ことばウラ・オモテ

混交表現

「あいつもあんな事を言って『馬脚を出した』なぁ」や「君ががんばったとしても『出るくぎは打たれる』ということもあるよ」などの表現を聞いたことがあるかもしれません。

それぞれ、「馬脚を現す」と「足を出す」、「出る杭は打たれる」と「くぎを打つ」が入り交じった、慣用句としては誤った表現です。

こういう、類似表現が混ざってしまい一見もっともらしい表現になることを「混交表現」といっています。「ハエやカ」を「ハやカエ」などと言い誤ることとは区別 しています。

思いつくまま、過去に出会った混交表現を列挙しますと、 「チャンスの芽をつかむ」「例外に漏れず」「的を得る」「胸先三寸に納める」「目をひそめる」「遺漏がないよう目配せをする」「微に入り細にわたって」「明るみになる」「怒り心頭に達する」「間髪を移さず」「議論伯仲」「酒を飲み交わす」「寸暇を惜しまず」「喧々諤々(けんけんがくがく)」「白羽の矢を当てる」「手の裏を返すように」「燃えたぎる」「とりつく暇がない」などがあり、中にはうっかりだまされそうな「できの良い?」混交もあります。(正解末尾)

たとえば、「チャンスの芽をつかむ」は複雑な過程で生まれたもののようです。「チャンスをつかむ」という通 常の表現があります。また、西洋のことわざに「チャンスの女神は前髪しかなく、後に回っては髪のつかみようもない」という意味のものがあります。きっとこの混交表現をしてしまった人はかなりの物知りだったかと思われます。

また一方では、「悪の芽を摘む」「芽を出す」などの表現もあり、「チャンス」を強調したいがためにいろいろな表現が頭の中を飛び交い、比ゆ表現の「つまみ食い」「パッチワーク」が口をついて出てしまったのでしょう。

混交表現を聞くと、単なる言い間違えを聞いたときよりも見過ごせない気持ちになるのはなぜでしょうか。

これは、比ゆ表現がいわば弁論の「高等技術」に分類されるものという意識があるからではないでしょうか。「背伸びをして失敗した」という感じや「教養の程がしれた」という感覚が受け手に生じるからかもしれません。

混交表現をたびたび見聞きすることが多くなった理由の一つに、このような表現の多くが漢文にその起源を持つものが多く、私たちの生活や読書から漢文が遠くなったことがあげられると思います。いずれにしろ、一度は元までたどって確認する必要がありそうです。

正解:「例に漏れず」「的を射る」「胸三寸に納める」「眉をひそめる」「遺漏がないよう目配りをする」「微に入り細をうがって」「明るみに出る」「怒り心頭に発する」「間、髪をいれず」「議論白熱」「酒を酌み交わす」「寸暇を惜しんで」「喧々囂々(ごうごう)・侃侃諤諤(かんかんがくがく)」「白羽の矢を立てる」「手のひらを返すように」「煮えたぎる」「とりつく島がない」

(メディア研究部・放送用語 柴田 実)