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中世の山城「尾高城」跡で新発見!(鳥取県米子市)

近世の城の橋渡し役か?国の史跡へ
  • 2023年10月31日

発掘調査が続けられている中世の山城「尾高城」跡(鳥取県米子市)で、
新たに石垣の跡などが見つかり、国の史跡に指定されることに。
ふだん立ち入りできない場所も報道陣に公開されました。

尾高城とは?

尾高城は米子市東部の高台に築かれた
南北およそ400メートル・東西およそ300メートルにおよぶ、中世の山城です。

城の始まりは定かではありませんが、鎌倉時代にさかのぼると言われています。
今の鳥取県西部の主な街道をにらむ、陸上交通のかなめに築かれました。
戦国時代には大名の尼子氏毛利氏などが激しく奪い合い、
最後に勝ったのは毛利氏でした。
関ケ原の戦い(1600年)の後、
新たに伯耆国の領主として 中村一忠(なかむら・かずただ)が尾高城に入ります。
のちに米子城の完成で移動し、尾高城は廃城となりました。
 

尾高城のイメージ図

約20メートルの崖に守られた、小高い丘に建てられた尾高城。
さらに守りを固めるため、土で築かれた陣地「土塁」や堀が作られます。

復元された木橋と土塁

このように尾高城は
中世の城としては一般的な、土でつくられた山城であると考えられていました。
 

発掘調査で大きな石が!

しかし米子市が令和3年度から発掘調査を進めた結果、
本丸や二の丸の一部から驚くべき発見がありました。
見つかったのは ごろごろと転がる大きな石

当時の先進技術だった石垣の跡が見つかったのです!
 

「本丸」と「二の丸」から見つかった石垣跡
このように石が並んでいた?

また、本丸からは大きな石を直線的に並べた跡も見つかりました。

塀の隙間から敵兵を狙撃する様子を再現

石の上には敵を防ぐ塀が築かれていた、と見られています。
土でつくられた城だと思われていましたが、
石も使われていたことが新たに分かりました。
 

城の形態の推移イメージ

中世の土の城から、石垣や塀を組み合わせた近世の城へ。
その技術の移り変わりを示しているなどとして、
10月20日に開かれた国の文化審議会は、
城跡の大部分を国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。

米子市文化振興課 日下部かさね 主任

「土の城から石垣が出土し、それが考古学的に発見されたのは
全国的にまれな事例で、非常に重要で貴重な城となっています。
尾高城から米子城へ技術が橋渡しされていたことが分かりました。
国指定になったので今後も尾高城の性格がより分かるような
発掘調査を行っていきたいです」

今後の尾高城への期待

石垣が今も残る米子城

米子市といえば、石垣の城「米子城」が有名。
中国地方最高峰・大山に朝日が輝く「ダイヤモンド大山」の眺望や、
地元有志による武者隊の活躍で人気が高まっています。

国の史跡指定を機に尾高城でも、観光資源としての活用が期待されています。

米子市文化振興課 原宏行 課長

「米子城と尾高城は近いので、ぜひ一緒に巡っていただいて
いろいろな城の違いであったり両方の共通点などを
しっかり直接見ていただけるようになればと考えています。」

今回見つかった石垣など、尾高城の一部はふだん立ち入ることは出来ませんが、
米子市は一般向けの現地見学会の開催も予定しています。

これを機会に城跡をめぐって、歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか?

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