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ビキニ環礁 水爆実験 第5福竜丸など被ばく 被害の歴史をどう伝えていくか

~「ビキニ事件」から70年~
  • 2024年1月19日

アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員などが被ばくしたいわゆる「ビキニ事件」からことしで70年です。被害の救済を求める訴えが今も続いている一方で、被ばくの歴史をどう伝えていくのかが課題となっています。
1954年のビキニ環礁での水爆実験と被害、歴史を学ぶ取り組みについてまとめました。

1954年 アメリカがビキニ環境で水爆実験

1954年3月1日に、アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験で、広い範囲に放射性物質を含んだいわゆる「死の灰」が降り注ぎました。
広島に投下された原子爆弾1000発分の破壊力をもった水爆「ブラボー」が使用され、大きな被ばくをもたらしました。

第五福竜丸 被ばく ほかの漁船の乗組員は

その時、南太平洋で操業中だった静岡県のマグロ漁船、第五福竜丸の乗組員や、島民の多くが被ばくし、第五福竜丸では乗組員23人が被ばくし、半年後に1人が亡くなりました。

当時、周辺海域で創業していたとされるのべ1000隻近くの日本の漁船について、国は乗組員の放射線量の記録は残っていないとしていましたが、2014年に第五福竜丸を含む漁船の記録が開示され、乗組員の一部から通常よりも高い放射線量が検出されていたことが明らかになりました。

これを受けて、元乗組員やその遺族が日本政府などに対して被害の救済を求める訴えを起こし、現在も2つの裁判の審理が続いています。

ビキニ事件70年 マーシャル諸島の若者と学ぶ

「第五福竜丸」の乗組員などが被ばくしたいわゆる「ビキニ事件」からことしで70年、日本とマーシャル諸島の生徒がお互いの被ばくの歴史を学ぶ交流会が開かれました。

交流会は神奈川県横浜市の神奈川学園がマーシャル諸島の学校と開いたもので、1月17日、両校をオンラインで結び、中学生と高校生のあわせておよそ40人が参加しました。

神奈川学園の生徒たちは、記録や写真などをデジタル上の地図にまとめた「デジタルアーカイブ」を使って、当時、神奈川県の三崎港を出港したマグロ漁船が被ばくし、元乗組員や海産物に被害が及んだことや、「第五福竜丸」の乗組員だった大石又七さんが、毎年学校で講演を行うなど交流を続けてきたことなどを英語で説明しました。

説明を聞いたマーシャルの生徒からは「被ばくによって元乗組員にはどのような症状が見られたのか」などの質問が寄せられていました。交流会は2月も開かれ、マーシャルの生徒から現地の被ばくの歴史を学ぶ予定だということです。

中学3年 大久保彩菜さん
「マーシャルのことを知ることができるだけでなく、自分が住む地域の被ばくの歴史を学ぶきっかけとしてもいい機会となりました」

第5福竜丸展示館 被爆の実相を伝える

当時を知る人が少なくなる中、被ばくの歴史を伝えるための模索が進められていて、東京・江東区の第五福竜丸展示館では、被ばくした船体のほか、船の備品や元乗組員の日用品などを展示し、実物の資料を通じて被ばくの実相を伝えています。

さらに気候変動など現代の問題と関連づけた企画展や子ども向けの催しなどを開催し、近年は若い世代の来館者が増えているということです。

第五福竜丸展示館 市田真理学芸員
「被ばくを経験した船があり、乗組員が残してくれた資料もあるので、それを活用することでこれからも被ばくの歴史を伝え、決して過去の問題ではないことを知ってもらいたい」

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