが利用できるような安価な料金設定であること (ユニバーサリティ、または非商業性)
- サービスの信頼性・安定性・高品質
- 「みんなのもの」としての説明責任
- 特定の利害に左右されない不偏不党性
というようなニュアンスを込めて用いられています。しかし、使う人や使われる場面に応じて、その都度、重点の置き方が違うため、全体としての「公共性」はとらえどころのないものになっています。
放送の「公共性」というのは重要な概念ですから、今後、それが英語などの外国語ではどのように表現されているか、また、関係者や専門家がどのようにこの言葉を用いたり定義したりしているかなどを検討しながら、概念の明確化を図って行きたいと思っています。