ウクライナ避難民のいま
- 2024年04月04日
ロシアによるウクライナへの侵攻開始からことし2月で2年がたちましたが、静岡県ではいまも30人のウクライナからの避難者が暮らしています。侵攻の終わりが見えない中で避難者の生活にも変化がでてきています。浜松市にキーウから避難してきたヴィーラさんの今の思いを取材しました。
“卒業”
2022年7月、浜松市の専門学校に学生として避難してきたヴィーラさん。ウクライナから避難してきた学生たちは、正式な学生ではありませんが、学校から特別に修了証が手渡され、この日、“卒業”しました。学校にはヴィーラさんを含め4人が避難してきました。ロシアによる侵攻の終わりが見えない中、それぞれが日本で就職や進学し、自立を目指すことになりました。
首都キーウで家族と暮らしていたヴィーラさんは、侵攻で市内での戦闘が激化するなか、避難を望まなかった両親を残し、日本に避難してきました。
(ヴィーラさん)
本当に1年で終わると思っていたのに、まだ続いていて悲しいと思う。両親もウクライナに残っているし、友達もウクライナにいるからそれはつらい。
地域とのつながり心の支えに
ヴィーラさんは、アルバイトで生活費などを稼ぎながら学校で日本語の勉強を続けてきました。そのなかで地域とのつながりも大事にしてきました。そのひとつが学校が卒業後も孤立せずに暮らせるようにと後押しした、趣味の弓道でした。ニュースなどでウクライナの惨状に心を痛める日々でしたが、弓道を通して地域の人たちとの交流することが心の支えになってきたといいます。
(ヴィーラさん)
ウクライナの時に弓道やっていた時に友達がいっぱいできた。週末はいつも楽しかった。日本に来た9月から弓道続けて本当にうれしかった、新しい家族もできたと思う。みんなは優しいから。弓道は私の心で大事なところに残っているので、ずっと続けたいと思う。
日本で生きていく
侵攻が終わる兆しは見えず、ヴィーラさんは日本で生きていくことを決めました。就職してこれまで暮らしていた寮を出て1人で生計を立てることを目指していますが、なかなか思うようにはいかないといいます。
(ヴィーラさん)
一番大変なのは、就職活動。私は向こうでもここでも日本語だけ勉強してきて、いまは何も資格ないからからちょっと仕事を見つけるのは難しい。ここ(学校)は、私の世界できているから、またいちからやり直すのは大変だなって。それでも少しずつ一歩一歩。
ウクライナを支援できるように…
今後もウクライナの現状を日本で伝え続け、いずれはウクライナを自分の力で支援できるようになりたいと考えています。
(ヴィーラさん)
できるだけウクライナのこと伝えたいSNSで伝え続けたりとか外国人の友達にも教えている。いまはお金がたりないからあんまりできないけど、就職したらお金が増えると期待しているから支援も増えるように生きていきたい。
もともとウクライナで日本語を学んでいたヴィーラさんですが、浜松に来てからさらに日本語が上達しています。今回も自分のいまの思いを自分の言葉で話してくれました。動画はこちらから。