昭和8年の三陸大津波で、家族がバラバラに高台に逃げ、全員助かった経験がある赤沼ヨシさん。津波てんでんこ。「逃げられる場所へそれぞれが逃げる」今回の津波でも昭和の大津波の時と同じ行動を取りました。

(取材・放送の内容を元にしたテキスト)

「昭和8年の津波が結局勉強になったのす。おぶったりしょったり連れたり引っ張ったりしないで逃がすんだと教わったのその時…」

赤沼ヨシさん。昭和8年の三陸大津波で、家族がバラバラに高台に逃げ、全員助かった経験があります。赤沼さんの自宅は海の近くにあり、近所に娘夫婦や孫など家族が住んでいました。

あの日、赤沼さんは自宅で1人でいる時に強い揺れを感じます。

「どーんと大きな地震。(昭和8年より)ずっと大きいの」

これは昭和の時を超える大きな津波が襲って来る。心配して来てくれた家族には、指定された避難場所にすぐに逃げるよう促します。しかし、赤沼さんは避難場所に逃げるのを断念します。赤沼さんの足では、避難場所にある階段を駆け上るのは難しいと考えたからです。

「私7分かかるんです、役場(避難場所)まで。7分かかっては波に追いつかれると思って」

階段を上らなくても良い場所はないか。赤沼さんは近くの山を目指すことにします。

「もう津波だったら。本当にてんでんこなのさ」

津波てんでんこ。「逃げられる場所へそれぞれが逃げる」昭和の大津波の時と同じ行動を取ります。

赤沼さんが、なんとか山のふもとにさしかかったその時…。

「ばりばりがりがりとものすごい音がして何かなと見たのさ。海が浮き上がってきたように見えた。あの波に追いつかれたくないと逃げたのさ」

必死に道を急ぎますが、途中で足場が悪くなり、前に進めなくなります。周りにいた人。避難に手を貸そうとした人。みんな巻き込まれてはいけないと山に避難するよう伝えて、赤沼さんはその場にとどまります。

「おばあさおいていくの当たり前、若い人これからなんだら。それで前からかぶるよりは後ろから波かぶる方が良いと波におしり向けてかぶさったのさ(しゃがみこんだ)そいで耳も目もふさいで 死ぬもんだと思って」

しばらくして、津波が襲って来ないことに気付きます。津波は赤沼さんが逃げてきた場所のすぐ手前で止まっていたのです。先に避難場所へ逃げるよう促した家族も全員無事でした。

赤沼さんは、逃げられる場所へそれぞれがすばやく避難することが大切だと考えています。

「おぶったりしょったり連れたり引っ張ったりしないで。みずから本当に身軽に逃げなきゃダメでござんしょ」

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