「本当は友達に会って、普通に遊びたい」
ウクライナ侵攻からまもなく2年。ウクライナ東部出身の14歳の少年は、今ふるさとから遠く離れた埼玉県東松山市で避難生活を送っています。戦争が終わったらウクライナに戻りたいと、この2年、現地の学校の授業をオンラインで受け続けてきました。同世代との交流が難しいなかで、14歳の少年は新たな決断をしました。
さいたま局 記者/藤井美沙紀
埼玉県東松山市に避難しているブラッド・ブラウンさん、14歳。ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻が始まった2022年3月、祖父母とともに日本に避難してきました。
日本を選んだのは、日本人と結婚し長年暮らしている伯母がいるためです。出身地は、ウクライナ東部のドニプロペトロウシク州。工業地域としても知られています。
父親は、ロシア軍による攻撃を受けた電波設備をなおす業務にあたっていて、母親もそれを支えたいと、現地に残りました。両親や友人とは、2年間、オンラインでのやりとりが続いています。
ブラッド・ブラウンさん
「伯母の家族と一緒にでかけるとき、自分の両親を思い出します。友達も国内外あちこちに避難してしまいました」
ブラッドさんが、将来が見えないなか、心の支えにしているのが「和食」です。
もともと伯母の手料理を食べたことがありましたが、日本で暮らすうちに刺身やうなぎなど、さまざまな和食に触れ、興味を持つようになりました。
今は、ウクライナで和食の料理人になり、家族や友人にふるまうことが夢です。
日本の味が好きです。和食はたくさん種類があるので、もっといっぱい勉強したい。ウクライナに帰ったら、家族や友達を呼んで、食べさせたいですね
ウクライナ侵攻からまもなく2年。今、ブラッドさんは自身の学びの場をめぐる課題に直面しています。
ブラッドさんは、日本の学校には通っていません。いつか帰国するその日のために、ウクライナの学校の授業に追いつけるようにと、現地での授業にオンラインで出席し続けているのです。平日は毎日授業がありますが、時差があるため、日本時間の午後3時から午後9時まで。友人と直接ふれあうことはできません。
ブラッド・ブラウンさん
「コロナが落ち着いて、ようやく普通の授業ができたと思ったら、1ヶ月くらいで戦争が始まって、授業がまたオンラインになりました。本当はもっといっぱい友達に会いたいです」
オンライン中心の生活が続くなか、ブラッドさんが楽しみにしているのが、週2回、参加している卓球教室です。卓球は、日本に避難してから始めました。
ブラッドさんはどんどん背が高くなるし、うまいですよ。仲良くやっています。
結構、日本語の練習にもなります。勉強の話とか、どこから来たとか。大人の人たちと話すのも慣れてきました。
卓球教室に参加している時間は、ブラッドさんにとって体を動かして、日本人と交流できる貴重な時間です。しかし、参加できるのはオンライン授業がない平日の午前中です。参加者は60代の人が中心で、同世代はいません。
ブラッド・ブラウンさん
「同じ世代の人ともプレーできたらいいですね。どんなスポーツでもかまわないので、バレーボールでも、バスケットボールでも、テニスでも、なんでもやってみたいです」
この日、卓球教室を終え、家族に手料理をふるまったあと、いつも通りパソコンに向かったブラッドさん。しかし、1時間目の英語の授業がなかなか始まりません。
画面に何も出てこない…
学校周辺で何かあったのかもしれない。ブラッドさんや家族が確認すると、故郷のドニプロペトロウシク州を含む、広い範囲に、空襲警報が出ていることが分かりました。
みんな避難してって情報が出てる
こういう場合って…
授業は中止
すでに空襲警報4回。ウクライナでは今は一日始まったばかりでしょ。夜中にも何回も。想像してみて
現地で空襲警報が出ると、先生や生徒たちが避難するため、授業そのものがたびたび中止になります。ただ、朝からすべての授業の中止が決まったのは、この日が初めてでした。通信状況が悪いのか、父親とのオンライン通話も、つながりにくくなりました。ブラッドさんは、不安な様子でしたが、仕方なく、学校からの課題にひとりで取り組みました。
ふるさとでは依然、厳しい戦況が続き帰国の見通しは立っていません。長期の避難も覚悟するなか、ブラッドさんと家族は、日本の中学校への入学を検討し始めました。
祖母 リュボフ・ヴィルリッチさん
「将来のことを考えると、やっぱり子どものことも考えないといけない。社会のなかで、自分を見つけられるようにしたい。私たちの暮らしていた場所は、戦争の前線からおよそ50キロで、未だに攻撃されていますから、まだ戻ることができないのです」
ウクライナと日本の学校を両立できないか。この日、ブラッドさんは初めて、家族とともに市役所に相談に訪れました。
日本だと、ことし4月から入るなら、中学3年生の学年になります。例えばおなかが痛いとか、頭が痛いとか、体調の変化を学校に伝えたりするのは大丈夫そうですか?
うん、大丈夫
ウクライナのオンライン授業と日本の授業が重なる場合に、どちらを選ぶべきなのか。年齢に合った学年のクラスに入った場合、授業についていけるのかどうか。話し合いのなかではさまざまな課題も浮かび、結論がでませんでした。それでも、一家は前向きに日本の中学校への入学を検討していくことになりました。ブラッドさんは、将来が見えないなかでも、今できる新たな一歩を踏み出したいと考えています。
ブラッド・ブラウンさん
「できることをやっています。なるべく多くのことを学びたいですが、私は全部コントロールはできないです。戦争の終わり方によって、私の将来が変わってきます。すべてがどうなるか予想できない状態です」
国際NGO「プラン・インターナショナル」が2024年2月21日に公表した調査によると、調べた22人の子どものうち、13人がウクライナのオンライン授業を受けていました。
自身もウクライナからの避難者で、日本に避難中の子どもの学習について調査を行ってきた国際NGOの職員は、以下のように指摘します。
アンナ・シャルホロドウスカーさん
「今でもウクライナから避難している子どもの多くが、ウクライナの授業をオンラインで続けています。これは、戦争の先行きが見通せないためです。戦争が終わったらウクライナに戻りたいと考えている家庭も多く、そのために子どもたちはウクライナの学校で教育を受け続ける必要があるのです。ほとんどの家庭では、この2年、ウクライナに戻るか、日本に残るか決められないままだったように思います」
戦争が終わったらウクライナに戻りたい。ブラッドさんにとって、その一心で過ごしてきた2年でした。日本での避難生活を一時的な避難と受け止めていたところもあったと思います。しかし、戦況が見通せず、戻るに戻れない現状を目の前にして、ブラッドさんは日本の学校に通う決断をしました。時差の影響があるため、ウクライナの学校と並行して日本の学校に通うことは容易ではありません。それでも14歳のブラッドさんが「日本の学校に通う」と決断したことに、どれだけの葛藤があったのだろうと思わずにはいられません。
2年がたって子どもたちはさまざまな葛藤や不安を抱えていて、これからも周りにいる人たちの支えが大切になると感じました。