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東日本大震災10年 未来へ ~南海トラフ巨大地震への教訓| ~ 動画・ニュース
取材後記


「残念な」訓練からのリカバリー
 記者という仕事を始めてかれこれ7年になる。さまざまな場所で、さまざまな組織の、避難訓練の取材をしてきた。
しかし、今回の訓練ほど「残念なもの」は見たことがなかった。
 
 訓練の想定は「震度5弱の揺れで火災が発生した」というものだが、職員の動きは緩慢だった。
机の下に隠れて身を守ろうとする行動は中途半端で、まさに「頭隠して尻隠さず」をリアルに再現したような姿。
火元で消火器を使う動作をするはずの職員はなぜか固まって微動だにせず。庁舎の外に避難する際には、笑みを見せて談笑しながらだらだらと歩く。およそ公的機関の避難訓練とは思えない惨憺たるものだった。


「切迫したものが伝わってこない。何のためにやりよるか、もう一回考えてほしい!」。
訓練後、泉市長が激怒するのは無理も無かった。
 
 鳴門市は阪神・淡路大震災の震源に近い淡路島と橋でつながっていて、当時、市内も大きな被害が出た。
これを教訓に続けてきた訓練だったが、阪神・淡路大震災の発生からすでに26年が経った。震災を市役所の職員として体験したのは年長者にとどまる。当時市の職員として業務に当たり、2度目の訓練を指揮した谷副市長も「突き上げられるような揺れは今も鮮明に覚えている。震災を経験した立場から言えば、職員たちの意識は低い」と震災を経験していない職員との間に危機意識のギャップがあることを危惧した。

 災害を経験したことがない人に、その感覚を教えることは難しい。今回の避難訓練は図らずもそうした事実をあらわにしたものだった。こうした現象は鳴門市だけではなく、さまざまなところで起きているに違いない。

 ただ、あの「残念な」訓練からのリカバリーについて、鳴門市の対応にはすばらしいものがあった。参加した職員の正直な声をすぐに聞き、訓練に工夫を凝らし、避難訓練に実効性をもたせるために努力した。防災訓練はただ「やらされて」やるだけではなく、常に「主体的に」考えて行わなければ意味が無いことを彼らは学んだ。

 と、ここまで偉そうに文章を書いてきた私も、当初はこの防災訓練を「訓練が行われた」というだけの凡庸な原稿にしようとしていた。避難訓練の取材には、大きなニュースバリューがあるわけでもないし、あえてけちをつける必要もないと考えてしまったのだ。職員を前に烈火のごとく怒りを爆発させた市長の声を聞いて、そうした原稿を出すのを何とか思いとどまったが、訓練を軽んじていたのはじつは私も同様だったことをここに正直に告白しておきたい。

阪神・淡路大震災で被害を受けた鳴門で目にした「残念な避難訓練」は、震災の記憶の継承の難しさを浮き彫りにしたものだと思う。東日本大震災の発生からことしで10年。今後の「記憶の風化」にどのように対処して命を守っていくのか。今回の事例から学ぶ点は多いように感じた。

徳島放送局・記者 宮原豪一
(2021/2/10 徳島放送局・記者 草野大貴)
取材後記


“100年後”のふるさとのために
 徳島市から車で1時間あまり。県南東部に位置する美波町由岐地区は、美しい海とその海が育む伊勢エビなどの魚介類が有名な漁業の町です。海のすぐ近くには山が広がり、わずかな狭い平地に家々が密集して立ち並んでいます。ご多分に漏れず、人口減少が進んでいます。

 私はこの町の小学生が100年後のふるさとを描けずにいると聞き、半年ほど前から定期的に足を運んで取材をしてきました。一連の取材は、2月5日に徳島県域で放送した番組、あわとく「100年後 僕たちのふるさとは」にまとめていて、このリポートはその一部を切り出したものになります。

 私は記者としてこれまで防災を軸に取材をしてきましたが、今回、由岐の皆さんを取材させていただく中で、改めて多くのことに気づかされました。「防災対策」や「過疎対策」は、それぞれ分けて考えるのではなく、セットで対策を講じる必要があること。“脅し”ではなく“未来を切り開く”ための防災が大切であること。そして何よりも津波が懸念される沿岸の地域の豊かさと、そこで生きてきた先人たちのたくましさです。

 由岐地区は南海トラフ地震で20mを超える津波が来ると言われています。実際、過去にも南海地震でたびたび津波の被害を受けてきました。こうした災害のリスクがある反面、人と人との距離がとても近く、海や山、星空といった美しい自然が身近にあることなど、都市部にはない豊かさがあります。こうしたふるさとを守り伝えようと、先人たちが災害に遭っても繰り返し復興を成し遂げてきた結果、いまのまちがあります。もちろん、これは由岐に限ったことではありません。日本のどの地域にも、その地域特有の災害リスクがあり、その地域の魅力もあり、そして何よりもそれを大切に守り抜いてきた人たちがいる。“災害大国”日本で生きていくということは、これらを学び、次の世代に残していくということなのだろうと思います。

 浜大吾郎さんと竹島かなえ先生のことばで強く印象に残っているものがあります。「自分はふるさとの守り人(もりびと)でありたい」(浜さん)。「防災とは人の心を育てるためのもの」(竹島先生)。

 これらの言葉は、防災報道に携わる私にとって大切な指針になったと感じています。

徳島放送局・記者 宮原豪一
(2021/2/7 徳島放送局・記者 宮原豪一)

愛するふるさとを守る
リポートの舞台の美波町を担当する県南の阿南支局に昨夏異動したことをきっかけに、私は今回の取材に参加することになりましたが、取材を進めるなかで強く印象に残ったことがあります。それは、美波町由岐地区に現在も「住んでいる」のか、過去に「住んでいたのか」に関わらず、誰もが由岐のまちが大好きだということです。

取材を通じて出会った由岐の関係者の皆さんは、自然の恵みや年代を超えた繋がりなど理由はさまざまですが、ふるさとへの揺るぎない愛着を持っていて、都市部出身の私にとってはその姿が羨ましくも感じました。
自然災害のリスクを現実に受け止めながらも大切なふるさとを守ろうと奔走する、今回のリポートで紹介した浜さんのような人は、地震や台風など災害の多い日本では決して少なくないだろうと思っています。

脈々と受け継がれてきた地域を自然の脅威に屈せずに存続させようと模索する各地の人たちの取り組みや想いを、他人事と思わずに今後も取材し、報道していきたいです。

徳島放送局 阿南支局・記者 北城奏子
(2021/2/8 徳島放送局 阿南支局・記者 北城奏子)
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