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Jリーグ30周年 元Jリーガー盛田剛平さんが見た「地域密着」

  • 2023年05月18日

1993年にスタートしたJリーグは5月15日で30周年を迎えました。2つのクラブのホームタウン、さいたま市は「サッカーのまち」として関わりを持ち続けてきました。この2チームをはじめ7つのチームでプレーしてきた元選手、盛田剛平さんに想いを聞きました。

「サッカーのまち」2つのJクラブ

Jリーグは1993年5月15日に10のクラブでスタートし、今シーズンは60クラブに増え、ことし5月で30周年を迎えました。
このうち、さいたま市をホームタウンにするのが浦和レッズと大宮アルディージャ。
浦和レッズは「オリジナル10」と呼ばれる、Jリーグスタート時からのクラブです。リーグ優勝1回、Jリーグカップ優勝2回などのタイトルを手にして、ことし5月、アジアナンバーワンクラブを決めるACL=アジアチャンピオンズリーグで大会史上最多、3回目の優勝を果たしました。
大宮アルディージャは1999年からJリーグに参加。レッズとの対戦は「さいたまダービー」として、大きな注目を集めてきました。

Jリーグ30周年ベストイレブン レッズから3人

5月15日、Jリーグ30周年を記念してサポーターの投票で選ばれたベストイレブンが発表され、浦和レッズで活躍した3人が選ばれました。
ディフェンダーでは、「アジアの壁」と呼ばれた井原正巳さん、闘志あふれる守備を見せた田中マルクス闘莉王さんの2人です。
また、ミッドフィルダーでは華麗なプレーで天才と呼ばれ、現在、北海道コンサドーレ札幌で現役を続ける43歳、小野伸二選手が選ばれました。

Jリーグの地域密着 これからは

地域密着を理念に掲げてきたJリーグ。
浦和レッズや大宮アルディージャなど7つのチームで19年間プレーした元Jリーガーの盛田剛平さん(46)に、みずからの経験を振り返ってもらいながら、これまでの思いやこれからの願いについて聞きました。

盛田さんは、ことし、さいたま市でラーメン店をオープンさせました。
30年前のJリーグ開幕当時、盛田さんは強豪、横浜市の桐蔭学園高校のサッカー部員でした。

元Jリーガー 盛田剛平さん
「当時のヴェルディ川崎のマイヤー選手の初ゴールなど、開幕の盛り上がりを鮮明に覚えています。とても華やかな世界だと思いましたね。高校の先輩たちがプロになっていって、自分もプロになるんだと夢見ていました」

盛田さんは大学卒業後の1999年、浦和レッズに加入しました。
その後は、セレッソ大阪、川崎フロンターレ、大宮アルディージャを経て、サンフレッチェ広島で選手としては最も長い7年間、プレー。
さらにヴァンフォーレ甲府、ザスパクサツ群馬と、2017年に41歳で現役を引退するまで、あわせて7つのチームで19年間プレーしました。

「期待されてプロに入ったのになかなか結果を出せず、最初のころは苦い思いをしたことも多かったです。30代後半の甲府時代、ディフェンダーからフォワードに戻ることになり、そのシーズンはJ1で5得点しました。プロでは脇役という感じでしたが、少しは目立ちたいという気持ちもあったので、5得点は気持ちよかったですね」

さまざまなチームでプレーしてきた盛田さん。
地域との関係を深め続けたことでJリーグが浸透してきたと考えています。

「チームの成績が落ちると、観客が減ってしまうこともありました。チームを強くするだけでなく、地域の人に好かれる、身近に思ってもらうことも大切だと感じました。イベントを通じて地域の人と交流を深めたり、地域の企業を回って支援をお願いしたりして、地域一丸となって盛り上がっていくことが一番だと思います」

現在、盛田さんはラーメン店経営のかたわら、浦和レッズの地域貢献活動「ハートフルクラブ」でコーチを務め、幼稚園児から小学生を対象にサッカーの技術とともに仲間を思いやる気持ちを伝えています。

盛田剛平さん
「どの地方のスタジアムも客席が埋まっているような、そんなホームゲームが見られるようなリーグにしたい。そのために何ができるか、地域密着のホームタウン活動だったり、愛されるクラブであったり、愛される個人の選手であったり、そのようにやっていかなくてはいけないなと」

「海外に行く選手も多いし、レベルは間違いなく上がっています。30年でチーム数も増えて、サッカーのすそ野は大きく広がりました。ヨーロッパには100年以上の歴史がある国もある中で、日本はまだ30年なので、もっともっと成長できると思います」

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